春は、不思議な季節。美しいけど、幻想的で、透明で、せつない季節。
3月、レースのカーテンに、うっすら明るい菜の花色の太陽の光がにじむ。
ぼんやりしたまどろみの中、全てが少しづつ目を覚ます。
まだ、何にもなっていないもやもやした形がふんわりと現れて、きょろきょろしている。
まだ、全てが動き出す前の、優しい凪のような時間。
そして、時は進み…
あたたかさと寒さが入り混じる中、始まるものと終わるものも混じり、今まで続いてきた、ひとつの大きなうねりがほどけ始める。
うねった空気の中、顔をあげると、ここまでに出合ったいろんな記憶や言葉が、たくさん浮かんでいるのが見える。
笑ってしまうもの、ハッとしたもの、明るいものもあれば、まったく解消できないような灰色の言葉や記憶も、頭の上に、たくさん漂っている。
一つ一つのかけらを掴んで考え始めても、答えは出ないし、答えが出そうになると、ふっとそのかけらはどこかに飛んでいってしまう。
・・・全てが幻想なのかもしれない。
今の人が、明治時代のセピア色の写真を見て想像するように、この「今」の世界も、未来の人が想像する、「もう消えてしまった世界」、ということになるからかもしれない。今はたしかに、見えているように感じるけれど…。
3月も終わり。
春の嵐がグルグルと吹き荒れて、空気中に漂っていた記憶や言葉達をガーッと吹き飛ばし、まとめて上空に連れて行ってしまう。
これは、完全なる、白黒はっきりした、遮断するようなリセットではなく、有機的で、余地や続きは少し残すようなリセット。
世界の色も、うすいグレイやうすい黄色から、水色、ピンクが濃くなってくる。
4月、桜が咲き始める。
堂々と咲き誇る桜の花びらの薄いピンク色は、華やかでいて、冬の厳しい冷たさの色も含んでいる。
そんな桜の下、また凛とした思いで新しい靴を履いて、背筋を伸ばして立ってみる。
ぽかぽかと暖かい日差しに癒されて、笑顔が集まることもあるけれど、まだ夜は冷たくて、月明かりの下でぼんやり輝く桜は、どこか遠い世界と繋がっているよう。
月と桜は、薄い絹の着物を与えてくれた。まだ、ざわざわする心も、そっと、ふんわりくるくると、やわらかい着物に包まれて、落ち着いていく。
そして、桜が散る頃…。
涙も悲しみも、納得いかない思いも、みんな、あまたの花びらと一緒に、はらはらはら、と風に乗って流れていく。
ふわりと吹く風に、頬も乾かされて。閉じたアルバムにも、可憐な花びらが優しく舞い降りて。
桜舞う風の中に、うっすら新しい香りを感じる。
菜の花と桜の花を吹き抜けて来た春の風を全身に浴びていたら、知らない間に、不思議なこの世界の中で、体の位置を動かされていた。
見えない階段を、一段昇っていた。
いつのまにか、未来、と呼ばれる方角の方を、向いていた。