Seiji Ozawa・Photo : © Shintaro Shiratori


 2024年2月6日に亡くなった小澤征爾さんの訃報に接し、誠に、残念な気持ちで落胆しております。深い哀悼の意を示すとともに、心からのご冥福をお祈りいたしております。
 世界中で小澤征爾(SEIJI-OZAWA)さんに対する哀悼の意がネットやSNSで毎日発信されており、皆様の小澤征爾さんに対する思い出に接する毎日です。
 小生が1980年代に新日本フィルハーモニー交響楽団の定期会員になったころよく小澤征爾さんの演奏会を拝聴しておりました。以来、約40年に渡って数々の名演に接することができました。感謝です。
 小生は、父の影響で中学生のころよりレコード、CDやビデオなどを視聴する際や演奏会に行く前に、楽譜(スコア)を何度も読みながら楽譜の行間にある音楽表現をよく勉強しながら鑑賞し、コンサートに行っていました。現在もそれは、続けています。

 小澤征爾さんの演奏会は、手元にあるコンサートに行ったプログラムによると1983年の新日本フィルとのベートーヴェンヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」や1984年12月、新日本フィルとのベートーヴェン交響曲第9番を始め、多くの名曲を拝聴してまいりました。
 1985年には、ジェーシー・ノーマン(ソプラノ)と新日本フィルとのワーグナー・オペラ(歌劇)「タンホイザー」序曲やアリア曲、楽劇「トリスタンとイゾルデ」より“前奏曲と愛の死”、R.シュトラウスの「メタモルフォーゼン」、「4つの最後の歌」を拝聴しました。
 1986年、ラベック姉妹(ピアニスト)と新日本フィルとのモーツァルトの2台のピアノのための協奏曲やベートーヴェン交響曲第6番「田園」などを拝聴しました。
 1988年には、新日本フィルと三善晃の交響詩「連禱富士」、ベートーヴェン交響曲第4番他を拝聴しました。
 小澤征爾さんの名演で音楽の影響を受けた一人です。演奏者や聴衆を巻き込む情熱的な指揮は、音楽芸術そのものでした。
 また、TV放送などで紹介されたリハーサル風景での指揮は、音楽の表現で強調したいところや大事なところでの熱い指揮ぶりが伝わってきて、演奏者の演奏とともに聴衆にもクラシック音楽の醍醐味がよく感じられました。

 小生が小澤征爾さんの指揮を外国のオーケストラでの演奏会を拝聴したのは、1986年2月、ボストン交響楽団の音楽監督になられてからの来日公演で、バルトーク「弦楽器とチェレスタのための音楽」とベートーヴェン交響曲第3番「英雄」でした。(小澤征爾とボストン交響楽団の初来日公演は、1978年、以降1981年、1986年、1989年、1994年、1999年に小澤征爾と来日公演を開催。) 
 あるTV番組でボストン響の当時のコンサート・マスターのシルヴァースタインさんは、「小澤征爾さんが常任指揮者(音楽監督)になられたころのボストン響の音色は、モントゥーやミュンシュ等のフランス音楽(系指揮者)の影響でベートーヴェンやブラームスのドイツ音楽も、軽やかな美しい演奏が多かった。しかし、小澤征爾さんは、特にドイツ音楽に重厚な音の響きを求めていたので、弦楽器奏者は、弓を弦に当てる時に弓の面を目いっぱい使う奏法に変えて、重厚感ある演奏を行った。」(*1)と話していました。小澤征爾さんは、チェロ奏者であり指揮者で教育者であった齋藤秀雄先生の教えによるドイツ音楽のインスピレーションを実践した逸話でした。1973年より29年間ボストン響の音楽監督を務められたことで、重厚で緻密なドイツ音楽ばかりでなく、ボストン響の常任指揮者であったミュンシュの影響も継ぐフランス音楽の演奏も特異なリズミカルな音楽でいかんなく発揮され、数々の名演や録音を残してくれています。
 小澤征爾さんが得意とするドイツ音楽の神髄的な表現とフランス音楽の洗練された音楽的表現がボストン響で完成の域にあったことを来日公演の演奏会で拝聴できました。また、ボストン響との最後の演奏会では、マーラー交響曲第9番を演奏して、師匠バーンスタインに並ぶ名演奏を映像に残しています。

 同じ年の1986年10月28日にサントリー・ホールのオープニング記念で急病のカラヤンに代わって小澤征爾さんがベルリン・フィル来日公演を指揮し、第一日目は、ベートーヴェン交響曲第4番とブラームス交響曲第1番の演奏会も拝聴しました。

 

Seiji Ozawa・Photo : © 林 喜代種


 小生は、カラヤン指揮ベルリン・フィルの来日公演を、1970年の万博記念来日公演以来、1973年、1977年、1979年、1981年、1984年、最後の1988年の来日公演まで、ベートーヴェンやブラームス、モーツァルトやチャイコフスキー、Rシュトラウスやドボルザーク、ムソルグスキー、ラヴェル、ベルリオーズ、レスピーギ、シェーンベルク等の名曲を生の演奏会で聴いてきました。
 また、1970年には、万博記念来日公演でのバーンスタイン指揮ニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団がベルリオーズの「幻想交響曲」、マーラー交響曲第9番を拝聴しました。小生は、バーンスタインのマーラー交響曲第9番は、当時は高校生でしたが大感動をしたのを思えています。また、往年のバーンスタインとベルリン・フィルとのマーラー交響曲第9番のライブCDは、名演でした。
 小澤征爾さんの恩師で20世紀の二大巨匠大指揮者の全盛期の指揮・演奏会を体験したことから小生のクラシック音楽演奏会の体験は、スタートしました。

 カラヤン指揮ベルリン・フィルで聞いたベートーヴェンやブラームスを小澤征爾さんの指揮でベルリン・フィルの演奏においてオープンしたばかりのサントリー・ホールで聴けたのは、幸運でした。重厚感あふれる荘厳なベートーヴェンとブラームスでした。そして、小澤征爾さんのお得意の2曲でした。

 先日、追悼番組としてNHK-TVで1986年10月30日サントリー・ホールのオープニング記念ベルリン・フィル・コンサート第三日目に小澤征爾さんがベルリン・フィルを指揮し、シューベルト交響曲第7番「未完成」とR.シュトラウス交響詩「英雄の生涯」を演奏した番組が再放送されました。約38年ぶりに再度拝聴しましたが、カラヤンの時代のベルリン・フィルは、重厚感あふれる荘厳なシューベルトで、R.シュトラウスは、重厚感のある弦楽器にブリリアントな木管楽器や金管楽器が華やいでいました。この時代にしか聞けないベルリン・フィルの音色が小澤征爾さんの細やかな指揮とダイナミックな指揮でカラヤンとは、別次元の美しいハーモニーを奏でていました。

 かつて、1981年にカラヤン&ベルリン・フィルが来日公演を開催した折に、TBS-TVで、「カラヤン&ベルリン・フィルのすべて」(*2)という番組が放送され、カラヤンと小澤征爾の対談が放送されました。
 この師弟対談において、カラヤンは、小澤征爾さんに対し「リハーサルの時は、めいっぱい指揮しても本番の時は、指揮をあまりしすぎないように、オーケストラの自然な演奏に任せ、オーケストラ全員に互いの演奏を聞き合うようにすることが重要であること。」また、「オーケストラが自由に演奏できるようにするためには、指揮者は、自らの(音楽的な)考えをリハーサルの時にオーケストラに示した上で、オーケストラの一人一人に、自分の仕事の役割を理解させることが重要であること。」を説いていました。
 また、カラヤンは、「オペラの指揮は、難しい。君でも私でも同じことだが新しい作品をやる時は、頭の中が様々なことで一杯だ。だが、2回目からは、ゆとりが出てくる。どこかで一度(上演を)やってからパリなどの大都市で公演するといい。」また、「リハーサルなしに交響曲の指揮はあり得ないし。交響曲の演奏時間は、40分か1時間だが、しかし、オペラは3時間かかるので、仕事の量を減らして、よく準備をしてから取り掛かると良い。」と、また、「オペラでは、指揮だけでなく、役者(歌手)や舞台のことをよく知らないといけない。そうでなければ、ただ音楽だけを創り出すだけになってしまう。指揮者は、上演される舞台のすべてを知らないといけないからよく準備をして挑んだ方が良い。」などと貴重なアドバイスされていました。師弟関係ならではのアドバイスと言えるでしょう。私たちの仕事にも何か通じる事柄ではないでしょうか。
 また、カラヤンは、「指揮をする上では、オーケストラ演奏である交響曲や管弦楽曲とオペラ演奏は、車の両輪で、両方の演奏の指揮やった方が良い。」と小澤征爾さんにアドバイスしていました。
 小澤征爾さんは、ザルツブルク音楽祭の芸術監督をしているカラヤンから1966年にモーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」の上演を依頼されザルツブルク音楽祭でのオペラ初舞台を指揮しています。今年の小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトの演目もこの「コジ・ファン・トゥッテ」の再演です。
 カラヤンは、小澤征爾さんに「オーケストラ奏者は、指揮に合わせるだけでなく、奏者同志で良く聞き合いアンサンブルを合わせていき、それを引き出すきっかけを指揮で与えてあげるのだ。特に、オペラでは、歌手の声量や表現に合わせて、リハーサル時にオーケストラ奏者と歌手がストリーに合わせられるように、自然に演奏できるように音楽的な(呼吸やタイミングなどの)指揮をしないといけない。」と語りました。この対談は、見ている視聴者に対しても指揮芸術の魅力を伝えてくれる映像でした。

 元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団のクラリネット首席奏者(後にサイトウ・キネン・オーケストラの首席クラリネット奏者)のカール・ライスターさんは、TVのインタビュー(*1)で、指揮者としての小澤征爾さんについて述べています。同氏は、「指揮者はリハーサルが重要で自らが望む音楽をオーケストラが奏でるまで、決して諦めてはいけないが、カラヤンという偉大な師から影響を受けた小澤征爾さんは、リハーサルにおいて、日本人らしい根気強さでこれを成し遂げた」と語っています。
また、「カラヤンは、(作品に対する)ビジョンを持ち自分が納得ゆく準備ができてから初めてオーケストラの前に現れ、ほぼリハーサルで仕上げて、コンサートでは少なめに指揮を振った。彼は、指揮がなくともオーケストラがしっかり演奏することを知っていたからです。それゆえオーケストラの楽員から生涯にわたって尊敬を得ていました。一方、小澤征爾さんは、まるで友人のようにオーケストラに接しました。マエストロという立場を押し付けることなく、実際に彼は、オーケストラの一員でした。本番で生まれる『何か』を信じ、コンサートの舞台に賭けていた点で全く異なっていたこと、それを象徴するエピソードとして、サイトウ・キネン・オーケストラでモーツァルトのディヴェルティメントを指揮した時、小澤征爾さんが音楽に対する感激や喜びから感涙したこと、それを見た楽団員たちも、音楽と共に生きる人間の姿や音楽をそれほど生々しく表現できるということにとても強く心を動かされたこと」を語っていました。


Seiji Ozawa・Photo: © Michiharu Okubo


 1992年新日本フィルとのヘネシー・オペラ:ワーグナー・オペラ「さまよえるオランダ人」(演出:蜷川幸雄)での全曲上演を拝聴しました。普段のコンサートでは、オペラ演奏をあまりやらない新日本フィルの演奏が一段と実力を発揮した演奏会でした。
 その後、2007年に小澤征爾さんがウィーン国立歌劇場でワーグナー・オペラ「さまよえるオランダ人」の公演をTV放送で拝聴しました。一流歌手陣とウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィル)の演奏は、見事なアンサンブルの名演でした。

 1998年小澤征爾さんと新日本フィルは、1997年に新オープンしたトリフォニー・ホールでのベートーヴェン交響曲第9番「合唱付き」演奏会を開催しました。小生も拝聴しました。サントリー・ホールとは違うウィーンの楽友協会ホールに代表されるシューボックス型のホールでの音響を感じた演奏でした。後に、新日本フィルの本拠地ホールとなりました。
 1999年には、小澤征爾さんと新日本フィルは、ワーグナー楽劇「神々の黄昏」より名場面からの楽曲を名歌手H.ベーレンスをソリストと迎え、演奏会形式ではあるものの名場面集を楽劇「ニーベルングの指環」の最終幕を飾る楽劇の名演でした。小澤征爾さんの指揮により新日本フィルの演奏が一段とドイツ音楽の迫力と実力を発揮した演奏会でした。
(その後、新日本フィルは、朝比奈隆指揮でワーグナー楽劇「ニーベルングの指環」全曲演奏会形式(オール日本人キャストでの初演。「神々の黄昏」は、日本初演)で上演されました。)小澤征爾さんは、恩師カラヤンの教えのようにオーケストラ曲演奏の指揮とオペラ演奏の指揮との車の両輪を実践していきました。(Vol.②に続く。)

<写真協力>
 ・ ㈱ヴェローザ ジャパン / 大窪道治 / 白鳥真太郎
 ・ 林 喜代種
 

<参考資料>
 (*1)NHK-TV「世界のマエストロ『小澤征爾の指揮芸術』」2011年4月16日放映

  より。
 (*2)TBS-TV「カラヤンとベルリン・フィルのすべて」

  ~指揮者は、来たり、また去る~ “カラヤンと小澤征爾の対談”

  (1981年6月1日パリ・プラザホテル収録)1981年11月6日放映より。

2024.04.14 (小澤征爾さんお別れの会開催日に)

島 茂雄(一般社団法人日本楽譜出版協会・理事・事務局長・著作権委員会名誉委員・前制作委員会委員長・CARS幹事)


一般社団法人日本楽譜出版協会のホームページ http://www.j-gakufu.com/
CARS(楽譜コピー問題協議会)のホームページ http://www.cars-music-copyright.jp/