「自分の人生は自分で決めるんだ」と初めて真剣に決意した話(後編)
接客カウンセラーおくです、
ぼくはホテルで、11年働かせていただきました。
接客のセンスがまったくない、自信がなくて不器用な人間でしたから、これだけでもご縁に感謝しなくてはなりません。
きっとすごいサービスマンなら3年くらいで成長できるレベルに、11年もかかりました。
それでも2013年のぼくからしてみたら、この11年は本当に大きな財産でした。
失敗もしたし、落ち込んでばかりだったし、自信がとにかくなかったし、「向いてない」って何度も思ったし、「辞めよう」とも何回も思った。
でも・・・だからこそ、あのホテルで働けて本当によかったって思っています。
ただし、1つ、大切なことがあります。
それは、
その当時に答えがいきなり見つかったわけでなく
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その当時に一気に花が咲いたわけでもない
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ということ。
「こんな経験・体験して、こんなことに気づいちゃってもうここから一気に変わりました!!」
なんて話じゃない。
花が咲くのはいつだって少し遅れてからだった。
あなたが今がんばっていること、以前に選択したこと、どれもがすべて
おんなじ。
花が咲くのはいつだって少し遅れてから。
だから、慌てなくたって大丈夫だよ。
それだけは知って欲しいと思います。
では、「自分の人生は自分で決めるんだ」と初めて真剣に決意した話(中編)の続きです。
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(辞めよう・・・)
そう、思いました。
でも、頭の中はもう、ぐっちゃぐちゃでした。
ぼくはなんとか、頭の中を整理しようと必死に考えます。
・自分をさらに成長させるため
・夢をかなえていくため
・より高みをめざすため
という理由をかかげようとしている自分も、確かにいるにはいる・・・
けれど、
・認められたい(認めてもらえていないんじゃないか?)
・評価されたい(評価してもらえていない気がする)
という、まるで子供みたいなきもちも心の奥ではげしく、あばれてる・・・
「ばかやろう!って言われてムカついたのはなんでなんだろう?」
って思ったことがスイッチになって、夜中まで考える日々が続きます。
(本音がどれかわからない・・・)
そんな気持ちにもなってきます。
そもそも、転職することで、今まで培ってきたキャリアを捨て去ることが怖くて怖くてしかたがありません。
だって、ぼくには優れた能力もセンスや強力な武器もないから。
あるのは「色んな経験をしてきた」という事実だけ。
これを捨て去ることは、また人生がふりだしに戻ることな気がするから、怖くて仕方ないのです。
経験すらなく何にもなかった前の自分には戻りたくない。
だから、転職失敗だったなって思いたくないし、損をしたくないし、バカにされたくない。
そんなきもちばかりです。
しかも、それだけではなく、バカヤロウと言われて「なにくそ」という気持ちと、評価されてないんじゃないか?という不満な気持ちと、何とか変わりたいという小さな願望と、
3つが全部、バラバラで、自分のきもちがわからない、どれが本音なのか、さっぱりわからないんです。
まとまってもいないのに、この先どうなるの?
というのも、怖さを生んでいました。
そんな悶々としたきもちを抱えたままで、ずっと自問自答していたら、気づけば、10年が過ぎ、11年目に入ってしまいました。
周りはどんどんとあらたなチャレンジをしていたり、昇進したり、転職したり、夢を見つけたり、資格を取ったり、成長したり、
・・・・・
ふと、思いました。
(10年、やったじゃん。三日坊主のくせによく続けてきたよ。じぶんのきもちはよくわからないけど、まあ、がんばったんじゃないかな?)
そう。
ぼくは子供のころからずっと三日坊主だった。
習い事だって、長続きしない人間だった。
熱く何かをやるなんてのもほとんど経験がなかった。
だから、10年やったというだけで、もういいかなって思ったんです。
そんな、投げやりとも前向きともとれないような、微妙なきもちだったけど、もういいかって思いました。
(でも、辞めて何をやろう?)
考えました。
そのときに浮かんだのは「いくら頑張っても評価されない」という勝手な思い込み。
だから、すごく安易だったけど
(評価がわかりやすいのは営業だよな・・・)
という考えにたどり着き、転職サイトで営業マンの募集を探しはじめました。
その安易な選択が、その後のぼくの運命をさらに掻き回すことになるなんて、当時は考えもしなかったのですが・・・
しばらくして、マネージャーのもとに行ました。
裏の倉庫にあるデスクで仕事をしているマネージャーに、話があることを伝えました。
「年内で、辞めます!」
と・・・
潔く言おうとしました。
ところが、なかなか口に出ません。
代わりに口から出たセリフは、「仕事・・・辞めようかと思ってるんですが・・・」というへなちょこな曖昧なセリフでしたが、マネージャーは少し驚いた表情で答えました。
「え?なんで?」
「いえ・・・家庭の事情で・・・不規則なシフト勤務が続けられなくて」
(はあ???うわーーーなっさけない。家庭の事情?まあ、うそではないんだけど、それ、ほんのほんの一部でしょ?)
自分に思いっきり、心の中でつっこみました。
言いたいことはそれだけじゃないのに、かっこわるい理由を口にするのがイヤで仕方なかったから、
つい・・・
でも、ここはウソで固めたくはない!というきもちもあったので、んーーーーーーーー!と勇気をふりしぼって、言葉にしました。
評価されてないんじゃないか?という強い不満があることを。
ただ、自分がどんな言葉で表現したのか、頭がまっしろでまったく覚えてはいないのです。
すると、予想もしなかった言葉がかえってきました。
「そっか・・・でもさ、せっかくがんばってきたんだから、もう少し、がんばってみたら?奥ががんばってるのは、おれは知ってるよ。評価してるよ。」
(え??評価、されてんの?認めてくれてたんだ・・・)
揺らぎました。
すごく、揺らぎました。
(辞めないほうがいいんじゃないか?)
(もう少し、やりきったほうがいいんじゃないか?)
という気持ちもこころのなかでくすぶります。
(オイオイ、どんだけ決意弱いんだよ)
そんな突っ込みもうかびます。
でも、次の瞬間、衝撃がはしりました。
「でも、家庭の事情なら、仕方ないもんな。個人的には残ってほしいけど・・・仕方ない事情なら、無責任に残れ!って言えないし・・・お前が思うように決めたらいい」
あ・・・
まさかここで、
「やっぱり残ります」
なんてかっこわるいこと言えないしなって、思いました。
家庭の事情という第三者からしたらどうしようもない理由で、選択肢がなくなった瞬間でした。
もうとにかくかっこわるいこと、情けないことを選びたくなかった。
そのくだらないプライドが結局ぼく自身を苦しめた。
「無い無い」言ってる逃げの姿勢が、結局ぼく自身の可能性をせばめた。
「でも、辞めて何やるの?」
「・・・えっと・・・営業をやってみようと思ってます」
「え。マジで?チャレンジャーだな」
「はい。新しいことにチャレンジします(笑)」
本当は不満があったくせに、最後はかっこいいセリフでまとめようとしました。
笑ってごまかしました。
そのときにぼくにできた、精一杯の強がりだったのかもしれません。
帰り道、小さなためいきと、でも大きな決断を伝えられたという妙な安堵感で包まれていました。
家についたら、ぼくはそのままベッドに倒れ込みました。
・
・
・
そうして、
ぼくは、
「やっぱり、辞めます。本当に、お世話になりました」
この最後のセリフを口にして、2007年12月31日付けで退職することが決まりました。
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「自分の人生は自分で決めるんだ」
じつは、いま思うと、こう必死になっていたのだと思います。
ただ、専門学校に入るのも就職するのも、ずっと「ながれ」で受け身で進んできて、自分の意思で決められずに弱腰で生きてきたぼくにとっては、このホテル退職の決断はハチャメチャだったけど、
生まれて初めて、ほんの少しだけ、自分の意思で決意したことだったように思います。
本当にホテルで働けてよかった。
日本料理店で出来損ないのぼくをいつも見守ってくれたマネージャー。
新入社員の同期たち。
優しい先輩たち。
ぼくのために泣いてくれた後輩たち。
ルームサービスで熱いきもちを教えてくれたマネージャー。
未熟なリーダーのぼくに大切なことを教えてくれた敬愛なる先輩たち。
いつも信じてついてきてくれた尊敬する後輩たち。
バトラーの神髄を教えてくれたロバート。
トレーニング受講のチャンスをくれたマネージャー。部長。
ラウンジバーで、足りなかったものに気付かせてくれたマネージャー。
親身になってくれた同僚たち。
大切な想いを教えてくれた後輩たち。
気の利かないぼくに温かい目で接してくれたお客さま。
ときに厳しくしてくれたお客さま。
人生で大切なことを厳しく、優しく、教えてくれたすべてのひとたち。
他にもまだまだいます。
上げたらきりがないし、とても書ききれません。
自分に自信がもてない
生きている価値がない
向いてない
気が利かない
コンプレックスの塊だったこんなぼくが、2013年のいま、接客カウンセラーなんてことを生き甲斐としてできているのは、みんなのおかげです。
その当時まだ未熟だったぼくは、こんなにあとから感謝で胸がはちきれそうになるなんて思いもしなかったから、
恩返しができなかったことが山ほどあります。
ホテルを辞めたときは「こんなに変われました!!」なんて思えなかったし、まだまだ迷走していました。
夢もやりたいことも見つからぬまま、不満を抱いたまんまで辞めたものですから、
このあとさらに、次々に苦難がやってきます。
でも・・・
それもこれも、すべてが次の未来につながりました。
諦めたと思っていたことがあとからすべて、つながりました。
だから、まずはホテルで関わったすべての方に、心からのありがとうを伝えたい。
そして、ありがとうを届けられない方々には「恩送り」をしていきます。
昔のぼくみたいに自信がもてないと一歩を踏み出せずにいるひとに、
勇気をさずけて
背中を押して
一緒に泣いて
一緒に笑って
一緒に考えて
一緒に怒って
そうして、悩めるすべての接客スタッフたちの
支援をしていきたいと
つよく、つよく、思っています。
本当に、ありがとうございました。
ぼくは死ぬまで、
「パークハイアット東京で働くことができて本当によかった」
そう、ずっと胸にいだいて生きていきます。
ぼくに関わってくれた上司、先輩、同輩、後輩、お客さま、関係者、
すべての方へ、心からの感謝をこめて・・・
2013年7月17日(水)
奥 武志