東京駅には色々な人が居る。


つい4日前にはスーツ姿で全力疾走する橋本聖子を見たのだが、

今日は昔の恋人を偶然見てしまった。


年配の女性と一緒に居て、にこやかに笑っていた。

彼が身につけているものは、私が知っているものではなかった。

が、きっとあれは彼だったと思う。


彼と別れてちょうど1年。

昨年の1月に、それまで1年間一緒に暮らした家を出て、

別れに至るまではあっけなかった。


私は彼に悪影響を与えたと思っている。

もともと彼は前向きな人であったはずなのに、

私が当時の仕事に対する不満をよく口にしているうちに、

同じ仕事であった彼までもが不満を持つようになり、

どんどんそれが進行し、批判的な態度を増し、皮肉をよく口にするようになった。

私はその態度変容がイヤだった。


そして彼は転職し、失敗した。


彼の希望転職先への転職に成功した私と彼の間の亀裂は大きかった。

ネガティブになった彼はついに私への嫉妬も露わにするようになった。

私はそれに耐えられなかった。


今日見た彼は、ちょっと険が取れていたように思う。

ブランド物が好きだった彼が今日身につけていたものは、高価そうではなく、地味だった。


そんな彼を見て、色々な思いが駆け巡った。

一緒に生活していた人なのに、すでにそんな記憶さえ消えかかってた自分に少し罪悪感を覚えた。




私の部屋の階上に住んでいる人はとにかく足音がすごい。


歩くと音がドシ・ドシ・ドシとしているのみならず、

たまに「ドッシーン」という、びっくりするような音がする。

その音たるや、まったりとテレビを見てる私が思わずビクッとしてしまうほど。

決して大げさではありません。

あれはおそらく、ベッドから飛び降りているか、その場でジャンプしているか。


現に、昨日来てた友人がいちいちびっくりしていたから。


この部屋に住み始めたばかりの頃、階上の足音で寝られず、

2・3度、管理会社に頼んで注意をしてもらったことがある。

その後しばらくは収まるものの、すぐにまた元通り。


人に注意をするのって、ものすごいエネルギーが要る。

それが見ず知らずの他人だと、なおさら。

うるさいのだけでもストレスなのに、

注意する、という行動にまた大きなストレスが伴う。

結果、なんでこっちは迷惑かけられてるうえにこんなストレスを感じなくちゃいけないのかと

それ自体にまたイライラしてしまう。


さらに、「注意をしたのに改善しない」というストレスも加わる。


結果、「諦め」という方法を選択した。


しかし今日も「ドッシーン」が派手に続いた。


こうなると、無神経である人のほうが得をしている気がする。

集合住宅において、隣や下の人に少々の気を遣って住むのは当然じゃないのか?

なんでそんな常識が備わってないんだろう。

そしてその常識が備わってる私が不快な思いをしなければならないのはなぜだろう。


これって、部屋だけじゃない。

電車のなかでも、会社でも、なんでも、公共と呼ばれる場所ではすべて。

常識が備わっている人間が損をする構造が定着している。


しかし今日も私は我慢をする。

注意をすることに伴うストレスを感じるのがイヤだから。

ああ、こうして非常識な人間がどんどん野放しになっていくのだろう。

そのことに若干の罪悪感を覚える生真面目な私。




「不幸のパッケージ」

友人が、私の恋愛状態をこう表現した。


制約付の関係のなかに居る私。

「付き合ってるわけじゃないのに」

という前提で感じている楽しみ、喜び。

「付き合ってるわけじゃないから」

という理由で押さえ込んでいる不満、不安。


つらい思いをしないように、自分でコントロールしてる事柄の数々。


思い当たるフシはたくさん・・・

友人の言葉が、ギクリと当てはまった。


結局、制約付だから居心地がいいだけじゃないのか、と。

都合の悪いことは、「付き合ってないから」、

都合のいいことは、「付き合ってるのに」。


無責任な関係から生じる特別感とスリル。

真剣な関係ならば考えるべき、大事なことは見ないフリ。


自分の気持ちをセーブしないと決めてから、ヒートアップ気味だった私。

少し、クールダウンできそう。

でもこれは、「クールダウンしなくちゃ」じゃなくて、ちょっと「クールダウンしてみようかな」。

だからストレスフリー、なはず。