意思を通す力。 | 時代の片隅で...

時代の片隅で...

70年代や80年代のレトロなものが好きです。
日々思うことを書いていきたいと思います。

大袈裟なこと言っちゃいましたかね?笑

何をするにしても、意思を通す努力をしていなければ、それは何にもならないんです。例えば私なんか、酒が好きですから、飲まないと決めたら相当努力しなくちゃならないんですよ。

でも、本当に飲まなければそれは意思を通したってことになりますね。これは誰も誉めてはくれないし、あくまでも自己満足の世界かもしれませんが、事実として意思を通したということです。

まあ、5年前に実際に一年間やったことがあります。意思を通すというのは辛いことでした。魚が陸で生きていたという感じです。

でもやりとげたら自分は魚ではないってことを実証したことになります。

まあそんなにキツいことをやる必要もないですけど、意思を通すには、人に目に見えて迷惑をかけることもありますが、何気なく迷惑を掛けて気がつかないよりかは、はっきりと意識することができます。原因がわかりますからね。

自分がこうしたいと思うとき実行したら必ずその意思が原因で迷惑をかけることがあります。それでもそれを通すことができるか?できないならさっさとやめた方が良いです。無駄です。

きれいごとでいえば、人にも迷惑をかけないで意思を通したいとなるかもしれません。細かく考えれば、生きているだけで、人にも迷惑を掛けているんですよ。

もちろん迷惑を掛けられてもいます。

意思を通そうとすることで、そのことがはっきりわかってきます。その上でやる、行う、実現する。

それが行動するということなのです。

行動して実現することで、初めて理解できた。
私はそれを続ける訳です。そこに人がつけ入ることはできません。今何をしているのかが重要だからです。

富や名声、肩書きもつけ入りません。実態としての私があるだけで、私が私をいつも評価しているのです。