プーリア州で、一番有名な偉人と言ったら、フェデリーコ2世でしょう。日本では、ほとんど知られていないかもしれませんが、13世紀の前半に、神聖ローマ帝国皇帝、そして、シチリア王で、プーリアには、数多くの城を建設しました。
有名なのは、世界遺産の、カステルデルモンテですが、それ以外にも、ゆかりの城は、たくさんあります。
百以上の城が、フェデリーコ2世ゆかりの城、と言われていますが、彼が、補修、改築させた城ということです。
一方、カステルデルモンテは、戦略的に必要な場所ではない、山の上に、八角形の独特な形に建てられたものです。
フェデリーコ2世が、滞在したかどうかは、わかりませんが、娘の、ヴィオランテの結婚式に使われたり、息子のマンフレディの死後、その息子3人が、30年以上も、閉じ込められていました。
カステルデルモンテ
海沿いのバルレッタの城には、好んで滞在していたようです。
現在、フェデリーコ2世の胸像が展示してあります。
バルレッタ
ジョイアデルコッレの城には、4番目の正妻ビアンカが、住み、そこで、亡くなりました。
ジョイアデルコッレ
アルタムーラには、大聖堂を建てさせました。唯一、建てさせた教会です。
アルタムーラ
フォッジャ には、1233年に、王宮を建てましたが、のちに、破壊されました。3番目の正妻、イザベルが亡くなった城です。
フォッジャに近い街、ルチェラには、シチリアから、サラセン人(イスラム教徒)を移住させましたが、現在、イスラム教徒の痕跡は、残っていません。
ブリンディシのカテドラルにて、2番目の正妻となる、イェルサレム王国王女ヨランダと結婚しました。
ブリンディシからは、1228年、第6次十字軍出港。1229年6月10日、十字軍遠征からの帰還。
バジリカータ州のメルフィには、1231年の5月から9月まで、滞在して、シチリア王国のための法律、メルフィ憲章を作成しました。
メルフィ
カステルフィオレンティーナは、1250年、フェデリーコ2世が亡くなった場所で、現在は、八角形の石碑が建っています。
アンドレアのカテドラルには、2番目の正妻ヨランダと、3番目の正妻イザベルの墓があります。
フェデリーコ2世の跡をついだ、息子のマンフレディは、バルレッタの少し北の方に、港を建設、マンフレドニアという町です。
こう見てくると、フェデリーコ2世の4人の正妻のうち、最初の正妻は、プーリアには、まったく、ゆかりがなかったようですが、そのあと、2番目から後は、ずっと、プーリアにいたということに、なりますね。
そして、フェデリーコ2世と、最初の正妻の墓は、シチリア、パレルモのカテドラルにあります。
塩野七生さんの、「皇帝フリードリッヒ2世の生涯」が、お勧めです。ちなみに、フリードリッヒを、イタリアでは、フェデリーコと言います。
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