私と哲学。 | 時代の片隅で...

時代の片隅で...

70年代や80年代のレトロなものが好きです。
日々思うことを書いていきたいと思います。

『おつち』です。

先日のこと
ブロガーの沼田晃歩さんの
質問で

『おつちさんの
考え方の根底にあるのは
陽明学でしょうか?』

というのがありまして
実はその話を記事にしようと
思った訳ですが...

ちょっと記憶をたどりながら
書いていこうと
思います。



私が陽明学に出会ったのは
24歳でした。



まずはその前に

腕の内側がリストカットで
千切り状態になっている
私よりも6歳下の女の子との出会いが
きっかけです。

色々あってその女の子とは
縁が切れてしまいましたが
私自身が
どうにもならない無力感に苛まれて
毎日毎日浴びるように
酒を飲むようになってしまいました。

どうせ俺なんかよ。
何にもできねえ
クズ野郎じゃねえか。

自分で自分を追い詰める
毎日が2ヶ月過ぎた頃
体重は13キロも落ちて
苦しい日々でした。

ある日たまたま
図書館で手にした本が
東洋哲学でした。


王陽明
荀子
荘子
孟子
孔子
孫子
十八史略



など
とにかく読み進みましたが
一番最後に印象に残ったのは

とてもシンプルな哲学である
陽明学でした。

陽明学に関する本を
読み出したあたりから
私は考え方が変わりました。



今まではやりたくないこと
でも、仕方がないからやる。
やらないと決めたはずなのに
流されてやってしまう。

つまり心の中で
楽な方ばかり比べて
行動していたのです。

やると決めたらやる。
やらないと決めたらやらない。

この単純明快なテーマでさえ
私にはいつもクリアできないでいました。

例えば小さいことです。

家に入ろうとしたとき玄関で
靴が脱ぎっぱなしになる。

揃えなかったまあいいか。
ではなく
靴を揃えると決めたら
絶対やり通す。

陽明学でいう

『知行合一』(ちこうごういつ)

わかったなら行動が伴うもの。
行動しないならわからないと同じ。
知ること行うことは一緒。

よく、頭ではわかってるんだけど
うまくできない。
という言葉を使う人がいますが
わかってないと言うことに
なります。


実際に知行合一で生きていると
自分は、なにもできない。
という劣等感から
なにもできないからこそ
目の前の目標をひとつずつ
クリアすればいい。

クリアできれば
ひとつできた自分ということ。
というように
劣等感を少しずつ払拭したのだった。

私の根底には
いや根底のひとつに
陽明学があるということは
ハッキリといえるでしょうね。


長くなりましたが
最後までお付き合いくださり
ありがとうございました。