帰国後日記(仮)
2003年末、21歳時に渡米。ニューヨークに6年暮らす。縁あって出会った仲間達と濃厚で刺激的な日々をおくっていたが、ふとしたキッカケから更なる刺激と成長を求め1年4ヶ月に及んだ世界放浪の旅へ。ゴールは日本、そして2011年3月頭に帰国してきたらいきなり東日本大震災が発生、日本の更なる国難に直面。母国社会復帰の前に被災地支援に熱き賛同者と共に乗り出し、その日々を綴っていたのが前のブログ。ここはその後の生活を書いていきます。
Amebaでブログを始めよう!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>

入社

帰国後日記(仮)-渋谷区立中央図書館

7月になりました。

本当は今日付けで入社という事に成っておりましたが、プロジェクトの進行上で1週間早くオフィスに配置され、バタバタとした一週間を過ごしておりました。

面白い事が出来そうだという安易な理由で惹き付けられた今の会社ですが、非常に厳しく格好良い上司に恵まれ、同僚の方も魅力ある方々です。海外を飛び回る社長にも今月お会い出来る事に成っており、非常に楽しみです。

日本におけるファッションの世界というのは学生時代から感じている事ですが、元々ジメジメしたものですし、この世界にいる男は基本的にヤローらしさもなく、卑しい奴も人の足を引っ張る俗にいう"女の腐った様な奴"(これは女性に失礼な比喩だとは思いますが)も沢山います。
ですが、そんな湿りきった世界でもバシッと一本通してやっていきたいと思います。アツく生きてりゃ邪魔や妬みはあるだろうけど、負けねぇ、、、それだけの事は海外で積んで来れたと信じていますから。

我が家の男っつーのは代々糸にまつわる事をカタチを変えながらやってます。俺達の世代というのは海外と闘っていかねば成りません。だから俺の代で潰すわけにはいかないし。
未だに影響力は凄いとは言っても西洋の時代は終焉を迎え、アジアやアフリカこれまで"後進国"、"途上国"と呼ばれていた国が急進的に伸びて、乱世とも呼ぶべき時代です。そんな中日本は認められつつもビジネスの市場から除外されつつある。

そんな時に大震災もおきてしまい、国難は厳しさを増しました。
技術的には先進国でも、国民の多くの思考が停止し、政府は売国奴政権、犯罪も増加、アジアの無法地帯になりつつある。解体しかかっているこの国が安全だと思ってるのはもはや危機感の欠如以外のなにものでもない。

そういう状況でも反撃の狼煙はあげて世界の第一線へ再びMADE IN JAPANを。。。その気持ちを持った男がどれだけいるかは知りませんが、俺や周囲の仲間はそれぞれの分野でそれなりにその滾る気持ちをある者は胸に秘め、ある者は全開にさらけ出し、ある者は黙々と取り組んでいる。

デザイナー、スタイリスト、テキスタイル、職人、パターンナー、DJ、グラフィックデザイナー、、、俗にクリエイターやアーティストと呼ばれる人達の色んなニッポンを世界に発信し、世界から良いもの、面白いものを紹介、吸収する仕事はすなわち日本の強化につながると信じてます。

僕に何が出来るか、というより出来る事を一つずつコツコツやっていくしかありませんが、一つの組織の一員としても今日から改めて宜しく御願いします。

分岐点を進む

帰国後日記(仮)-Shige neko

まだまだうすら寒い朝夜、でも夏はもっと暑くなるんだろうなぁ。

ここ数日は関西に行っていた。
沢山の人と会って色々決めてきた。先の事がちょっと漠然としてたんだけど、これで一応色んな事がまたガッチリと動き出す。
これからまたニューヨーク時代の様に忙しく成るらしい。めでたく現場復帰でございます。もちろん支援の事も本気でやってたから結構忙しかったけども。

NPO法人の登録には意外にプロセスが長い事もわかったし、どうやって動いてくかは皆でチョコチョコ話し合って決めていこうという事に成った。
とにかく被災支援というより皆で面白い事をやりながら日本を小さなところから元気にしたいからその母体にしたいなという思いがあったのだが、それは仕事の方で出来るかもしれない。だから上手にリンクさせていかなくては。

そういえばこれまで相当自由にやってきたんだけど、そんな自分に嫉妬してしまった可哀想な方から最近前ブログアカウント宛てに猛烈にネガティヴなコメントを連射された。話し相手がいないのか、友人がいないのか、電車の中での暇つぶしに適当に相手してあげていたんだけど、何をどうしたいのかサッパリ!(笑)こう考えるとカウンセラーって凄い仕事だよね。

日本に帰ってきた途端陰湿な奴から多々絡まれるんだけど、嫉妬ってのは自分でどうにも成らない要素を他人にぶつけるというか、八つ当たりみたいな行為で非常に情けないって、久しぶりに再確認。しかも日本人とアメリカ黒人同士は世界で最も足を引っ張り合うってデータがあるって聞いた事があるけど、本当なのかもな。

とにかくネットで匿名で吠えてる奴ってのはどうしようもない。
認められたいなら、そういう風に動いていくしか無いのにね。他人にぶつけるという事は己の無能さを露呈しているって事だしな。
まあそんなストーカーみたいな奴をおちょくりまくってたら周りに注意されてしまった!(笑)もうコメントに返信する事もないだろう。俺は分岐点の先へ進みます。

さてさて、明日からまたバタバタしますが、今月は冗談抜きに痩せよ。日本帰ってきてからというもの少々食い過ぎだから。

蒼きアドリア海より

帰国後日記(仮)-Cattolica

スカっと晴れた青い空の下ではためく洗濯物、ひっそりとした古い石畳の道は昔から時を止めたかのよう、楽しく調理された美味しいご飯に厳選されたワイン、そして、、、アドリア海を思い出す。ジメジメとした日本の梅雨、、、8年ぶりの憂鬱。

それもそのはず、アドリア海から写真が送られてきた。
現在イタリアに渡った知人が送ってくれたもの。その中の一枚には親友がうつっている。すごく充実しているんだろうなぁ、、、と思うと良い刺激。
僕の親友の何人かは今も海外で頑張っている。楽しくやってる奴も辛い道を進んでいる奴も、日本から遠く離れた土地で現地に馴染み、そして己を高めているんだ。

キリっとした親友の表情を見て自問自答
『今この日々は充実してるって言えるのか?』

たまたま発生した震災以降、困った人がほっとけないって性分もあり、自分のしたい事が増えてしまったのでそっちにかかりっきり。逆カルチャーショックの連続の様な日々だが、だんだん馴染んできて、、、いやいやこんなんで良いのかよ!

世の中の男がAKB48とかいうグループに骨抜きにされ、大事な事に目も凝らせていないこの社会、もっと他に目を向けなくちゃいけない事実、現実があるんじゃねぇか?と思いつつ、それが今の日本の主流って聞くと情けないというか、『少なくとも自分らだけでもしっかりやろう』って思う。
じゃないと、何の為に帰ってきたんだかわからなくなるからね。

最近FacebookやTwitterも仕事に絡む人々が沢山覗いてくれる様に成ってしまい、公私混同も良いとこだが、おそらくそういう垣根もあまり作らない方が良い時代なのかも知れない。オープンであっても、自分という芯を見失うんじゃねーぞって写真の向こうの親友が言ってる気がした。

悩みながらも仕事とNPO法人を同時進行させる、そんな日々でだけど前進の糸口は発見した。頑張ろ。

Egli deve la ricevuta del mio amico che ha visitato il suo Ristorante. Sono orgoglioso di voi!!! so quanto il mare Adriatico bello..!!
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 最初次のページへ >>