今日は父の日ね。
なんだか、お父さんを思い出しています。
おじいちゃんが亡くなるまでは、お坊ちゃまで育った父は、
村で1番早く自転車を買ってもらったそうです。
ランドセルも。
戦前のことなので、今では当然でも、
当時としては、田舎ではなかなかいなかったそうです。
小さい時におじいちゃんが戦死して、生活は一変したそうです。
15歳から1人で働いて
男兄弟3人を私大に入れて、
妹はきちんとした、お父さんの親友にお嫁に出して、
自分のことは何にも贅沢しなかった、お父さん。
生活が落ちつきはじめたころ、私が産まれました。
私は、外車買え!!とか
海外行かせろとか、かなりバカ娘でした。
あ母さんは怒っていたのに、
お父さんは、できる限りのことを考えてくれました。
今、思えば、父は自分が我慢した分
私にできる限りのことをしてくれようとしていたのだと思います。
父が頑張って学校も行かず働いて、叔父たちをよい
私立大学に入学させたことと、叔父たちの努力で
叔父さんたちは大手会社の役員になったり、教頭先生になったり(若くして亡くなったけど)、
アメリカに会社を持ったりと3人とも華やかな生活をされていました。
でも、お父さんは、本当に贅沢をしませんでした。
小さい時、お坊ちゃんだったせいか、
苦労しても、お金がない時でも、
品格あるお父さんでした。
私はお父さんとツツジを継いで、色違いのツツジを育てたり、
蚕を育てて、絹屋さんに売りに行った思い出があります。
お父さんがあまりにもほっぺをスリスリするので、
ひげが痛いと泣いたことも思い出です。
多分私を1番可愛がってくれたのは
お父さんだと思います。
苦労知らずの私は
これからお世話になるんだから、すねだいじにしといてね~ パッパラパ~
とか、言って、我侭ばっかり言ってたね。
父の答えは笑いながら
ばーが(バカの意味です。)
苦労を知らないバカ娘のことを自分が苦労したがゆえに
喜んでさえいてくれたのかもしれません。
会いたいな、お父さん。
最近よく思い出すようになりました。
植物も可憐な山草 コマクサ が好きでしたね。
私もずいぶん大人になりました。
生前お父さんが注意してくれたことなど
思い出して、まじめに生きています。本当です。
親族、びっくりしています。
最近よくお母さんにも言われます。
お父さんと性格似てきたって。
親子の気性って似ちゃうんだね…ハハハ。
嬉しいよ。