男性誌「sabra」来年3月号で休刊 【論文】
http://www.yomiuri.co.jp/entertainment/news/20091019-OYT1T00894.htm
なぜ休刊が相次ぐのだろうか?
このような論文は不要だと思うが、とりあえず述べてみる。
男性誌が相次いで廃刊や休刊になってきている。もちろん男性誌だけではないだろう。本ご売れない、本発行部数が伸びないのが現状であろう。
昔、本屋に行くのが楽しみだった。新刊のにおいにワクワクしながら本屋を一周していた。漫画にしても、雑誌にしても、科学の本に、文房具なんかも物色していた。
知らない内容が、そこには書いてある。見たこともないものが載っている。どんな情報も幼い子には魅力的で新鮮であった。
成長と共に、見る本が変わってきた。興味も変わるし、理解できる知識まで備わってきたからだ。
平凡パンチ、スコラなんて雑誌もあったと思う。思春期にはこの本を買うことさえ、緊張してレジに並ぶことが難しかった。
戦後、ラジオ放送が始まった。ラジオに変わってテレビが出てきた。ラジオはなくなることなく、今でも細々と流れている。最近ではテレビ離れも懸念されている。
これらはすべてネット社会のせいだ。知りたいときに、見たいときに、検索をすればすべて情報は手に入る。知らなかったこと、見たことないもの、本にかかれてないことまで、知ることができる。もちろん本当か嘘かは見ている本人次第だ。本を買うよりは手軽で簡単だ。
廃刊、休刊の度に話題になり、ニュースとして取り上げられる。
それはネット社会に変わっていくぞ。という警鐘なのであろう。
遼は「54」、「51」イチローに続け!【論文】
http://www.nikkansports.com/sports/golf/ishikawa/news/p-sp-tp1-20090908-540974.html
なぜ、人は数字に縁起を拘るのだろうか。
冒頭に断っておくが、これに答えはない。
「野球やろうぜ! 」
「俺、四番サード背番号3」
なんて小学生の頃、友人がそう叫んだのを思い出した。なぜ”四番サード”なのか。巨人ファンであるならば、よくお分かりであろう。しかし私にとっては全く意味がない。四番を打つよりも一番で打ちたかったし、サードよりピッチャーのほうがよかった。
投手では18、香港では8、ラッキー7などとよく聞く。日本では4や9が嫌がられる。しかし好んで9を付ける人をTVにて見たことがあったし、知人は4が好きだったのを覚えている。
数字の良さというのはなんであろうか。以前高名な人が使っていた、もしくは語呂がよい。その程度だろうか。
数字における”数”ではなく、”見た目”の重要性が高いのではないだろうか。
かくいう私も「好きな数字は何? 」と聞かれたことがある。なんだろ、好きな数字は、好きな数字をつくろう、そう思った。やっぱラッキーセブンか、末広がりか、割れない奇数がいいな、とか考えた。考えたということは無理やり好きな数字を作ったのだ。ピンとくる数字はなかった。ラッキーだった日や数字はそのときで、その場で変わる。数字に拘る必要性が見出せなかった。
でも語呂は気になるかな。最近の私の流行は2と8です。(笑
やはり数字という単に”見た目”だけなのだろうか。しかし答えは記事中にあった。
― 成長を求める姿は、「限界をつくるな」「一番の目標は人として成長すること」などの考えにも共通してい
る。―
恋愛ゲームが注目のキーワード1位 【論文】
オトコはどこへ向かうのだろうか?
恋愛ゲームが、mixi日記「注目のキーワード」1位になったようだ。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0909/04/news098.html
ゲームソフト「ラブプラス」は、従来の女の子と仲良くなるまでを競うゲームだけでなく、恋人になってからの毎日を楽しむゲームだそうだ。現実と同じように進む時間や季節の中で、コミュニケーションを積み重ねて、イベントを楽しみ、より彼女との関係を深いものにしていくゲームだそうだ。それがキーワードで1位を獲得した。
しかしゲームと言えば、昔のようにオタクがやる文化ではなくなってきた。最近の子供たちはひとり1台持っているだろうし、大人でさえ1家に1台のペースとなってきている。それにゲームも進化してきた。通信ネットワークを駆使したり、健康や学習など大人向けのソフトを開発したり、より手軽に、また必要性を感じるものとなってきている。そしてまた現代社会にも問題はあるだろう。自然が減り、外で遊ぶ子供も減少していき、遊ぶものと言えばゲームをするようになった。
たとえば、庭に飼っていた犬はアパートやマンションでは飼えないところが多い。その飼いたい願望はゲームの中で発散することが出来る。昔流行った”たまごっち”や”シーマン”、また犬やネコをゲームの中で育てて、いかにも飼っている錯覚を作り出すことができるの。
要するにできないことの願望をかなえるために、ゲームの中の仮想にて満足しようとしているのである。
それが今度は”彼女(オンナ)”という仮想のものになってしまい、恋愛ゲームとして流行してきているようだ。
オトコは何を楽しみにいきているのだろうか。衣食住が揃えば、あとは性欲しかないはず。異性の楽しみほど目指すものはないはずだ。オンナを摑まえるためにはそれなり努力と、または現実をみる必要性がある。例え”草食系男子”と言われてきても、実際には性交も行なうことができるであろう。しかし仮想の中では子孫となる子供は生めないのだ。
時代が変わり、現実逃避をし、最後には子孫を残すオンナにでさえ逃避してしまったら、オトコとして何を生きがいにしていけばいいのであろうか。ゲームに満足していればそれだけ十分なのだろうか。
誰もがひとりでは生きてはいけないはずだ。
例えるならばエビ、カニ、ナッツ!奥深き昆虫食の世界
「セミは一度食べたらやみつきになる人も多いですし、みなさんにとってもなじみのある“食材”でしょうから。しかもとれたては最高においしいですよ。」
「確かに日本人は虫を食べる民族です。明治時代には、タガメやバッタ、ハチなど50種類ほどの虫を食べていたんですよ。その時期にとれる虫を佃煮などにして食べることが一般的でしたが、なかでもイナゴやカイコのサナギはよく食べられていましたね。特に、稲作や養蚕が盛んな地域では頻繁に食べられていました。ただ、戦後、食品の流通が盛んになり、いろいろなものが食べられるようになったことで、“昆虫”という食文化は徐々に影を潜めていったのです」
http://r25.jp/b/report/a/report_details/id/110000007550?vos=dr25rss000000000001
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昆虫は食べたことない。
別に食べたくはない。
目の前に出されたら、知らずに食べるだろうな。
悪いものでもないし、おいしければいいんじゃない。
“生”では進めてないようだけど。
昔、川で遊んでいたら「うまそーな泣き声だ」と、となりにいた爺さんがつぶやいていた。
それはウシガエル(食用カエル)の泣き声だった。
あのカエルはデカイし、鳴き声は大きいし、オタマジャクシも大きい。
子どもにしては、ちょっとした生き物だった。
しかしそれを食べるの???
食べることなく、成長してきた(笑
「まずい」「くさい」から一転 大阪の「水道水」おいしい 【論文】
なぜ都会の水は不味いのだろうか。それを気付く都会人は少ないのではないか。
井戸水で生まれ育ち、それを飲んできた人はどれだけいるのだろうか。水の旨さを端的に見分け、説明することは難しいかもしれない。水にも軟水、硬水など用途に分けて使用するのがいいようだが、そこまで考えて水を使っている人は少ないと思う。また「水を買う」という概念がない昔とは違い、今ではよく見かけるように自動販売機に水が売られていて、それを購入する人も多い。
しかし実際にはレストランやおみせでは、水は無料でサービスされている。この水を飲んだことがある人はもちろん多いだろう。その水は美味しかったか。それに気付く都会人はいない。私は決してお店での水を飲み込まない。口の中を濯ぐ程度だ。それはサイトに紹介されているように、カルキ臭がして飲み込むのに抵抗があるからだ。しかし都会人はカルキ臭にあまり気付かないし、気にならないようだ。それは水道水で育ったから水というものはカルキ臭がするものとして抵抗がないのであろう。
例えば、お店によってはレモンを絞った水が出される。これはレモンの香りでカルキ臭を消し、飲みやすくしているものだ。確かにレモンを入れた水は、匂いもよく飲みやすい。お店としてはサービスのひとつでもあり、料理にとっても重要なポジションに違いないからである。
要するに「水」が不味いと感じる地方出身者も含み、無料である「水」を改善して美味しくしていくのは、ただの自慰行為だと思える。浄水場の導入や、古い水道管の交換、直結給水の普及も裏ではお金がかかっているのだ。本当に水の味を変えて何に使うのであろうか。ご飯を炊くのに水の違いがわかるのであろうか。只美味しくなったというわけで、井戸水のように夏は冷たいということではない。「都会の水は不味い」ということでお金をかけて改善する必要性が全く見えない。お金が動くということは天下りの業者の発展を促していくだけであって、本質である「水」については考えてはいないと感じる。
若年層の「酒離れ」が進行 【論文】
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090805-00000000-sh_mar-sci
なぜ若者の「酒離れ」が進行しているのだろうか。
お酒に限らず、車や旅行も若者が見向きもされなくなってきている。それは生活している中での、嗜好品でしかないからであろう。楽しめるものとして、旅行に車、お酒が挙げられるが、それを楽しむと感じる若者が減ってきたからであろう。
また飲酒運転がクローズアップされ、飲んだら飲むなの傾向としては外出先で飲酒するとは考えにくく、減少の経過を辿るであろう。
裕福な国に生まれた若者は、生まれながらして全て揃っていた。車に乗って、旅行にも出かけ、最初にアルコールを口にする割合は、家庭での一口だそうだ。こう見返すと、若者としてはもうすでにやり尽くした感があるのではないだろうか。高度経済に伴って成長してきた日本は、次々と物を作り、発展し、開発され、楽しみを覚えてきた。現社会を見返すと、不景気、政治不信、自然環境など、今後への不安のほうが強い。そんな中、お酒を飲む楽しさや飽きた遊び、お金がかかる嗜好品に目が向かないのである。
要するに若者にとっても、違う遊びを覚えてきたのだ。本を買うお金よりも携帯電話に支払うことを優先する。車を買うことよりもパソコンを買う。これを若年層の進歩と仮定するならば、それに乗り遅れる業界の叫びとして「~離れ」というキャッチフレーズが出てきたのであろう。嗜好品と考えるものは、すでにお酒ではないのである。
ビートたけしの絶対見ちゃいけない TV 【論文】
昨日深夜テレビ番組で放映していた番組“ビートたけしの絶対見ちゃいけないTV”。
何を見てはいけないTVなのだろうか。絶対に見てはいけないTV?このタイトルがもう古めかしいかもしれない。
テレビでの放映には規制がかかっている。それをスレスレの状況で放映する。しかも後から、多方面よりクレームが入るかもしれない。それを承知の上で放送をする。
その考えがもう古いだろう。ネット社会では言いた事、伝えたい事、好きなことを言い放題の状況である。そんな中、規制がかかるような内容ではつまらない。テレビ放映が限界まで頑張ったとしても、またそれも生放送で行なったとしても、所詮はスポンサー付きのテレビ番組。目新しいものなど何もない。情報など各個人に伝わるのは、ネット社会のほうが早い場合もある。
例えば、ビートたけしを起用し、以前のようなブームを巻き起こせるかと思っているのだろうか。下ネタばりのゲームや際どい写真を載せる。話題になりストリップに転向したアイドル小向美奈子の生着替えや、常識を外れた過剰なコメントに一喜一憂する。見ていても何かが面白くない。
確かに写る映像としてはタイムリーに見ることができ、その瞬間は釘付けとなる。しかし、目を奪われたとしても長続きはしない。それは会話やコメントが毒付いても、誰もが考えることができる内容だし、その上誰もが言える社会状況に変化しているからであろう。
要するに一方的な垂れ流しだけでは、テレビを見ているだけの受け側としては飽きがくる。会話のコメントが上手い、キャッチボールやかわし方が素早いなどの内容ではない。見てはいけないテレビというだけあって、本当に放映できない内容でもない。テレビ局側の視聴率低迷やスポンサー離れしている情勢で、どうにかしようという努力は感じることはできるが、ラジオが衰退してきたように、テレビも衰退していくことに歯止めはきかないだろう。“絶対見ちゃいけないTV“は”是非見て欲しいTV“として放映すべきである。
トキ20羽を9月29日に放鳥 野生復帰へ2度目 【論文】
環境省は佐渡トキ保護センター(新潟県佐渡市)で飼育してきたトキ20羽を9月29日に放鳥することを決めた。昨年に続く野生復帰の第2弾。斉藤鉄夫環境相が4日の閣議後の記者会見で明らかにした。放鳥するのはオス8羽、メス12羽。大半が野生復帰に向けた訓練を積んでいる。環境省などは最終的に60羽程度を野生に定着させることを目指している。
http://www.nikkei.co.jp/news/shakai/20090804AT1G0400P04082009.html
なぜ放鳥するのだろうか。
私たちと自然とは切ってもきれないものである。ご存知のようにトキは日本では絶滅した鳥で、現在は中国から輸入して飼育している。日本の自然界の中で、絶滅した鳥を戻す努力をしているのだ。しかしなぜ自然界を元通りに戻そうと人間は必死なのであろうか。
人間のせいで自然界は壊れてきている。それは生物だけではない。もちろん連鎖において森や海や川、そして生物におけるまで壊れてきている。それは人間のせいだけではないかもしれない。しかし人間が生き抜くために、便利に行なうために、致し方ないこともあると思う。それが自然界においてよいことばかりでなく、悪いこともありそのせいで壊れてきているものもあるだろう。
人間のせいで壊してしまった。それを元通りにすることができるのであろうか。人間も自然を取り戻すため、あらゆる手段で回復するための努力をしている。しかし己のためにお金をかけ自然を壊して、その後、またお金をかけ自然を取り戻そうとする姿は、本末転倒のような気がするのだ。
要するに自然破壊の根源的な原因は、人間が生きていくための発展に伴ってきた。それを見直しより良い社会を作っていきたいのであれば、修復としてお金をかけて行なうことを考えずに、社会発展の方向性と自然環境への影響を見定めて行なうことが必要ではないかと考える。トキを飼育し放鳥するまでに、どれだけの税金と労力が必要になっているのであろうか。しかもそれが成功するともわからない。壊れた物を元に戻す努力より、トキが戻ってくるような、自然界を破壊しない発展へと発想を考え実行するべきだと思う。

