
前作の不振、離婚と公私ともに散々な状況だった彼ですが、そんな中で仕上げられたのはレイモンドVSレイモンドという、挑戦意欲剥き出しのアルバム。
タイトルはもちろん、離婚を扱った映画『クレイマー、(※原題ではVS)クレイマー』から採られたと思われます。
しかし、現在の彼の状況を見ると、R&Bの現在の頂点たる彼が、勝つべき相手が自分自身であるという、トップ故の過酷な戦いを意味するタイトルでもあると考えられます。
前作では、決してフォロワーであってはならない彼なのに、変に気の迷いが現れて、凡庸なアルバムに仕上がっていました。本作は、きちんと最前線の音楽を提示する一方、類稀なるヴォーカリストとしてのスキルを堪能させてくれ、そのバランスが絶妙。
近年、とくにここ5年間である00年代後半は、アッシャーだけではなく、R&Bの世界全体で見ても、エイコン・Tペインを除けば非常に停滞が続いた時期でした。
90年代にヒップホップと合流して、息を吹き返していたR&Bでしたが、Tペインの登場で、歌うラッパーが活躍しはじめ、R&Bシンガーはその守備範囲が狭まり、活動の幅を、”白い”ポップ・ミュージックに広げざるを得ませんでした。しかしそこにはすでにジャスティン・ティンバーレイクらがいて、余計に競争相手が増える結果になりました。また、これまで本家R&Bシンガーこそがトレンドセッターだったのに、こういった現象から、R&Bシンガーがフォロワーにまわってしまったような印象が強くなってきてしまったのです。
もうR&Bにはかつてのような輝きを取り戻すことは不可能なのか?
そう思っていた矢先に登場したのが本作でした。
"Monster"
アルバムはジャム&ルイスがプロデュースする本作でスタート。今回はジャム&ルイスがかなりがっつり噛んでいます。
"Hey Daddy (Daddy's Home) "
これはシンセの音が胸キュンなミディアム。
"There Goes My Baby"
どことなくマイケルの作品を偲ばせる、じっくり聴かせるナンバー。このシンセは・・・と思ったらやっぱりリル・ウェイン作品”Lollipop”で名をあげたジム・ジョンシン先生プロデュースでした。
"Lil Freak" (feat. Nicki Minaj)
今最も熱いフィーメイル・ラッパー、ニッキー・ミナージをフィーチュア。往年のソウル・ミュージック・ファンには、スティーヴィー・ワンダーの”Living for the City”使いが涙ものだと思います。
"OMG" (feat. will.i.am)
ブラック・アイド・ピーズの新譜の発売から約一年。もはやR&Bの世界に元に戻れないぐらい強い衝撃を与えたクラブ・オリエンテッドな作品を提供したその仕掛け人will.i.amが現R&B界ナンバー・ワンのアッシャーと組むのですから俄然注目が集まるのですが、これは素晴らしい化学反応を起こしてくれました。
"Foolin' Around"
アルバム中最もお気に入りの曲はこれです。
ジャーメイン・デュプリが必殺バラードを作るときに組む懐刀ブライアン・マイケル・コックスを起用して本気の曲を用意しました。ジャーメインにとっても、色々あってこの曲にかける気合は並大抵のものでは無かったのでしょう。
"Papers"
注目のプロデューサー、ゼイトーヴェンとショーン・ギャレットのプロデュース。どこか懐かしいメランコリックなシンセがアッシャーの芸術的なヴォーカルとうまくかみ合い、神々しいまでの響きを作り出します。
"More"
せっかく日本盤を購入したのでこの曲も。レディ・ガガの活躍もあって一躍売れっ子プロデューサーになったレッドワンを起用。良い曲だとは思いますがなぜ本編から選外になってボーナス・トラック扱いになったのかは、よくわかります。そう、アッシャーはR&Bの世界を取り戻しに来たのです。
ヒップホップとR&Bの融合は90年代を終えるころにはすっかり完成し、もはや不可分なものになっていました。Rケリーらはその融合に合った歌唱法を編み出し、どんどん時代を切り開いていく音楽になっていました。
ところが同時多発テロあたりを境にCDが売れなくなると、コアなヒップホップ・アーティストも路線変更し、R&Bのメインストリームに挑戦し始めます。
それこそがブラック・アイド・ピーズであり、Tペインでした。
そしてその結果始まったR&Bの白人マーケットへの挑戦。
この民族大移動のような現象によって、R&Bの世界はそれまでの勢力図が完全に塗り替えられてしまいました。
そしてその新しい勢力図に”うた”を取り戻す最初の試みがこのアルバム。
新しい”王者”ウィル・アイ・アム”にR&Bの法王アッシャーが戴冠をする瞬間。
それが"OMG"に刻まれています。
昨年マイケルがこの世を去ったことにより、アッシャーはまさしくR&B界の頂点として、これからの人生を歩むことが決まりました。
この作品はそんな彼の決意と、彼に未来を託すR&Bの世界そのものが一体となって作り上げた珠玉の一枚です。