闇の中を歩む民は大いなる光を見る

イザヤ9.1

 

 イエスは、ヨハネが捕らえられ「悔い改めよ。天の国は近づいた」と宣言し、宣教を始めました。これは、イエスの宣教第一声です。この一言は何と言うか、何を語るか、そこに大きなメッセージがあると思います。悔い改めよ。天の国は近づいた。その時、具体的にイエスは、ゼブルンとナフタリの地方の町、カファルナウムに行かれます。住み慣れたナザレの町をあとにして、ガリラヤ湖のほとり、カファルナウムに移り住まれ、そこで宣教活動を展開なさいます。

 このゼブルンの地とナフタリの地、とよばれるガリラヤ地方は、当時のユダヤの人々の中で、あまり注目されていない地方、注目されていないというよりは、侮られているところでした。何か理由があって、悪いイメージを与えられてしまった地域があるものです。いわば、ゼブルン、ナフタリの地方、ここに紹介されている地域はそういうところでした。それゆえ、暗闇に住む民とか、死の影の地に住む者と書かれています。そこに暮らす人は、暗闇に住む民です。そこに住む人は、死の影の地に住む者です。そんなふうに言われます。そういうところへ、イエスは、天から行かれました。それが、イエスの宣教でした。

 イエスは、暗闇に住む民のもとへ、死の影の地に住む者のもとへ、行かれたのです。「天の国は近づいた。ここで近づくというのは、自分に向かってくる、ということです。近づいて来る、その目的は、私達なのです。ヨハネの時代が終わり、イエスが動き始めます。もう、天の国は、私たちに向かって動き出しました。まず、神様が、私達のほうに完全に向きを定められた。神様が私達の方に向きを変えました。そして神様は私達の所に向かって、近づいておられます。

 今、闇に閉じ込められていると思っているとしても、神は私達の方を向いておられます。私達のところにもう、来ておられます。私達を照らす光となっています。その始まりは、暗闇に住む民のもとへ、死の影の地に住む者のもとへ、イエスが来てくださいます。世にもたらされたこの救いの光を、届けたいものです。主は、私達のところにおいでになっておられます。今日イエスさまの救いの光が、一人でも多くの人のもとに届くように、心から願いましょう。

ジョニー神父