旧友っていいね。  | ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

(旧タイトル、NYと六本木ヒルズに住む経営者のひとりごと) 
ニューヨークと東京で会社を経営してます。 NYがベースで、年間10回以上、NYー東京間を往復しています。 アメリカ生活が30年以上になるので、日本にいると沢山の驚きがあります。そんな驚きを綴っています。

旧友っていいな。 

山嵐との会食 

ニューヨークと東京に暮らす変な経営者のひとりごと

山嵐とは米国の大学へ交換留学生に選考されてから知り合った。

山嵐とは色々なステージにおいて、関係がある。

小生は、SUNY at Brockportに留学し、山嵐はその隣町のSUNY at Buffalo に留学した。

1984年、初めての飛行機に山嵐と乗った。 

当時はニューヨークへの直行便はなかった。 大韓航空のアンカレッジ経由JFK行きだった。

ソウルで5時間以上待ち、アンカレッジで給油のため数時間待ち、JFKに到着したのは夜だった。

山嵐はNJ州のホストファミリー宅に行く事になっており、小生はLewiston というナイアガラ滝のすぐ側にある

小さなタウンのホストファミリー宅に行く事になっていた。 

大学が始まる3週間ホストファミリーで世話になるというプランで、ホストファミリーの方々には非常にお世話になった。 誠に寛大なファミリーである。 

JFKで山嵐と乗ったタクシー運転手にダマされ、マンハッタン経由、NJのNewark空港近くのモーテルまで乗ったのであるが、当時の金にして、二人で1500ドルぐらいを請求され、持っていたトラベラーズチェック、現金のほとんどを初日で失ったというエピソードがある。 

当時英語力がなくて、悔しい思いをした。 ファイトバック出来なかった。 学生なのに値段も調べず、JFKからNewarkまでタクシーでいくという無謀なことをしたのも、将来にいい経験となった。

アメリカの初日の印象が、恐い。人を信じるな。と言うものだった。 

山嵐といると、色々な経験が出来る。 山嵐とメキシコ市に行くのに、サンアントニオまでバスに乗り、ボーダーを歩いて越え、メキシコに入った。 山嵐とは後に仕事でメキシコに行く事にもなった。 

小生はサラリーマン時代に配属になった所がなぜか山嵐に近いところだった。 

ニューヨークに転居してからは、山嵐は就職先の駐在員として渡米。 
弊社のサービスを利用してくれたこともある。 

山嵐が自宅に来た時は、当時飼っていたジャーマンシェパードが自宅のプロパティのフェンス内に入って来た鹿をかみ殺したことがあり、死骸の足にロープをくくり付け、処理をするのを手伝ってくれたこともある。

どっちかが葬式の面倒を見るまでつきあっていくんだろうな。と思う。

今、山嵐は新規事業のビジネスパートナーとして、活躍中である。

普段小生が接しているのは経営者ばかりであるが、旧友にはサラリーマンもいる。 

独立してから、出会って仲良くなった人は、経営者か起業を目指す人のみであるが

ふと振り返ると、学生時代の友人でいまでも交流のあるサラリーマンや僧侶は数名いる。 

利害関係があると余計な事を言わない様に注意したりで面倒なこともあるが、

気のおけない連中といると心が休まるもんだ。 

不思議だけど、縁のある人とは、どんなことがあっても何らかの関係がある。

世の中に60数億の人がいて、自分が一生に会える人数は何人だろう。  

一日に10人あっても、60億人として、164万年かかる。 

人と人が出会う確率は天文学的な数字になる。 

100年経ったら皆死んでる。

そう考えると人の出会いは偶然ではない。 

通りすがりの人は別として、

いつも会話をしているような仲なんて、数十人にしか過ぎないだろう。

それなのに、イヤな人といる必要はない。 

イヤな人に合わせようとしたり、イヤな人を受け入れようとしたりすると、

自分がイヤな人になる。 

波動の合う人といるべきである。 

人生を変えたいのだったら、自分の目指すゴールに到達している人と時間を過ごすべき。 

Preacher とPractitioner は異なる。 

Preacher は、説教師、レブラントである。牧師はPreacher だろう。必ずしも言っている内容を自分でしているとは限らない。 説教だけたれてて、自分で何もやってない人の意見はほどほどに聞いていたらいい。 

Practitioner は、実際にやっていることを教える人である。  

Practitioner の話なら聞けばいい。 


これからも、人と人との出会いを大切にしていきたいし、

いままでお世話になった人に感謝を忘れない自分でいたい。