山猿の追い払い方。栗林先生のサバイバル法。 | ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

(旧タイトル、NYと六本木ヒルズに住む経営者のひとりごと) 
ニューヨークと東京で会社を経営してます。 NYがベースで、年間10回以上、NYー東京間を往復しています。 アメリカ生活が30年以上になるので、日本にいると沢山の驚きがあります。そんな驚きを綴っています。

猿はヤクザと一緒や。


あいつらはな。集団でやってきよる。


嵯峨野の冬は長く寒くて、

食べ物を探すのは困難を極めます。


秋の柿の収穫は冬の備えに重要です。


栗林先生は

戦後のどさくさ時に、

熊本から片道切符で京都にきました。

持ち金をすぐに使ってしまい、

スーツやシャツ、革靴まで質屋に入れてました。


当時は米を国が買い取っている時代です。

指定された米屋のみが販売を許されていました。

今のようにスーパーマーケットで

誰出ましたも販売できるようになったのは

最近です。


日本国有鉄道→ JR

専売公社→ JT

のように国営が自由化されたのは

最近のことのようですね。

儲かるものは国が利権を握っているのです。


戦後のどさくさ時には皆金を持っていません。

一番金持ちは百姓だったのです。


祇園遊びで知り合った百姓から、

闇市の手伝いをし米がない時は

山に入って松茸取りをしていました。


山に入ると持病の喘息が消えました。

山には何かがあるのに気づき、

下界に降りず、山に留まったのです。


酵素の発見等の話題は今回は省略します。


お金がなくて

自分で食べるものを

ハントしなければいけません。


昭和30年代から、

1人で嵯峨野の山中に入りました。


当時は嵯峨野には猿がたくさんいました。


秋は猿との柿取り合戦が始まります。


猿はな。

ボス猿を狙うんや。

ボスを見つけたら、近くまで立ち寄る。

すり潰した唐辛子を混ぜた灰を

ボス猿にめがけて投げる。

のたうち回っているところを

竹の槍で刺す。

次にナタで首を落とす。


取った首を棒の先に刺して

置いておくんや。


カラスがやってきて

まずは目の玉から食べていくそうです。


猿たちは恐れおののき

こぞって去っていきます。


殺めた猿は茹でてから、

神社や寺で借りた塩を振って

食べると美味しいと聞きました。


つまり、猿を追い払うためには、

唐辛子入り灰。

竹槍。ナタが必要ですね。


一番美味しかったのは、

猪だそうです。


燻製にしたら1ヶ月は持ちます。


羽毛布団の作り方は

次回に。


このストーリーは戦後間もない頃の話です。


現在の行政のルールを守って、

猿との対峙を楽しんでください。