マンハッタンの女性用便所の怪奇現象は続く
女子トイレの不思議
秘書のレベッカからの報告で新たな事実が発覚した。
以前から怪奇現象が起きていた女性便所の謎は増々深まって行くばかりである。
このまま迷宮入りしてしまうのか。
今後の秘書のリポートが楽しみである。
ナンバー2が残留したまま、フラッシュしないのは以前の事象とはなんら変わっていない。
便器の上には便座といわれる尻を直接置く板がある。
日本での自動温水尻穴洗浄機の装備はアメリカのオフィスでは有り得ないので、ここではコンベンショナルな洋式便器を想像してもらいたい。
その便座という板に直接尻を触れたくない、つまり、他人の尻の体温の余韻なり、
尻の皮膚細胞のカスが残っているかも知れない便座に自分の尻をつけることによって
他人の雑菌/細菌が自分の尻細胞に付着して皮膚細胞を浸透し体内に入るのを嫌う習慣が
古今東西関係なくあるのだろう。
そこで、現在のアメリカの公衆便所は、便座用の紙シートを提供しているところが多い。
このビルの便所も例外ではない。
アメリカでの多くの厠は、シンクの隣には手を拭くためのペーパータオルがある。
直尻乗せ用紙シートは通常薄いフラッシャブルな紙で出来ている。
これがない便所を利用する時に、潔癖な種族は、便所の尻拭い紙を数枚重ねて
直尻乗せシートの代わりに便座の回りに乗せてから、生の尻を乗せる人が多い。
皮膚病を持っている尻があると想定すると感染症も考慮しないといけないので十分理解ができるビィヘービアBehaviorである。
間接接吻のようなものと似た感覚で知らない人の尻とは接触したくないというのが人情だろうか。
ただお気に入りの女性の直尻が触れた後だとそのまま直尻を便器に乗せることも好意的にしようと試みる男性もいるだろう。
酔っぱらい、汗だくのデブ、荒れた顔面の皮膚、フケオヤジが、
座った直後の便座に直に座る勇気のある人はどれだけいるだろうか。
ナンバー2の後だと、臭い、水面下にあるパーティクルや便器内に飛び散ったカス等
も気になる事象ではあるがここで描写をするのを省略する。
和式の厠では、尻を浮かせて放尿なり、脱糞をするのであるが、
アメリカでは尻を便座にかけることにより、足の筋肉を必要以上に使わずにリラックスをしながら、
ナンバー1なりナンバー2に挑める便器を誰かが発明した。
小生は便器評論家ではないので詳細は知らん。
日本で、アメリカ式直尻接触型便器、つまり洋式を導入し始めたのは、
我々の記憶にも浅い1970年代の頃だ。
未だに戦後直後に作られたと思われるレストランや田舎の駅の構内に、きんかくしと呼ばれる和式の便器があるのに驚かされるのも事実だ。
今世紀最大の発見は、便器に対してどう向かいあうかが、和式と洋式で反対であることだ。
和式はドアを開けたまま進行方向に向かってしゃがむ。
洋式はドアを開けて180度方向転換をして、便座の上に尻を置く。
和式の場合、通常ドアを開けたらそのまま前方を向いてしゃがむというスタイルではあるが、洋式便器の場合はドアを開けて、180度振り返って座るというムーブメントが不可欠である。
万一、ドアのロックを忘れて他人が開けると、無防備な尻を剥き出しした状態で顔だけ振り返り身動きが取れなくなるというのが和式の特徴である。
On the other hand, 洋式であればドアロックを忘れていて突然誰かに開けられたとしても、座っている限り、大事な部分をさらけ出す事はない。
洋式便器でドアを開けてから、180度振り返って座るのがいつの時代から常識になったのかは誰もわからない。
恐らくドアを開けて、和式の場合はきんかくしの部分が障害物になり、移動する時にきんかくしに蹴つまずくと危険であるし、床に穴が空いていたわけだから、足を突っ込むことも考えられる。 できるだけ狭い便所の中での危険を回避したのが発端であろう。
和式から洋式にトランスフォームする段階で過去の偉人達はこのコンバージョンが国民に従順に受け入れてもらえるかどうかを悩んだことは間違いないだろう。
西洋人は、西洋人であのきんかくしの前の部分に尻を乗せて、用を足すとか、様々な思考を巡らせたはずだ。
話はまた飛んでしまったが、
秘書のレベッカによると、
女性便所の便器に備え付けの直尻ペーパーを乗せるのではなく、
尻拭い紙、つまりトイレットペーパーを丸めて便座に乗せたまま便器の水だけを流して、トイレットペーパーを便座の上に置いたまま便水に落とすこともなかったのである。
そして、ナンバー2をした痕跡があったらしい。
言い換えると、便器の中には、もちろん、ナンバー2が残されたままであった。
その後のレベッカからのレポートで判明したことであるが、ナンバーワンも隣の便器では残留していたそうだ。
このオフィスフロアーのどこかに勤務する女性と思われる数名の人物が、自分の糞尿を自ら流すことをせず、他人に見せるのが趣味であるということがまぎれもなく起きている事実である。
本題の方が短くなってしまったが、まだまだ不可解なミステリィが続くマンハッタンの厠である。
だんだんとアホらしくなって来たので、これで終了します。