震災から8日が経ち、多くの方々の努力にもかかわらず、捜索活動は思うように進んでいません。

地震の後の 津波 が、何と云っても 多くの犠牲者を出した原因のようです。

原発事故も、まだ、安心出来るレベルには成っていません。

食料や石油などの生活物資も、まだまだ、行き届かないのが現実です。

被災地で不安な日々を過ごされている方々の事を思うと、胸が痛む毎日です。

そんな中、ニュースを見て、感動しました。

被災者向け「最後の営業」=津波壊滅の給油所―宮城 と、ありました。

$社長の独り言
宮城県・塩釜港を望む七ケ浜町。東日本大震災の津波で大半が流され建物の骨組みしか残っていない給油所で、必死に地下タンクから軽油や灯油をくみ出そうとする人たちがいた。

 厳しい冷え込みの中、避難所は暖房用の灯油や自家発電に使う軽油の不足にあえぐ。寒さに震える被災者の「何とかならないか」という頼みに、「地下タンクは無事かもしれない。店はもうだめだが、お世話になった地域の皆さんに残った油を役立ててもらえたら」と経営者の男性(52)が応じた。
 給油ポンプは既になく、停電で動かせる機械もほとんどない。使うのはノリ養殖でノリを吸い上げる機械。男性の叔父(72)がタンクに合うよう改造した。
 叔父も津波で機械の販売店を喪失。「養殖のいかだも全滅した。店は廃業。使い道がなくなった機械だし、役立てないと」と笑顔で話すが、声には力がない。
 「いけるぞ。使えそうだ」。機械が吸い上げた軽油がホースの先から流れ出す。1台だけ残った配達用の小型タンクローリーに「命の燃料」が少しずつたまっていく。
 「これで私が給油するのも終わりだろう。最後に役に立てて良かった」と男性。雪が舞う中、30年近く続いた店の配達最終便が出発した。 

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何とか生き延びた、被災者の方が、自らの生活の場も失っているにも係わらず、献身的な努力をされている姿に、感動しました。

これから先を考えたら、不安で一杯なはずです。

それでも、今、自分達で出来る事を探して、行動している。

私達は、被災者の方々から多くの事を学ばせているな と感じました。

この様な 悲惨な状況の中でも、力強く 生き抜く姿を見て勇気を頂きます。

一日も早く、平安な生活が取り戻せることを祈っています。

そして、同じ日本人として、私たちも出来る限りの事をして行きたいと思います。

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