別府竹細工 | カサデマチャ瀧本のひとり言 

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スペインと日本遠くて近いバモスな2つ

スペインでも人気のあるBamboo 竹




竹細工

歴史を紐解くと

景行天皇が九州熊そ征伐の帰りに大分別府に立ち寄った際、

お供の膳伴が、地域に良質の竹の多いことに驚き

台所方としてお茶碗の籠を作ったことがはじまりと言い伝えられています。

その後も木地師が塩桶から竹を用いた塩かごし
行商用のかごとして広く商人の間で使われるようになりました
 
江戸時代に入ると、別府の町自体が日本一の温泉地として全国に広がり、
湯治客が滞在中に使用したご飯かご、米あげざるといった竹製の台所用品が土産品として持ち帰られ、人気となり飛躍を遂げました。。

明治には竹工芸近代化のための技術者育成を目的とした別府浜脇両町学校組合立工業徒弟学校(現在の大分県立大分工業高校の前身)が創立。全国から多くの竹職人が集まり、今日の優れた製造技術の蓄積、別府竹細工の礎が築かれました。
別府竹細工は土産品の域を越え、
高度な技術を集約した工芸品へと発展。
 
高度成長期に安価なプラスチック製品の普及により、
竹製品の需要が大幅な減少で危機が訪れます。


しかし日常使いだけでなく、美術、芸術としと造形性を高めた竹工芸作家が多く輩出されるようになり、復活。昭和42年には生野祥雲斎先生が
竹工芸では初めて人間国宝に指定。
昭和54年には、通産省(現 経済産業省)から「伝統的工芸品」の指定を受け今に至るということでした。

職人さんの技や文化の辿った歴史に感動しています。