糞尿処理の歴史的事実。  | ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

(旧タイトル、NYと六本木ヒルズに住む経営者のひとりごと) 
ニューヨークと東京で会社を経営してます。 NYがベースで、年間10回以上、NYー東京間を往復しています。 アメリカ生活が30年以上になるので、日本にいると沢山の驚きがあります。そんな驚きを綴っています。

現在の20歳以上の人は、生まれた時から、自動温水尻穴洗浄器とともに育ったので、以下はわからないと思います。 

 

非常に品がなく、描写により、浮かんでくるものが食事の際には耐え難い絵図になってしまう可能性があるため、50年前の姫路市の田舎の下水処理状況を知りたい人のみ、お読みください。 

本当に、気持ち悪くなると思うので、読まないほうがいいですww 

小生が子供の頃、まだバキュームカーの存在がなかった頃、父親は、汲み取り式厠に溜まった糞尿を、巨大なビニール製の深さ70−80センチのバケツに、棒の先につけた汲み出し円形バケツ(直径20センチぐらい深さ20センチ程)にて、汲み出して、二つの巨大バケツにたっぷりと糞尿を入れて、2メートルぐらいの肩掛けのための丈夫な棒の両端にロープを取り付けたバケツをぶら下げ、畑や田んぼに肩で担いで歩いて持って行ってた。 棒の両端にはロープが滑り落ちないようにくぼみがあった。 転んだら悲劇が待っていることを熟知しながら男たちは糞尿処理に挑んでいた。 

残念ながら、糞尿バケツを担いでいた人たちの写真はない。 ただ、当時は糞尿バケツも担ぐ棒も一般的に販売されていた。 

先日、父親にその糞尿バケツを担ぐための棒の名前を聞いてみたが、知らんということだったので、「糞尿バケツ棒」と名付けることにした。 

農家によっては、田んぼや畑の片隅に、一時的肥溜め用のレザバータンクを設置していた。子供の頃、その肥溜めタンクに転落して、頭の先から足の裏まで糞尿にまみれている子供達の光景がいまだに浮かぶ。 今ではレジェンダリーになるが、小生の子供の頃は肥溜めにはまらないためのノウハウや秘訣が親から子供へ伝えられるのは一般的だった。 

バキュームカーの登場はレボリューションであり、当時の田舎の肥溜め式糞尿処理方法を根底から覆すエポックメイキングな事象であったことは間違いない。 

そのバキュームカーが水洗式厠に取って代わられるとは当時の日本の田舎の住民には想像すらできなかった。 

糞尿水洗式便器が一般家庭に蔓延するようになり、新たな常識が加わった。 それが現在の温水自動尻穴洗浄機である。 今、糞尿バケツ棒を購入する人もいない。 糞尿処理バケツを担いでいた勇気のある男たちは、今では他界したか、病院か老人介護施設に入っている。

テクノロジーの力で糞尿処理が画期的に変化したのはここ数十年である。  

過去、ホモサピエンスの数万年の歴史上変わっていなかったことが、文明開化後の社会では数十年かけて当たり前の常識は変わっていく。 

糞尿処理班の方々に感謝しよう。 

 

ここまで書いたらついでに、、

服飾アドバイザーのサラマンダー青山氏から聞いたところによると、フランスでは階上から糞尿をバケツで道路に投げつけていたらしく、それを避けるために、帽子やCape マント、コート、そして路上に落ちている糞尿を避けるために、ハイヒールが開発されたとか。 また風呂に入る習慣がなかったから、香水が発達したとも言いますね。 

今の若い方々は、現在に生まれてよかったですな。