10月23日(日)「流離の涙」 


 犬童球渓は、明治から大正にかけて活躍した作詞家・教育者です。『旅愁』『故郷の廃家』の作詞で知られ、日本の近代音楽に大きな影響を与えました。
 東京音楽学校に推薦で入学した球渓は、卒業後に兵庫県丹波市の旧制柏原中学に音楽教師として着任します。熱心に指導に励みますが、折しも当時は日露戦争が勃発したばかりで、男子生徒たちは「音楽など軟弱だ」と反発します。
野次を飛ばす、授業をボイコットするなどの妨害に遭い、心身をむしばまれた球渓は職を辞し、新潟県の学校に赴任していきました。
 しかし球渓はその後も生徒たちを思い続け、新潟に移った後、柏原中学校の交友誌に寄稿した文章では、「流離の涙止めあへず」と別れを惜しみ、「学校を離れたのは自分の不徳の致すところであった」という内容を述べています。また、後に同校から校歌の作曲を依頼されたときも快く応じるなど、誠実で優しい人柄が垣間見えます。
 後年、授業妨害した生徒が、学校の記念誌の座談会企画のなかで、涙ながらに当時の行いを懺悔しています。師と生徒の思いは、時代背景、互いの若さなどによってすれ違うこともありますが、いずれ届くことを教えてくれる話です。

【今日の言葉】思いはいつか伝わります

《一言コメント》
初めて、犬童球渓氏のことを知りました。
時代時代で、価値観は大きく変わります。
しかし、人間の持っている真心は、いつの日か、必ず、伝わるものだなと思いました。

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※この記事は、コミニケ出版「月刊朝礼」より。ご希望の方は下記のHPで
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