Seiji Ozawa・Photo: © Shintaro Shiratori


 2000年、小澤征爾さんは、ウィーン・フィルとの初の日本公演を開催しました。曲目は、ブラームスの交響曲第2番と第3番、「ハイドン・バリエーション」、ハンガリー舞曲、交響曲第4番や悲劇的序曲、アルト・ラプソディと交響曲第1番などのブラームス・チクルス演奏会を行いました。

 小生が、初めてウィーン・フィルを生演奏でブラームスの交響曲を聴いたのは、1975年のカール・ベーム指揮ウィーン・フィルの来日公演でした。ウィーン・フィルのサウンドが実にブラームスの音楽にマッチしていて、特別な名演で感動した演奏会だったのは、今でも記憶しています。(後に、ベーム指揮ウィーン・フィルの名演である1975年、1977年の日本公演全曲がCD化されました。)ウィーン・フィルの演奏は、ベルリン・フィルとは違い、また、別格なオーケストラだと感じた演奏会でした。
 小澤征爾さんが得意としているブラームスの楽曲をウィーン・フィルとの演奏で、サントリー・ホールで拝聴できるのは、格別な演奏会でした。ウィーン・フィルのサウンドであるブリリアントな響きと重厚な低音とのアンサンブルが、カラヤンがサントリー・ホールに提唱したワインヤードの客席に響き、日本にも本格的な音楽ホールが誕生し、ウィーン・フィルの演奏を音楽と音響で堪能できる感動を味わいました。特に、小澤征爾さん指揮でのブラームス交響曲第1番は、同じサントリー・ホールでベルリン・フィルとウィーン・フィルと両方のオーケストラで拝聴したことになりました。実に、忘れられない堪能した演奏会の経験でした。

 

ウィーン楽友協会ホール・Photo: © Shigeo Shima


 小澤征爾さんは、2002年に日本人として初めて、ウィーンの楽友協会ホールでウィーン・フィルの元旦のニュー・イヤー・コンサートに出演しました。日本人、東洋人ではじめての快挙に日本のみならず、世界中で注目されました。CDやDVDもクラシック界では、珍しい約100万部も売れたそうです。
 2002年から2010年まで期間に、小澤征爾さんは、これまた日本人、東洋人ではじめての快挙となったウィーン国立歌劇場の音楽監督に就任いたしました。
 まさに、「世界のオザワ」になった瞬間でした。

 小生がウィーン国立歌劇場の来日公演を初めて鑑賞したのは、1980年、カール・ベーム指揮モーツァルト・オペラ「フィガロの結婚」でした。H.プライ、R.ポップ、G.ヤノヴィッツやA.バルツア等の当代最高の名歌手揃いの名演奏でした。オーケストラと歌手との室内楽的なアンサンブルには、これぞオペラという感動をしました。現在も、このK.ベーム指揮と名歌手たちとウィーン国立歌劇場との演奏は、DVDにもなっています。
 その後、ウィーン国立歌劇場の来日公演は、1986年に「フィガロの結婚」、「トリスタンとイゾルデ」、「マノン・レスコー」、「ばらの騎士」、1989年「パルジファル」、1994年「こうもり」、2016年にムーティ指揮「フィガロの結婚」を観劇しました。

 

ウィーン国立歌劇場・ Photo: © Shigeo Shima


 また、小生は、1992年には本場のウィーン国立歌劇場でもH.ホルライザー指揮のワーグナー・オペラ「タンホイザー」やベートーヴェン・オペラ「フィデリオ」を鑑賞しました。ウィーン国立歌劇場のホールの音響のすごさを堪能し、ウィーン国立歌劇場管弦楽団(ウィーン・フィル)が歌手とのアンサンブル演奏のうまさを堪能しました。

 2004年、小澤征爾さんの指揮でのウィーン国立歌劇場との初来日公演では、モーツァルト・オペラ「フィガロの結婚」や2008年にはベートーヴェン・オペラ「フィデリオ」の名演を拝聴しました。小澤征爾さんが超一流歌手とウィーン国立歌劇場管弦楽団のアンサンブル演奏は、オペラのストリーに合わせた歌手の歌声を邪魔しないオーケストラ演奏の絶妙なアンサンブルは、見事な指揮と演奏でした。
 元ウィーン・フィルの第1コンサート・マスターであるライナー・キュッヒル教授(キュッヒル主宰でウィーン・リング・アンサンブルやキュッヒル・カルテット(ウィーン・ムジークフェライン弦楽四重奏団)で演奏活動。)は、TV番組のインタビュー(*1)で、小澤征爾さんの本質は、「彼の中に典型的な日本人像を感じ、何事にも一生懸命に勉強することであり、そして、その結果として、彼はどんな作品もスコア(総譜)を全て覚え、信じられないほどの確信を持って指揮を振り、オーケストラは、まるで小澤さんの中にある磁石によって常に正しい方向へと引っ張られるようであった」と語っていました。
 また、「一人として同じ指揮者はいません。指揮者の勝敗が決まるのは、オーケストラの前に立つ瞬間です。相手の前に立ち目を見据えれば、その相手は既に負けている。相撲の力士と同じでしょう。」と語っていました。
 さらに、「指揮者は、様々のことにすぐ対応できて、オーケストラから何か特別なものを引き出せれば指揮者の勝ちになるのです。」「どの指揮者にも独自なスタイルがあるのです。」
 また、「2000年のニュー・イヤー・コンサートの素晴らしさは想像を絶し、ニュー・イヤー・コンサート史上最高の演奏であった」と絶賛しています。
ライスター氏とキュッヒル氏のお二人のお話は小澤征爾さんの本質を言い当てていると思います。
 後年、小澤征爾さんは、2009年のNHKの番組「100年インタビュー」(*2)の映像の中でも「恩師カラヤンからカラヤンの弟子をしていたころに指揮芸術の極意を教わった。カラヤン先生は『指揮者は、演奏者に音楽をInvite(インバイド:招く、招待する、迎い入れる。)することが大事だ』と教わった。」とインタビューで述べていました。小澤征爾さんは、リハーサルで奏者と音楽表現について、音楽の入りのタイミングやリズムや楽器奏者同志の音楽的バランスやハーモニーを入念に奏者に対して指揮ぶりや言葉でコミュニケーションしています。

 

Seiji Ozawa ・Photo: © Michiharu Okubo


 また、小澤征爾さんは「個(個性:一人、一人の)を大事にして、自分の考え方、思いを大切にして、個を表現するようにと」述べています。「音楽を演奏表現するには、作曲家の書いた楽譜をいかに深く読み解くかで、楽譜の行間を考察するようにと齋藤秀雄先生に教わった」と述べています。「作曲家の生きた時代環境ばかりでなく、作曲家がどういう感情や思いを音楽表現したいのかを楽譜の行間から作曲家の語法を学び、演奏表現に洞察するように心がけて、そして、そのことが、指揮者としての個性のある音楽表現に結びついていくのです。」と述べています。
 小澤征爾さんは、「サイトウ・キネン・オーケストラについて」(*2)では、「齋藤秀雄先生に学んだ奏者同志が良く聞き合いながら同じ奏法で、アンサンブルを合わせることで、より音楽が深まることを実践できると思い、そして、世界の代表的なオーケストラと引けを取らない演奏を実現できる。ウィーンを始めヨーロッパや米国で実践して演奏が実現した」と語っています。そして、「あるマネージャーから『場所を一か所に決めて、世界の音楽祭のようにやった方がよい』というので、長野県の松本で新ホールが建設されるというので、実現しました。ここで、恩師カラヤン先生が言っていたように、カラヤンが創始したザルツブルグ復活祭音楽祭のようにオーケストラ演奏とオペラ上演を同時に実践し開催することになりました。」と述べています。
 サイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)は、1984年9月、偉大な教育者であった齋藤秀雄氏の没後10年に、彼の教え子であった指揮者小澤征爾の発案により、秋山和慶ら門下生100余名が、メモリアルコンサートを開催しました。これが基礎となって生まれたオーケストラです。1987年に第1回、1989年には第2回ヨーロッパ・ツアーが行われ、ウィーンやベルリンなどの音楽の都で「ウィーン・フィルやベルリン・フィルに並ぶ音を出す、小澤とともにやって来た驚異的なオーケストラ」と絶賛されました。1990年には小澤征爾の指揮によってザルツブルク音楽祭を始めとするヨーロッパ各地のフェスティバルに招かれ、1991年ロンドン、デュッセルドルフ、アムステルダム、ニューヨークの世界ツアーを実施しました。1992年に長野県松本市をSKOの本拠地とした「サイトウ・キネン松本フェスティバル」(現:セイジ・オザワ松本フェスティバル)が開幕しました。以降、毎年世界から注目されるオペラ公演やコンサート公演を開催しています。
 SKOのメンバーは、ベルリン・フィルやボストン響等ヨーロッパ、アメリカ、日本などの代表的なオーケストラの主要メンバー、ソリスト、室内楽奏者、教育者として世界中で活躍しており、国際的なコンクールの入賞者も多いです。それぞれの音楽家が個性豊かな音楽性を持ちながらも、SKOへの参加を通じ、オザワ・スピリットとも言える音楽に対する姿勢、精神が培われ、伝統的な一つのオーケストラのようになっています。その類稀なる特色は次世代の若手音楽家たちにも受け継がれ、このオーケストラは世界で際立った存在感を示しています。
 小生は、2000年サイトウ・キネン松本フェスティバル(現:セイジ・オザワ 松本フェスティバル)での小澤征爾さんとサイトウ・キネン・オーケストラとのベートーヴェン・オペラ「フィデリオ」序曲、交響曲第5番と第5番を拝聴しました。アルプス山脈に囲まれた松本市で自然環境豊かな地域で松本市挙げての音楽祭となっていました。オーストリアのザルツブルク音楽祭やアメリカのタングルウッド音楽祭等に似た雰囲気の中で町あげて応援している風土がみなぎっていました。
 そして、小澤征爾さんは、いつもオーケストラ楽員と一緒に登場し、コンサート後も楽員と一緒に退場していました。指揮者もオーケストラ楽員の仲間(一員)なのだからと言っているようでした。
 2004年には、新日本フィルとのラフマニノフのピアノ協奏曲第3番とベートーヴェン交響曲第7番を拝聴しました。
 2007年、東京のオペラの森公演でのワーグナー・オペラ「タンホイザー」を拝聴しました。上演の演出は、最近、ヨーロッパで流行している現代的な演出ですが、小澤征爾さんの演奏は、ワーグナーらしく重厚な響きをしていました。オーケストラは、東京のオペラの森特別編成のオーケストラでした。小澤征爾さんのオペラ上演で歌手とオーケストラとの見事なアンサンブルの代表的な演奏でした。
 2008年、新日本フィルとのモーツァルトのディヴェルティメントとオーボエ協奏曲とチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」を拝聴しました。
 いずれもサントリー・ホールでの公演で、小澤征爾さんの得意中の得意曲目の「ベト7」と「悲愴」でした。ベートーヴェンの交響曲第7番は、小澤征爾さん生涯でも多く演奏された名演です。(恩師カラヤンもこのベートーヴェンとチャイコフスキーの「悲愴」を演奏会や録音も多く行っています。)

 同じ年の2008年に小澤征爾さんとベルリン・フィルと「カラヤン・メモリアル・コンサート」でも演奏しています。アンネ・ゾフィー・ムターとのベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲とチャイコフスキー交響曲第6番「悲愴」をベルリンのベルリン・フィルハーモニー・ザールとウィーンのムジークフェラインザールでも演奏しました。TV放送で拝聴しました。
 カラヤン亡きあとベルリン・フィルは、奏者が大きく変わりました。ベルリン・フィル・サウンドも次の指揮者アバド以降大きくサウンドが変わりました。
 しかし、小澤征爾さんが指揮をするとカラヤン時代の重厚なベルリン・フィル・サウンドが復活し、緊張感と集中力のあるブリリアントで重厚な演奏が戻ってきました。小澤征爾さんの情熱的な集中した指揮がもたらした名演奏だと思いました。

2014年新日本フィルとのベートーヴェンの序曲「レオノーレ」第3番
2014年水戸室内管弦楽団とのベートーヴェン交響曲第7番。
2016年水戸室内管弦楽団とのベートーヴェン交響曲第5番。
を拝聴しました。小生にとってこのオーケストラ・コンサートが小澤征爾さん指揮の最後の演奏会となりました。

 

ベートーヴェン像・画像:ウィーン楽友協会所蔵


 小澤征爾さんは、ベートーヴェンの時代は、オーケストラといえば、現代のような4管編成のオーケストラではなく、2管編成の60名くらいの室内楽的なオーケストラであったので、ベートーヴェンやモーツァルトの曲を当時の編成で演奏してみようという趣旨で、また、弦楽四重奏などの室内楽演奏を充実させることがオーケストラ演奏の原点なので、水戸芸術館の館長の吉田秀和さんと水戸室内管弦楽団を編成しました。また、指揮者なしでの室内楽演奏も充実させるために演奏活動もしています。
 2019年小澤征爾さんと水戸室内管弦楽団とマルタ・アルゲリッチとのベートーヴェンのピアノ協奏曲第2番が最後のライブCD録音になったようです。

 2016年、小澤征爾さんとサイトウ・キネン・オーケストラは、「セイジ・オザワ 松本フェスティバル2013年、ラヴェル歌劇『子供と魔法』公演ライブ」の録音でグラミー賞オペラ部門賞受賞しました。小澤征爾さんは、「『子どもと魔法』は僕がパリのオペラ座でデビューした時のオペラです」と、この作品は小澤征爾さんにとっても思い入れの深いオペラだったようです。
 2017年には、小澤征爾音楽塾でのビゼー・オペラ「カルメン」の名演を拝聴しました。本格的な舞台装置や演出の上、小澤征爾さんの指揮のもと世界中の歌劇場の一流歌手が名演を行い、小澤征爾音楽塾オーケストラが名演奏を行いました。この演奏が小生にとって小澤征爾さん指揮の最後のオペラ公演になりました。
 2019年、小澤征爾音楽塾ではオペラ「カルメン」が再演されたのですが、小澤征爾は、京都公演、東京公演では、指揮をしましたが、小生が見た横須賀公演では、アルミンク氏が代演の指揮をしました。
 2022年に小澤征爾音楽塾では、J.シュトラウス喜歌劇「こうもり」も再演されました。小澤征爾音楽塾での小澤征爾さんのリハーサル風景がTV放映され、序曲の冒頭のウィンナ・ワルツの独特な三拍子のリズムやハーモニーを力説されて熱のこもった演奏指導をされていました。
 2024年に小澤征爾音楽塾では、モーツァルト・オペラ「コジ・ファン・トゥッテ」が再演されています。

 小澤征爾さんのもう一人の師匠であるレナード・バーンスタインがタングルウッド音楽祭で若い人々を育てたように、小澤征爾さんもボストン響の時代にタングルウッド音楽祭に音楽監督として参加して、若者のための音楽会やタングルウッド・ミュージックセンター・オーケストラで若手の指導を行いました。
 小生は、1960年代に米国CBS音楽番組で放送されたバースタインとニューヨーク・フィルハーモニックが開催した「ヤング・ピープルズ・コンサート」、日本でもTBSが放送したと思います。最近DVDが発売されていました。(*3)
小学生くらいの子供たちを招き、コンサート会場で生演奏することで「音楽の魅力」や「音楽の楽しさ」を伝えているこの番組は、小生も中学生のころTV放送を見て、音楽の魅力を理解するのに、大変役立ちました。
 小澤征爾さんも朋友の山本直純さんの「オーケストラがやってきた」とういう番組に多く出演され、若い人達に音楽の魅力を伝えました。また、著名チェロ奏者ロストロポーヴィチとともに「音楽キャラバン」と称して、全国の街や田舎の小学校やお寺で若い人達や地元のクラシック音楽を聴いたことのない人々に音楽の魅力を伝える音楽会を開催しました。「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」でも子供ための音楽会や学校での音楽会などを積極的に多く開催してきました。また、奥志賀でも「小澤国際室内楽アカデミー奥志賀」の名称で世界の若手音楽家による弦楽アンサンブルで、若い演奏家たちの室内楽の演奏会を開催していました。地元の人々の協力があって長年開催を続けていき、若い演奏者の育成と奥志賀の人々との交流が続いていました。
 

Seiji Ozawa ・Photo: © Michiharu Okubo/2016OMF

 「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」は、小澤征爾さんがオペラ演奏を若い音楽家たちに体験してもらうために、ロームの協力でオペラを通じて若い音楽家を育成することを目的に2000年に立ち上げたプロジェクトです。恩師カラヤンの教えである「交響曲とオペラは、車の両輪のようなもの」を持論とする小澤さんが「教えること」に生涯を捧げた一人の恩師 齋藤秀雄のスピリットを受け継ぎ、若い音楽家たちにとともに学ぶ場として開催しています。毎年、国内外のオーディションで選ばれたアジア諸国の若い音楽家たちでオーケストラを結成し、小澤征爾さんとサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーをはじめとする演奏家のもとで指導を受け、演奏者間の分奏や歌手とのリハーサルを重ねながら、世界的な歌劇場で活躍するオペラ歌手や演出家とともに高水準のオペラ「小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト」を創り上げています。今後も小澤征爾さんのスピリットをサイトウ・キネン・オーケストラのメンバーを中心に後進を育成していってくれるでしょう。
 また、小澤征爾さんは、数多くの名演奏をNHK-TVなどを通じて放送やCDやDVDで残されました。小生の私設アーカイブでありし日の小澤征爾さんの演奏を再度、拝聴しています。
 小澤征爾さんのご冥福を心よりお祈りいたしております 合掌

<写真協力>
・㈱ヴェローザ ジャパン / 大窪道治 / 白鳥真太郎
・林 喜代種 
・ウィーン楽友協会
 

<参考資料>
 (*1)NHK-TV「世界のマエストロ『小澤征爾の指揮芸術』」2011年4月16日放映

   より。
 (*2)NHK-BShi「100年インタビュー 小澤征爾 ~西洋音楽と格闘した半世紀~

   2009年6月25日放送より。
 (*3)DVD-Cmajor 「バーンスタイン ヤング・ピープルズ・コンサート」Vol.1,2,3

   (C Major/ King International)


2024.04.14 (小澤征爾さんお別れの会開催日に)

島 茂雄(一般社団法人日本楽譜出版協会・理事・事務局長・著作権委員会名誉

     委員・前制作委員会委員長・CARS幹事)

一般社団法人日本楽譜出版協会のホームページ http://www.j-gakufu.com/
CARS(楽譜コピー問題協議会)のホームページ http://www.cars-music-copyright.jp/