タクシーのドアが閉まると、車内に静けさが満ちた。窓の外を流れていく東京の街並み。それらがフロントガラスに滲みながら、どこまでも淡々と景色を変えていく。大野は窓の外に目を向けたまま。櫻井も同じく手元で指を組んだまま、何も言わずにいた。車内は運転手が流していたラジオの音だけが聞こえる。しばらくして、沈黙に耐えかねた櫻井が口を開いた。


「……すみません、今日は」


「なんで翔くんが謝るの?」


「いえ、なんか……疲れてるはずなのに付き合わせしまって」


「……ううん。そんなことないよ」


大野の声はとても優しかったが、どこか距離を感じさせるものだった。


「……なんか、へんな感じだね。こうして並んでるの」


その声に、櫻井が目だけを動かして大野を見る。でも視線はすぐに逸らした。代わりに、ゆっくりと口を開く。


「……変ですよ。変に決まってます」


「そっか」


「俺、あれから……何度、連絡したと思ってるんですか」


声は落ち着いていたが、その中に滲むような苛立ちと痛みがあった。大野はただ黙って視線を前へ向けたまま。


「未読のまま、ずっとですよ。何回送ったか。こっちがどんな気持ちで送ってたか、想像したことあります?」


櫻井の声が、徐々に震え始める。


「無視されてるってわかってても……既読にならなくても、返事がなくても、連絡したかったんです。……いや、せずにいられなかった」


小さな震えに喉奥がぎゅっと詰まる。


「……返事したら、帰りたくなると思った」

 

大野の声は小さく、まるで自分に言い聞かせるようだった。


「翔くんの連絡、ぜんぶ届いてたよ。通知だけ見て、開かないようにしてた」


「……」


「読んじゃったら、ぜったい会いたくなるし、そしたら、アメリカでの生活が続けられなくなる気がして。ぜんぶ中途半端になると思った。返事を書いたこともあったんだよ? でも、送信ボタンを押す前に消してた」


櫻井は静かに目を伏せた。それでも胸の奥で渦巻く感情は、冷めるどころかますます熱を帯びていく。


「そんなの……勝手じゃないですか」


「うん、勝手だった。ごめん」


そう言われて櫻井は何も言い返せなかった。怒ってるわけじゃない。ただ寂しかっただけ。


「俺……ずっと、待ってたんですよ。連絡来るの」


「しってる」


「……知ってて、なんで……」


「翔くんが優しいの、しってるから」


大野はようやく櫻井を見た。

あの頃と変わらない、少し眠たげな目。


「おれが、“さびしい”とか“帰りたい”とか言ったら、翔くんは呼びもどすだろうなぁって」


「……」


「でも、それしたら、おれ、自分にウソついて踊ることになる」


「俺が重荷になるって、そう思ってたってことですか」


「ちがう、そうじゃ──」


「だったら、なんで…」


「翔くんが好きって言ってくれたとき、うれしくて、泣きそうで、でも……甘えたらぜんぶ終わるって思った」


「終わるって……俺たち、まだ何も始まってもいないじゃないですか!」


喉の奥が熱くなり、感情が堰を切るようにあふれ出すのを止められなかった。大野はゆっくり、櫻井の方へ向き直った。


「おれ……翔くんが、ちゃんと仕事してるの、画面越しに見てたよ。毎週ニュースを読んでる姿も。ちゃんとすごいキャスターになってて……」


「関係ないです、それは……それと、あなたが俺の連絡を無視したことは、全然別の話です」


櫻井はたまらず、大野から視線を逸らした。


「……おれさ、今でも翔くんのこと、好きだよ」


不意に放たれたその言葉に、櫻井は驚いて顔を向ける。


「だけど……おれが好きなだけじゃ、戻れない」


「……どういう、意味?」


「4年半、はなれてた。その間、翔くんの人生は動いてて。おれのこと、ずっと想っててくれたのかもしれないけど……変わってるかもしれないって……」


「俺は待ってた。何が変わっても帰ってきてくれるって」


大野は櫻井に苦しそうな笑顔を向けた。

タクシーが止まる。


「着きましたよ」


運転手の声に、大野が静かに腰を上げた。


「……今からでも、間に合いますか?」


櫻井のその問いかけに、ドアを開けて降りる直前、大野は振り返って、ほんの少し笑っただけだった。