娘が子宮頸がんワクチンを接種してからまる13年が過ぎようとしています。
最近は、娘が空気に近い存在になりつつあると感じます。
相変わらず、臥床時間が多くて、夕方近くに一旦起きて来ますが、
就寝まで、やはりベッドに横たわったり、起きたりの反復で、夕食だけを顔を合わせて食べるようにしています。
12歳で接種したので、臥床している年数の人生のほうが長くなりました。
私の結婚生活も結婚後の方が長くなりました。
数年遅れで高校へ入学し、皮肉なことにコロナに助けられて卒業が出来ました。
そして、通信大学へ入学しましたが、それから、もう4年目ですが、遅々として単位取得もままならず、スクーリングも申し込みを忘れてできなかったり、体調不良などで、進んでいません。
それでも、娘は、いつか治ると信じて、たくさんの夢を持って、淡々と生きています。
まあ、元々が、マイペースで野心剥き出しみたいなものもなく、常にあるがままの現状を受け入れるという性格でもありました。
それは、生後6ヶ月から感じていた娘の性格です。
じたばたせずに静かに受容する。
2歳くらいの頃から、だめな時に、
じゃあ、こうしようと、そこに拘らず、立ち止まらず切り替えも早かったことに
親はどれほど励まされ救われたことでしょう。
高校進学の時も、現状では通いきれない無理だと、療養の道を選びます。
その後も、願書を取り寄せては、内申書を頼めないまま断念する年、内申書を頼んだけれど、出願を諦めた年、そして出したけれど受験しなかった年と、自分の体の声に耳を傾けて、焦ることの無かった娘です。
(ただ、接種後から、少しだけ、その気持ちのコントロールが難しい時ができた気はしています。)
当初は、私が中卒のままということに拘り、抵抗があり、焦っていました。
でも、最近、人生は長いか短いかもわからないけれど、焦ることないなあと腹が括れるようになりました。
そうして、焦らなくなり、娘の状態も落ち着いて来たこともあり、自分の時間を持つことが出来て来ています。
息子の出た小学校のボランティアに参加したり、子ども食堂のお手伝いに行ったり、高校のお手伝いに行ったり、被害者仲間との日帰り温泉でのひとときを過ごしたりしています。
それと、朝活をしています。
朝活に出会ったことがとても大きいと感じています。
今更なので、暴露してしまいますが、
国の救済の道を開いた礎を築いてくださった
横浜市議会議員の輿石且子市議に頼まれて、
鎌倉市倫理法人会という会に入会しました。
私を大きく変えてくれたのはこの会の入会が大きいと思います。
宇宙と共にあることに感謝すること。
そこに普遍の倫理という
昔から日本人としてごくごく当たり前に躾けられてきた
生きる姿勢のあり方を学ことで
多くの拘りから解放された気がします。