ワクチン接種後の記憶障害と児童虐待と人の繋がりについて | キャロリン。の日記

キャロリン。の日記

幸せで、安寧の日々を過ごせるために食からの健康として自然栽培の農産物と日本の伝統文化・信仰に沿った暮らしを提供しています。

 

渋谷区の保育園の収支を2017年頃だったか?渋谷区役所でコピーして貰った資料を探していた折に、

もう7〜8年前くらいに作ったひつじのショーンが出てきた。

 

被害者娘と、私で作ったものだ。

 

ところが、見せても

娘「何?これ?」

 

私「ひつじのショーンを、あなたと作ったでしょう。」

と言ったのだが、

 

娘「ショーンに似てるね。」

 

私「これ、あなたと私で一個づつ作ったんだよ。関西にいるときに・・・」

 

娘「?????私、あの頃の記憶はすっぽ抜けてるから・・・何も覚えてないんだよね。」

 

そうかあ。あの当時の記憶は壊滅的に空白なんだ〜。

時々、色々な場面で記憶がないことに遭遇すると内心やはり愕然とする。

 

ただ、今は、割となんとかなっているし、

ネット上などで、コロナワクチンの被害者の声を見聞きする度に

今、命があることに感謝する。

 

 

 

この動画の中でも、ブレインフォグ、記憶障害が語られています。

名古屋市大の久米教授も、「事実を伝えることが大切なこと。」「将来的に薬害になるのではないか・・・」「コロナは命に関わる病気ではない」・・・・・等

とのこと。

 

それだけではない、友人が末期癌状態の知らせが入った。闘病1年ちょっと。

他にも、2年くらい前に夫婦で一年以内に癌で亡くなった。

「うっ!」って言って突然倒れてそのままその日に帰らぬ人になった40代の友人。 

下血して、その晩亡くなった友人の母。

悪性関節リウマチになった友人の夫。

鬱になり自殺した友人。

 

義母も、予診票を私が取り上げていて、打たないようにと言い続けていたのに、大学病院から療養型病院に移った翌日に初回、その後2回と接種されていた。1ヶ月くらいで脳梗塞で倒れたときに、もしかしたら、ワクチンを義弟が接種させた?と思った。しかし義弟は接種させていないとのことだったので、義母に聞くと上記の通り家族に相談なく、2回接種させられていた。そこで、義母には、「もう絶対打たないで」と言ったのに、翌年2月に3回目を接種し、今度は腎盂炎に罹患した。もちろん家族への相談許可の打診もない。

 

コロナが来たすぐの頃から、私は、

「これワクチンが来るけど、絶対に打ったらいけない。打たないで。」

と、家族や大切な友人に言った。

友人は、スルーし白い目で見たりするだけだったが、家族の方が酷かった。

「来るな!」と言うし、恐怖でものの受け渡しも「庭に置いてある軽トラックに載せておくから、消毒液も置いておくから全部よく消毒して行け。」と言うので、怖がることないよ。おかしいでしょう。と言い聞かせても無理、挙句は、「どこの新聞テレビで報道してる?陰謀論者!」と怒鳴る。用事があって電話してもガチャ切りになった。

実母は孫がこれだけの苦しみを受け、高校へも行けずに馬鹿になったのに、自分では、どこへも行けないのに、誰に頼んだのか?2回も受けて来た。そして、口内炎が出来るようになり、唇が腫れ上がり、動悸息切れが酷くなり、胃腸が壊れた。

 

今、こうして、4年が過ぎ、ワクチン開始から3年が経ち、

訃報や体調不良の話をたくさん耳にする中で、

娘が被害を受けた時に署名活動をし、その時にお願いしたら、多くの友人と疎遠になった一人から連絡を貰った。

「実はさ、従兄弟がワクチン接種して具合が悪くなり、その苦しみから自ら命を絶ってしまったんだよ。最初の署名の時も、今回も何度もメールくれてワクチン打ってはダメ。って言ってくれたことに初めて耳が傾けられた。ごめんね。本当に私馬鹿だった。日野市に住んでる弟からも、危険だから打たないようにって言われたんだけどね〜。打ってしまったんだ。」

そう言ってくれた。そして、断絶していた交際は再開した。(めでたしめでたし)

だけど、

 

本当に、この偽パンデミックは、地域や人と人との絆を割くため、思いやりや労りの心をなくさせるためとしか思えない。

 

今こそ、地域や社会で連帯して、相手を慮る心を再開すべき時なのではないかと思うのです。

 

 

あ〜すごい脱線しました。って言うか以下が余談ですね。

 

それでね、その晩に、息子が「タクシーに乗ったことがある?」と聞いた。

そこから、被害者娘が、「上野動物園に行った帰りに乗った。妹が生まれる前だから、2歳くらいの時」と言った。息子が「よくそんな小さい頃の記憶があるな〜」と感心して言った。

 

そんな話から、被害者娘の口から、衝撃な事実を知ることになった。

なんと、生後6ヶ月から、9ヶ月のときに通った保育園の思い出、記憶が紐解かれた。

この内容が私にとってはとても衝撃的だった。

 

「その保育園では、園庭の隅の木下にいつも、ベビーベッドみたいな檻の中のベビーカーに一人で入れられて、暗闇の中で、遠くの園舎の電燈が明るくついてる部屋を毎日眺めていたんだ。最高に嫌だけどいつも思い出す思い出なんだ。」

と、静かに淡々と言われたのだ。

 

実は、たった4ヶ月でその保育園を辞めることになったのは、娘の眼差しが虚になって表情がどんどん乏しくなって、笑わなくなっていくことに居た堪れなくなって、仕事してる場合じゃない!と思って退園の決断をした。それから2歳になるまで手元で育てた。

 

被害者のその娘が、園庭に一人置き去りにされるだけの理由はわからないでもない。

娘は、生まれてから昼寝というものをしたことがない子だった。

ショートスリーパーで、朝も4時や5時には私たちを毎日起こすし、とにかくタフな子だったし、

昼寝の時間に昼寝が嫌で号泣されたら、保育士さんもそれは嫌だろうなあと思うのです。

また、人見知りも酷かったので、それも大変だったと思う。

 

でも、その夜になっても園庭に置き去りにされて、遠くの園舎の明かりのついた部屋をぼーっと見つめていたことは知らなかった。

笑わなくなって表情が乏しくなった時点で、辞めさせて良かったと思うと同時に、

「ごめんね。そんな辛い気持ちを、トラウマをずっと抱えさせてきたこととそれを知らなかったことは本当に申し訳ない。」

と、謝った。

 

生後9ヶ月の記憶は鮮明なのに、12〜18歳19歳の記憶がわからない。覚えていない。

ワクチンを接種して、副作用(副反応)の被害に遭うと、こういうことになることもあるのです。

 

よく情報を調べて欲しい。最後に、厚労省のワクチン副反応検討部会のページを貼っておきます。

 

 

情報を取ることは安心した人生を貰えるのです。