地元の大名藤堂高虎公
6尺二寸と言われ当時の平均身長を30㎝以上も上回る190cm近い大男。
槍で功名をたて体中傷だらけ左右の指もきれぎれいくさ人。
転機は秀吉の秀長公に仕えたこと。
築城や交渉を実践で教わり学び成長していった。
主君を7度もかえたことで司馬遼太郎さんに嫌われ
つい最近まで戦国武士で一番嫌われていた不人気武将です。
しかし戦国時代は主君が値しないとすれば
槍1つで主君を見限るのは腕に覚えがあれば当然のことでした。
高虎公が心から尊敬した上司、主君はただ2人
豊臣秀長と徳川家康。
江戸徳川の世になってからも秀長の菩提を弔い続けています。
慶長四年に墓所を京都大徳寺に移築、十七回忌、三十三回忌を法要、
寛永二年に書院建立。
これと信じた人には尽くす本当の武将です。
仲間も殺され豊臣秀吉は嫌いでした。
秀長の四国長宗我部征伐も
当時侍大将だった高虎の水を絶つに体をはった武功が大きく寄与。
次なる秀吉秀長の
たいわゆる九州征伐。一番の武功は秀長の家老であった高虎。
高虎の城がまたいいんですよね。
全国になんと28もの城を造っています。
最初の安土城あわせればのべ35回とも。
赤木城や層塔型天守の伊予宇和島城
この時自分の先祖は藤堂家に仕え伊勢国までついていくことに。
伏見城や日光東照宮に江戸城などなどです。
高虎の白は高い石垣とすきまない多門櫓が特長。
平和時は物資の貯蔵庫として優れ、戦争時は絶対的な防衛線となるお城です。
いつか大河で観たい2人は
藤堂高虎と立花宗茂です。