ネヘミヤ8・2-4a、5-6、8-10

1コリント12・12-30

ルカ1・1-4、4・14-21

 

 イエスは安息日に会堂に入り、預言者イザヤの書を朗読されました(イザヤ61・1-2)。

 

 「主の霊がわたしの上におられる。

 貧しい人に福音を告げ知らせるために、主がわたしに油を注がれたからである。

 主がわたしを遣わされたのは、捕らわれている人に解放を、

 目の見えない人に視力の回復を告げ、圧迫されている人を自由にし、

 主の恵みの年を告げるためである。」

 

 これを呼んだ直後、イエスは言われました。

 「この聖書の言葉は、今日、あなたがたが耳にしたとき、実現した。」

 

 イエスは、このイザヤの預言に書かれている人物は自分自身であるという自覚をもって朗読されたようです。「まさに、わたしの上に神の霊がとどまっている。そして、わたしは貧しい人や捕らわれている人、目の見えない人や圧迫されている人を救うために来た」という自己意識を持っていたといえるでしょう。

 

 だから、「この聖書の言葉は、今日、実現した」と言えたのです。それを行う人が今、まさにあなたがたの前にいるのだ、と言いたかったのです。

 

 ところで、今日は「神のことばの主日」です。神の言葉の大切さを心に刻む日です。聖書における神の言葉は、ただの教訓や物語ではありません。今生きている神の言葉です。神様が今、私たちに語りかけているのです。

 

 復活したイエス様は今日も「この聖書の言葉は、あなたがたが耳にしたとき、実現した」と私たちに語りかけているのです。イエスは今、私たちと共にいて、貧しい人、捕らわれている人、目の見えない人、圧迫されている人を救おうとしておられます。どうやって救うのでしょうか?・・・私たちをとおしてです。

 

 第二朗読でパウロが述べています。

 「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」

 「皆一つの体となるために洗礼を受け、皆一つの霊を飲ませてもらったのです。」

 

 イエスは今、私たちをご自分の体に組み込んだかたちで働いておられます。イエスの上に神の霊が注がれていたように、キリストの体となった私たちの上にも同じ霊が注がれているのです。

 

 神の言葉を神の言葉として聞き、心から従って生きる私たちをとおして、イエスは本当に働かれるのです。今、救いを必要としているすべての人をイエスは救いたいと考えています。キリストの体となった私たちをとおして。

 

 ぜひ、神の言葉を大切に聞いて、従いましょう。今のこの世界に、主の恵みの年を告げ知らせることができますように。

 

今泉神父