照りつけし 日射しに燃ゆる 陽炎(かげろう)の 三笠の町は 心にこそ有り 『おつち』 | 時代の片隅で...

時代の片隅で...

70年代や80年代のレトロなものが好きです。
日々思うことを書いていきたいと思います。

みなさまごきげんよう

三笠市博物館へ行ってきた
話を書いてきましたが

さらに調査を進めて
参りたいと思います


そうさをさいかいする






当時の単身者の長屋を
再現したものがありました



こちらはかなりの狭さだ

三畳くらいのサイズしかない










その狭い所に台所が
付いていた

トイレが付いてない理由は
おそらく
トイレは長屋の数件にひとつ
外に設置されているからと
考えられる

今の時代から見るとかなり
不自由な部屋だが
当時の日本人の体の大きさは
かなり小さかった
ということも考慮する必要が
有りそうだ

しらべる右矢印しりょう


炭鉱住宅




今で言うとメゾネットという

造りなのだろう

6畳、6畳、7.5畳

で風呂は付いていない




この時代の炭鉱住宅は

風呂が付いていないのが

当たり前で共同浴場があり

そこまで歩いて通っていくのが

普通だったもちろん無料だった


実は私も昔

何度か行ったことがある


しらべる右矢印しゅうじかんについて


三笠市には空知集治監

という刑務所があったが

ここでは割愛するが


それは恐ろしい労働実態が

あったといわれる


この資料は集治監のなかでの

食生活の一部分の資料







『拳骨を頂くものもあり』


私もADの時代は

早く食べるのがしきたりと

教えられて

いまだにその癖が残っている


5分でホテルの夕食を

食べろと言われて

ホントにやったこともあった


まあ

拳骨は頂かないが


現場でミスすると

『突飛ばしを頂く』

『蹴りを頂く』

なんてことは普通にあった


一体なんの話なんだろうか...



ばしょいどう右矢印そとにでる

一通り色々見たので

博物館をあとにした


私は少し足を伸ばして

行ってみたいところがあった



※借画像🙏


博物館より更に山奥まで

愛車を走らせる

たしか桂沢湖水祭りが行われた

公園があるから

久しぶりに見たいと思ったのだ



ばしょいどう右矢印???


あれ?






公園がない?






あのエゾミカサリュウの

モニュメントもなく

ステージも遊具もすべて無くなっていた





かつて近くにあった駐車場は

残っているがそれ以外

全く無くなっていた


私がまだ赤ちゃんの頃

ここで抱き抱えられながら

エゾミカサリュウと

撮影された写真があったが


いまはない



かんがえる右矢印なくしたりゆう


ここは山の中に有るため

熊が出やすい

一度熊が発見されると


規制テープが張られて

中には入れなくなる


そのため人が集まりそうな

この山の中の公園は

危険性から潰してしまったか?


あるいは


ステージがあったと先ほど

言ったが老朽化が激しい

ことは甚だしかった


ここは冬の間は閉鎖するのだが

三笠市の降雪量は毎年

相当なものがある


雪の重みに耐えざるを

得ない状況を考えると

つぶした方が経費節約になる


さらにもうひとつ

桂沢湖は桂沢ダムとしても

つかわれており

数年前から

ダム工事が行われていた


拡張に伴いこの公園は湖と

面していることから

つぶしたのかもしれない



潰す理由はこれだけでも

いくつも浮かび上がるのだ


もちろん私の勝手な想像の範囲

ではあるのだが



えんでぃんぐ


博物館では妙な発見をして

桂沢湖公園はもうすでに

なくなっていた


いろんな発見はあったが

私は自分のルーツとなる

思い出の場所というのは


ほとんどが無くなって

しまっているので

今回のことだって別に

初めてのことじゃあない


ことごとくと言っていいほど

ほとんど無くなっても


私の少しおかしな

記憶力のなかに

ハッキリと生き続けている


それはいつだって

思い出すだけで

その場所や空間に戻ることができる

だから

もう寂しいことはないのだ





ということで今回はこれで

一巻の終わりです


また、お会いしましょう😉✋