帰国後日記(仮) -3ページ目

人間の本質

帰国後日記(仮)-女川で

「お父さんとお母さんは他の避難所の人を助けに出ているんだって。」

これは震災孤児に成ってしまった小さな子供の一言だった。

その場にいた全ての者は言葉を失った。
涙ぐむ人もいた。
立ち去る人もいた。

何も言えない、何も出来ない、、、。

だからせめて自分に出来る精一杯、、、やらないとね。

その子にお菓子を渡すのが精一杯だった俺、、、無力さを痛感した。

俺達は今回、6台に分乗、1、2、3号車は宮城県に荷物と人を届けに、4号車は福島県の相馬市へ荷物を持っていく為に、5、6号車は後からボランティアに駆けつけてくれ一緒に瓦礫撤去。素人なりに頑張って動いた。皆が後押ししてくれて、100人を超す方からの物資の供給があったり、支援金をお預かりしたり、、、まぁそれこそ個人でこれだけの人が助けてくれる奴は恵まれてるとしか思えない。

逆に今回何もしなかった人を責める事はない。何もしないのも勿論人生の選択、ひたすらに自らの稼業に精を出すのも選択であり、経済をまわす事は非常に大事な事である。
だけど「やる、やる」っつって何もしなかった奴の背中が透けちまって、一緒にいる事への価値がちょっと見いだせないでいる。それが、、、寂しい。口だけなのが見えてしまったり、思考停止っぷりが見えてしまったり、人間の本質が見えてしまったり、、、この震災でクラックがはしったのは何も被災地だけじゃないんだよね。

そんな切なさもありつつ、、、
次の事を考えて動いてる。

以前のブログは5月11日でしめようと考えている。
宜しくお願いします。

(※写真の子達は親御さんがいます。格好良いお父さんでした。)

受けた善意

帰国後日記(仮)-がんばろう福島

こないだからFACEBOOKで自分が呟いたりしてる内容を書き留めておこ。

・いわき市へ行くって決めた時、物資も車も無かったのに、”行ける男いますか!?”との問いかけ、一時間もしないうちに”車出すよ!行けるよ!!””こんなメッセージ見たら行くしかないだろう!!”って我先にと名乗りを挙げてくれた人が二人もいた、そしてそれに続いてイタリアから帰国してきて時間が限られている親友まで挙手してくれ、貴重な一日を物資運搬の為に費やしてくれた。3人には起爆剤となってくれた侠気を感じます。

・ゴールデンウィークの遠征に真っ先に名乗りをあげてくれた先輩、そして彼の高高校時代の同期生の方も一緒に工具持参で遠征参加してくれる。彼らの強いバックアップが行動に変化をつけてくれる。

・近所のトンカツ屋さん夫妻が僕が行ってるのを知って、本当は買い占め行為に見られてしまうだろうし、店としては駄目なんだけど、なんとかツテを頼ってドラッグストアで多めに老人用オムツと赤ん坊用オムツを買ってきてくれて、置いていってくれた。そしてその近くのクリーニング屋さんも新品のタオルを提供して続いてくれてる。育った商店街の溢れるパワー、ニクいね。

・高校の時の同期生、10年ぶりに会った奴含めこちらからは何も求めてない。強制もない。でも遠く名古屋に住む子に”誕生日おめでとう”と連絡入れた流れで色々話してたら、”少ないけど、頑張って”翌日入金してくれた。遠くにいる同期生の変わらぬ友情を感じる、、、。あぁこういう人達と出会えてあの高校に入って本当に良かったな、ってさ。

・FACEBOOKに何々が足りないと書いた日に横浜の子が速達で石鹸を沢山送ってくれた。しかも支援金もすぐ送ってくれた。こんな迅速なコンボ技も中々無い。同じく子供服をちょっと良いお店で買ってくれて迅速に送ってくれた先輩もいらっしゃる。大阪から女性用の化粧品などかゆい所に手が届いた詰め合わせをすぐ送ってくれた子もいる、彼女は7年以来に同SNSで再会したのに関わらず、すぐ動いてくれたし、今は古着集めにもう動いてくれている。

・口座を開設したら”絵本代の足しにして”、と素早く支援金を提供してくれた方がいた。そしてその話を横で聞いていた別の方も、”今財布にあるのはこれだけだけど”と寄せてくれた。その時にお会いした事の無い方からオヤジ経由でこれまた支援金をアドバイスつきで頂いた。人の避難所のリアルな現場に対する本当の心配は、真実の善意へつながっている。

・各種物資を僕らの宮城行きに向けて、その前の段階で届く様にと四国じゅうから集めてくれてる子がいる。彼女の元からここへ送られてくる物資、四国の人々の優しさの塊でしょ。

・突っ走る僕を止めてくれるMG、自らも相馬市といわき市へ一度ずつ赴いてくれ、ぐったりした時は運転を代わってくれました。女性ならではの動きで女性被災者のニーズを聞き出してくれたり、mixiという僕が使わないツールを使って周囲の人に物資供給を呼びかけて迅速に集めてくれたりしている、彼女の親父さんも多額の支援金をポンとふってくれた。その心意気に感謝してます。

・埼玉の友達のお母さんは僕が気合い入れてやってんのご存知だそうで、家の前に”こういう人がいます、物資下さい”と書いてくれた紙を誤解も恐れず立てかけてくれてるらしい、そして先日物資が少しドロップされたのだそうだ。何事もやってみるべきではないだろうか。そしてその友達本人は日曜日に荷物を直接持ってきてくれる。

・NYで知り合って隣町に住んでる子は実家近辺に戻って、支援物資をスーツケースと紙袋いっぱいに詰めて、持って帰ってきてくれた。おまけにガラガラとスーツケースをひいて歩いて届けてくれた。しかも本人は22日からボランティアで宮城の石巻へ行っている。何重にも活動の幅を広げているよね。

・ブログを通じて支援金を送ってくださったり、オヤジおすすめのボランティア団体に送金してくれた方がいらっしゃる。会った事も無い僕の活動を信じてくれた人がいるって事が驚き。他にも支援金を”使え”と豪快に送ってくれた大先輩方もいらっしゃる、お金を人道支援にふれる方がこれだけいるんだから、まだまだ日本は捨てたもんじゃない。

・今NYに住んでいるのに、川崎の実家に連絡して来週頭に荷物を集積しているのにあわせて荷物をピックアップ出来る様にして用意してくれている人がいる。しかもご実家の料理を”食っていって”とまで申し出てくれたその優しさ。

・隣の池袋本町町会は町の緊急用の水を僕らの宮城滞在の為に”使ってくれ”と出してくれるそう。これでコメ炊けるしカップラーメンも食える。

・地元の後輩の一人、認識もしてないし、直接可愛がった事もないけど、妹から話を聞いてこの週末水を持ってきてくれるって子がいるらしい。同じく妹から話を聞いて物資を提供してくれたり、支援金を送付してくれた人もいた。

・NYで集めた支援金を赤十字社じゃなく、どうせなら知った人の動きに投じたいと周りに呼びかけてくれている後輩がいる。彼らの呼びかけで、いつも行っていた店に集まっている募金をこちらに預けてくれるという話まである。地球の裏側から非常にアツい申し出だよね。

・チリやホコリ、しかも季節の変わり目、ジンマシン出たら作業につかえるからClaritin(米国の抗アレルギー薬)送ってくれとFACEBOOKで書いたら”送ります”と5人も名乗り出てくれた。

・出張で日本に短期滞在中の方が、ゴールデンウィーク遠征では地元である岩手県まで行けないのに、この遠征で使ってくれといって支援金を”ココはケチるとこじゃない”としてくれた、しかもご飯までご馳走に成った、やる気と元気に加速ついた。こういう人がポジティヴな生き方を教えてくれるよね。

・宮城行きの時に福島行きの物資も宮城行きの物資もどちらも充実させて持って行きたいと思い、無理を承知で”来週木曜夜から出発するけど、福島に荷物を置いて帰る班に参加してくれる男いますか!?”と募ったら即一人挙手、そして中学の同期生が次の日ミーティングあるのに関わらず名乗りを上げてくれて、3台で行ける事に成った。

、、、。

数えてくとキリない。
だらだら列挙して申し訳ないけど、僕は周囲の人々の善意と熱意を代弁する権利がある。違うだろうか?
人それぞれやる事は違う、正直”何かあったら言って”って言っておいて、本当に頼んだら消える人も数人いたし、FACEBOOKでいつの間にかfriend's listから消えてた人もいた(笑)、普段偉そうな事言ってるのにこのイザって時に「PRAY FOR JAPAN」ってマジナイみたいに呟き続けるだけの人もいる。冷めすぎていて、こういう活動を斜め目線で見てオシマイって人もそれなりにいる。

でも消えるのも呟くのも祈るだけってのも人の生き方、僕らの関係には問題ない、個人的にそう思ってる。元から友達に何を求めるとかじゃない、だけど、受けた恩は忘れないってのが普通だ。その何倍もの優しさと温情を感じているのだから、支援活動しながら幸せな気持ちに成るってのは絶対恵まれてるよね。

思考停止した頭でボケーっとTVを見て文句や講釈タレる人が500人周囲にいるより、素早く何らかの行動を起こす人が50人じゃきかないぐらい周囲にいる事に気付いた。一つ提案したら何もかもが素早く決定し、物事が動き出すまでの時間もフライング気味ぐらい早いって事に感激している。多くの人が何かをしようと動いてくれている。絶対報われる日がくるよ、彼らは。

いわき市市長から感謝状が届きましたが、市長からもらった事よりも、現地の人の率直な感謝は僕の周りにはこのブログやFACEBOOKを通して感じてもらっていると思います。海外からも”お前を誇りに思うよ””TVで報道が止まらないフクシマに行っているのか!”といった類いのメール、メッセージや書き込みを多数頂戴しましたが、僕はこの協力してくれている僕の周りを讃えたい。皆がいるからこういう事が出来るんだから。

人は一人じゃすげー事は絶対出来ない、大企業のトップだって優秀な相方や部下、同僚、そして取引先などに囲まれているから良い仕事が出来るわけであって、一人じゃない。一人でやってる様に見えてもそれは無いでしょう。

皆で力をあわせるべき国難、何もしないでブーたれてる人!意識をそろそろ次のレベルへ。

ちなみに昨日繁華街から家まえでの帰り道、原付に乗ってたら黒塗りの車がスーっと幅寄せしてきてスモークウィンドーあけて
『オイ!コルク半、オマエ地元ドコ?』
まぁ、、、僕の地元のアホは変わってないねー!!こんな時も同じ事やってやがる。アッタマきちゃって、逆に相手のウィンドーの中に顔突っ込んで
「日本が久々すぎてメットがこれしかねーんだよお兄ちゃん!人に絡む暇あったらお前の財布ン中身くれよ。アホな事やってっと身ぐるみ剥いで被災地に送っちまうぞ。」
って言ったら別に追ってこなかった。

やっぱりアメリカ人やブラジル人と比べられない、情けない輩だ。腕っ節だーカネだー、権力だーって普段肩切って歩きながら言ってて、イザって時に身体の一つも張りやがらねぇんだから、背中スけてんよ。

そんな暇はナイ!

100を1000に

帰国後日記(仮)-2011311

正直、自分の父親がブログでまっとうなNPO団体を紹介したら、北は北海道、西は九州、果ては海外から「アンタが言うなら」ってんで寄付金がバーっと集まったんだと。実際そのNPO団体は信じれると思う、何だかオヤジとは講演会か何かで知り合った仲らしくて、真摯に被災者の為に動いているボランティアのプロらしい。
(以下は彼らへの寄付=ダイレクトに被災者の為に使われる。赤十字やユニセフみたいに3割とか間引かない団体)


  第四銀行 長岡市役所前支店 普通口座1327436
  NPO法人米ニケーションセンター


  北越銀行 小千谷支店 普通口座 596231
  (特非)おぢや元気プロジェクト

自分が今いくら集められるか?なんて言ったら情けなく成っちゃう。
何となく自分の無力を感じる。人間ってそういう時ない?
しかもテメーのオヤジに出来て自分に出来ないと駄目なんだ、これが。
僕は自分の先輩らに出来て、自分に出来ないと不機嫌になっちゃう(笑)いつまでもガキなんじゃね、きっと。

で、分析。
今何が出来るか!?ってこと。
どういう状況で何を活かして何が出来るか?ってこと。
オヤジは寄付してくれる人は見つけられるけど、マジで被災地に行く様なガッツあるナッツ持った男を集める事はちょっと不可、だから、自分はそういう男を探しながら自分で行く、、、と決めてとりあえず有志の友人達と3回(いわき2回、相馬市1回)行ったんだけど、これが功を奏して次の宮城遠征にはかなりの人が力を貸してくれそう。

こないだ地元の食堂で初対面の人とお話しした、7つ上の先輩で、まぁいわゆる近所の悪ガキの一人だったという共通点があったけど、ジャーナリズムの世界で生きている彼とは話があったよ。あ、いた!みたいな。やっぱウチの先輩だなーって。

彼が
「オマエみたいなアツいのが100人の本当にアツい奴の気持ちを動かす事が出来れば、本当に助けが必要な1000人の気持ちを救えるかーしんねーゾ。頑張ろうや!!」

お世辞にも良い青春時代じゃなかったし、良い中学じゃなかったんだけど、僕の先輩を名乗る人はやっぱり後輩には良い刺激を与える人じゃないとね。ポジティヴに生きてれば、こういう出会いは必ずあるし、出会いには縁がある。
腐れ縁や宿命じみた縁もあれば、本当に良い縁もある。良い縁を大事に生きてけばこれまたポジティヴに成れる事が続くんだから不思議よね。

今僕の地元は静かに動き出している。
段ボール4箱ぶんのオムツを持ってきてくれた人もいるし、金銭的にサポートを名乗り出てくれた人もいるし、妹から事情を聞いた後輩も物資を寄せてくれると言う、、、皆さんには頭が上がらない。

俺自身なんでこんな事やってるか、とにかく人が人を助けるのに理由はいらないよね。明日の我が身を東北の人が今直面されているというだけ。

しっかし大阪の口だけヤローどもは頭くるわ。
「必要なモノあったら言って!」
って現地の人に言っておいて
「ホントの緊急事態だから、出来ればこれが必要なのでください」
と言ったら音信不通っての、これが許せん。それがどれだけ人の失望を買うか。
マジかよーって思ってたけど、実際僕にもおこったこの遺憾な事件、これまた大阪の男、、、良く喋る口だけに腹立つわー、金持ってて”持ってんでぇ、オレ”とか言ってんのによ、お笑いだけ見てろ。むしろお前がお笑いだ!!

そんなこんなで、28日の夜から宮城県へ行く事に決定した。
友達とその友達を乗せて、それぞれのご実家で落としていくプラン、協力してくれる先輩とそのお連れの方と一緒に物資も積んで、工具も積んで(彼らは職人さんだから、物資補給に立ち寄った避難所に不備があったら、簡単に処置してくれるそう)向かう事に成った。
最終的な行き先はおそらく女川という所に成るかな、最初に”行ける?”って聞いてくれた友達の地元ね。
何か出来れば良い、やる事あらば何でもやらせて頂きたいからね。