東トルキスタンで続いている人権問題を考えるとき、私たちは拘束された大人たちだけに目を向けてはならない。
その背後には、親を奪われ、家庭を奪われ、そして幼い年齢で寄宿制の施設に送られている子どもたちがいる。
最近、カシュガルから寄せられた警察関係者の証言によれば、親が拘束・収容された子どもたちの中に、深刻な心理的問題を示す子どもが相次いでいるという。
ある寄宿制幼稚園では、心理的な問題が深刻になった5人の子どもが、祖父母の家で1週間、休養と療養をすることになったと報告されている。
その子どもたちの中には、泣き続ける子どもがいた。
一方で、まったく話さなくなった子どももいた。
さらに、ある子どもは祖父母の家にいる1週間、ほとんどテレビの前から離れず、画面に映る親の姿を探し続けていたという。
これは単なる「寂しさ」と片付けられる問題ではない。
幼い子どもにとって、親は安心感、愛情、言語、社会性、そして自分が誰なのかというアイデンティティーを形成する最も重要な存在である。
その親を突然奪われることは、子どもの心理的発達そのものに深刻な影響を及ぼし得る。
年に数回、数分間だけの「親子面会」
さらに深刻なのは、親子の接触が極端に制限されているとされることである。
証言によれば、刑務所や収容施設にいる親と子どもたちは、年に1~2回程度、画面を通して面会する機会を与えられることがある。
しかし、順番を待つ人が多いため、面会時間はわずか2~3分程度にすぎないという。
親子双方に「泣かないように」と警察から指示される場合もあるという。
しかし、幼い子どもにとって、長期間会うことのできなかった母親や父親の顔を目の前にして、泣かずにいることを求めること自体が現実的なのだろうか。
実際には、多くの面会が泣き声と涙の中で終わると証言されている。
2~3分間の画面越しの接触によって、親子の長期的な分離による心理的損傷を「解決した」と考えることはできない。
むしろ、子どもにとってその短い面会は、親の存在を再認識させる一方で、再び親から引き離されるという苦痛をもたらす可能性さえある。
「教育」の名の下に進められる家族分離
中国政府は、東トルキスタンにおける寄宿制学校について、広大な地域に住む子どもたちに教育機会を提供するための制度だと説明している。
実際、中国側は寄宿制学校そのものを特別な人権侵害制度ではなく、教育機会を確保するための一般的な制度だと主張している。(国家税务总局)
しかし、問題は「寄宿学校が存在するかどうか」ではない。
なぜ、その子どもたちが親から引き離されているのか。
そして、
なぜ、親が拘束・収容された家庭の幼い子どもたちが、国家によって管理される寄宿施設に置かれなければならないのか。
という点である。
2019年、ヒューマン・ライツ・ウォッチは、東トルキスタンで親が拘束された、あるいは国外にいるウイグル人などの子どもたちが、親の同意なく国営の児童福祉施設や寄宿学校に置かれているとの懸念を表明した。(ヒューマン・ライツ・ウォッチ)
また、ラジオ・フリー・アジアは2021年、カシュガル地区の寄宿制幼稚園について、30人の子どものうち25人に親の一方が拘束されており、両親が拘束された子どもたちは別の「福祉幼稚園」に収容されているとの警察関係者の証言を報じた。(Radio Free Asia)
これは、今回のカシュガルからの証言とも符合する重要な情報である。
国連専門家も「強制的な家族分離」に警鐘
この問題は、ウイグル人側からの主張だけではない。
2023年9月、国連の人権専門家らは、中国の東トルキスタンにおける寄宿制学校の拡大について重大な懸念を表明した。
国連専門家は、ウイグル人などの少数民族の子どもたちが家族や地域社会から強制的に分離され、幼い時期から寄宿制の施設に置かれているとの情報を受けているとし、その結果として、子どもたちが家族、地域社会、そして言語・文化・宗教的アイデンティティーとのつながりを失う危険性を指摘した。(国連人権高等弁務官事務所)
つまり、この問題は単なる学校制度の問題ではない。
家族生活への権利、子どもの権利、文化的権利、言語的権利、そして自己のアイデンティティーを保持する権利に関わる問題なのである。
子どもは「国家の所有物」ではない
最も重要なのは、子ども自身に責任を負わせてはならないということである。
父親が拘束された。
母親が収容された。
あるいは両親が同時に拘束された。
その結果として、子どもが親から引き離される。
これは子どもの責任ではない。
にもかかわらず、その子どもが家庭を失い、親族との接触を制限され、国家管理の施設で生活することになれば、その影響は子どもの人生そのものに及ぶ可能性がある。
ユニセフも、子どもを家族から分離して施設で生活させることについて、精神的・心理的な影響が長期に及ぶ可能性を指摘している。幼い年齢で家族から離されるほど、発達への影響が大きくなり得るとしている。(ユニセフ)
したがって、東トルキスタンの子どもたちについて問われるべきなのは、「学校が建設されたか」「教育を受けているか」だけではない。
その教育を受けるために、子どもが何を失っているのか。
それこそが問われなければならない。
14万3,000人という数字が意味するもの
最近発表された調査では、東トルキスタン南部の地域だけで、少なくとも14万3,000人の子どもが親と離れて寄宿制学校で学んでいるとの推計も報告されている。
この数字が示すものは、一人ひとりの「家庭」である。
14万3,000人という数字の背後には、14万3,000の子どもの人生がある。
「お母さんはどこにいるの?」
「お父さんはいつ帰ってくるの?」
幼い子どもたちがそう問い続けているとしたら、私たちはその声を無視してはならない。
さらに深刻なのは、現在、これらの子どもたちのうち何人が心理的・精神的な問題を抱えているのかについて、十分な独立した調査が存在しないことである。
今回報告された5人の子どもは、その巨大な問題のほんの一部である可能性がある。
国際社会は「教育」という言葉だけで判断してはならない
中国政府が寄宿制学校を「教育政策」と説明しているからといって、国際社会がそれだけで問題を終わらせてはならない。
教育を受ける権利は重要である。
しかし同時に、子どもには家族と暮らし、親との関係を維持し、自らの言語・文化・アイデンティティーを守る権利もある。
教育は、家族を破壊するための手段であってはならない。
教育は、文化を消すための手段であってはならない。
教育は、親を失った子どもに国家への忠誠を強制するための手段であってはならない。
そして何よりも、子どもを親から引き離すことそのものを「教育」と呼ぶことはできない。
私たちは何を求めるのか
国際社会は、東トルキスタンの子どもたちについて、独立した調査を直ちに行うべきである。
第一に、親が拘束・収容されている子どもたちが、どこで、どのような環境で生活しているのかを明らかにしなければならない。
第二に、子どもたちの心理状態、精神的健康、発達状況について、独立した専門家による調査を実施すべきである。
第三に、子どもたちと親族との自由な接触を保障すべきである。
第四に、可能な場合には、子どもたちを安全な家庭環境へ戻すべきである。
第五に、ウイグル語、文化、宗教、歴史など、子どもたちが自らのアイデンティティーを維持する権利を保障すべきである。
そして、中国政府には、これらの施設への国連機関、国際人権団体、独立した研究者による自由なアクセスを認めることを求める。
子どもたちの声を消してはならない
東トルキスタン問題を語るとき、私たちは数字や政策だけを語ってはならない。
そこには、一人ひとりの子どもがいる。
母親の顔を探してテレビ画面を見つめる子ども。
父親に会いたくて泣き続ける子ども。
突然、言葉を失ってしまった子ども。
そして、「お父さん、お母さんはいつ帰ってくるの」と待ち続ける子どもたちがいる。
その子どもたちは、政治的な対立を選んだわけではない。
何の罪も犯していない。
ただ、ウイグル人として生まれ、そして親が国家によって拘束されたというだけで、家庭から引き離されている可能性がある。
子どもから親を奪うことは、その子どもの現在だけでなく、未来を奪うことにつながる。
だからこそ、国際社会は東トルキスタンの子どもたちに目を向けなければならない。
「教育」という言葉の陰に隠された家族分離を見過ごしてはならない。
子どもには、親と暮らす権利がある。
自分の言葉を話す権利がある。
自分の文化を知る権利がある。
そして何よりも、安心して子どもとして生きる権利がある。
東トルキスタンの子どもたちにも、その権利がある。
その権利を守ることは、ウイグル人だけの問題ではない。
すべての子どもの人権を守るための、国際社会共通の責任である。