1月5日時点の道路状況(国交省)
https://www.mlit.go.jp/road/road_fr4_000154.html

 

今回の能登の震災で、輪島市と珠洲市の市民の4割超が避難したことを報道で知った。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a4288dea9c193ede2072fbf3d061562ed7a55905
この地震がいかに甚大な被害を生じさせたのかを物語るが、一刻も早く何とかしてほしいと願うばかりだ。


多くの人がご存じのように震災に際して、言論空間を二分する事象が起こった。

なぜ行政対応や自衛隊の初動があんなに遅れたのか、筆者のようなシロウトにはなかなか理解できずイライラがつのるばかりだったが、そんななか、特に山本太郎やボランティアの能登入りをめぐって大きな騒動が起きたのだ。

簡単に両者の主張を対置させると、以下のようになるだろう。

石川県の馳知事が「渋滞が起こっているため不要不急の移動、個人ボランティアは控えるように」と発した後の反応だ。

・・・・・・・
●行政・似非ウヨ「石川県の地理的特性のため奥能登に入る道路が少なく、また地震で寸断されているため渋滞が起きている。渋滞を助長させるのでボランティアも国会議員も来るな。行政と自衛隊に任せておけ。山本太郎は炊き出しカレーを食うな」

●左派「国会議員とNPO団体は個人ボランティアではない。行政や自衛隊の対応だけでは足りないので必要だ。多くの場所で渋滞はしていない」

簡単には下の画像が、左派の怒りを示しているだろう。 ・・・・・・・


ちなみに馳は、安倍晋三に金を貰って五輪の選考委を買収したと自慢げに話す容疑者予備軍であり、信用に値しない人物であることも付言しておきたい。
https://lite-ra.com/2023/11/post-6306.html

論争における左派の怒りはごもっともだが、しかし例え「右でも左でもない普通の日本人」軍師様たち(似非ウヨ)がチンカス反日クソ野郎だとしても、その主張に一理ある部分を認めざるを得ないと筆者は感じている。

例えば、もし山本批判の急先鋒であった維新・音喜多が、山本のように現地入りしていたら、批判/擁護の立場が逆転していたのではないかと感じるのだ。

左派は、音喜多が1月5日に松葉杖をつきながらNPO団体と能登入りし現地視察をしながら炊き出しのカレーを食べていたとしたら、「渋滞の原因になる」「パフォーマンスだ」「邪魔だ」等と批判したのではないだろうか?
逆に似非ウヨはこれを擁護するのではないか。

音喜多は普段の行いがクズそのものであるのでそのバイアスも付加されるだろうから、左派からの批判のマトになるだろうことは想像できる。

ただし、その場合も左派の軸足は政府批判に移るため、今回、実際に起こったように執拗なNPO・ボランティア叩きに発展することはなかっただろうことも同時に想像する。


似非ウヨのテーゼは、維新の綱領にも示されるような「自助・共助・公助」であり、行政・公共の縮小を進め夜警国家化を目指すものだといってよい。
政府行政の災害対応に全幅の信頼を寄せる全体主義的傾向を持つ一方、小さな政府を目指す姿には矛盾も感じるが(ただの権威主義・エリート主義なのかもしれない)、彼らの脳内は奇怪なかたちで思考が分裂しているので大抵はワケがわからないものだ。

「暇アノン」の社会問題化が示すように、似非ウヨによる「公金をチューチューしている!」などとするの異常な「NPO叩き」は常態化している。
「NPO叩き」は、一昔前でいう「プロ左翼叩き」だ。

政府行政の足らざる公共の一端を、民間の善意がフォローすることの何が気に入らないのか理解に苦しむが、彼らは「夜警国家」と「選択と集中」論を軸とした「自分達の認める公共」以外は存在意義がないと考えているようだ。

その感覚が今回、大きく可視化された。
右でも左でもない普通の日本人軍師様(似非ウヨ)の脳内景色は、まとめサイトで得た情報で出来上がっており、ネットを見ることで「世界の真理を見通す万能の目」を獲得したと勘違いしている。(この点は「ひろゆキッズ」にも通底する)
災害現場のエキスパートである災害ボランティアの行動や発言などを軽視し、ネット軍師能力をこそ信じるのである。

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さて、上述した、一理ある似非ウヨの主張とは、「渋滞」に関してだ。
筆者の知る限り、渋滞している場所や時間、渋滞していない場所や時間は様々で、メタデータ等を用いないと状況が判然としない。
これは後の研究者の分析に頼るほかないと思う。
つまり、山本太郎の行動が渋滞を引き起こす間接的原因にならなかったとは言い切れないということだ。

これはどこまでいっても、究極的にはわからないと言わざるを得ない。
ただし、不可知であることをいいことに、山本やボランティア批判を発し続ける似非ウヨの卑劣さもここで指摘しておこう。

実際に「渋滞している」という話もあれば「渋滞してない」という話もある。

 

 

 


筆者には、〇〇は現地入りしても良いが、〇〇はダメなどと判断する能力はない。ここもあくまでグレーでしかない。
馳石川県知事が雑に発したように「不要不急の個人ボラはダメ」だという論理もどこまで正しいのかよくわからない。

◇◇◇◇◇

防災研究の第一人者で、日本災害復興学会会長や石川県の災害危機管理アドバイザーを務める室崎益輝・神戸大名誉教授の指摘は、上述したような左派の感覚に寄っている。以下に引用したい。


防災の専門家というだけでなく、石川県の地理的特性も理解し、責任を担う専門家が、記事内ではこうも指摘する。

以下は、ここまで我が国が劣化していたのかとショックを受ける内容だ。

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阪神・淡路大震災から積み重ね、受け継がれてきた教訓が、ゼロになってしまっている印象を受けました。


…自衛隊、警察、消防の邪魔になるからと、民間の支援者やボランティアが駆けつけることを制限しました。
でも、初動から公の活動だけではダメで、民の活動も必要でした。
医療看護や保健衛生だけでなく、避難所のサポートや住宅再建の相談などに専門のボランティアの力が必要でした。

 苦しんでいる被災者を目の前にして、「道路が渋滞するから控えて」ではなく、「公の活動を補完するために万難を排して来て下さい」と言うべきでした。


… 現場のニーズを把握し、吸い上げてすぐ決定していくことができていないのではないでしょうか。

… 司令部と被災地との距離が遠い、縦割りになってしまっているのも気になります。


… 地理的な要因や交通渋滞があるので、「ボランティアはまだ行かないで」と最初から強く国も県も自治体も伝えました。

… この影響で、私のような研究者や多くのボランティアでさえ、被災地に入ることをためらった。

…初動で、一部のボランティアしか入らなかったために、水や食事が手に入らず、暖もとれず、命のぎりぎりのところに被災者が直面した。それなのに、ボランティアは炊き出しにも行けなかった。

… 行くのをためらった状態を作ったことは大きな間違いだったと思います。そして、先に入った一部のボランティアまでが、行政と同じように「来ないで」と伝えたのにも、大きなショックを受けました。

 「ボランティア元年」と言われた阪神・淡路大震災を考えると、今回の発災では、ボランティア自身の線引きや権威主義化に違和感を覚えました。

…今回は「控える」の一色になったことで、被災者にとても厳しい結果を招いたと思います。交通渋滞の問題ならば、例えば緊急援助の迷惑にならない道をボランティアラインとして示す方法もあったのではないか、と思います。


… 責任をもつ覚悟を私自身も、かみしめています。そのことから逃げてはいけない。だからあえて今、お話ししました。もちろん、もっと後に検証をしていくことになる。


*全文が読めるプレゼント記事より
https://digital.asahi.com/articles/ASS1G2P91S1CUTFL01Y.html?ptoken=01HM4GED2B7AG3CRQZKTNT7MRM
・・・・


この室崎氏の発信はあくまで概説であり、どこにどの程度のボランティアが必要で、どのように渋滞を避けるべきだったかなどの詳細がわかるわけではない。
しかし防災研究の権威の指摘は極めて重大だ。

初動の遅れは人災とも言えるもので、馳と岸田の、または与野党6党合意の「個人ボランティアは来るな」の発信は雑過ぎたのだ。
「ボランティアはこの時間にこのルートで来て」というメッセージを出すとか、山本も提案したようにボラ用のシャトルバスを用意するとかもせず、漠然と個人ボランティアの能登入りを拒否したのだ。
この雑な発信に乗っかり、それを「錦の御旗」としてボラ攻撃をしたのが似非ウヨだった。

各種報道から人手が足りていないことは明白だ。
このミスによって死ぬ必要のなかった人が死んだことは間違いないのではないか。

おそらく似非ウヨの脳内では、山本太郎やボランティアが渋滞を引き起こしたから人が死んだとでも解釈されるのだろうが、彼らは今、自身が発し、信じ込んでいる「確証バイアス」を更に強化するために必死に上書きしていることだろう。

◇◇◇◇◇

室崎教授の指摘した初動の遅れは筆者も気になっていた。

自衛隊は発災直後の1月1日夜には1万名が待機していたのに、政府は翌2日の派遣を決め、人数も1000人に絞り、第一空挺団も出さず、ヘリも殆ど出さなかった。(ヘリは4日から徐々に派遣されているが、数が少ない)
ハイパーレスキューも4日になってやっと派遣された。
このことも被災が拡大した原因だと指摘できるだろう。

 
ヘリの派遣に関しても似非ウヨ軍師様たちは「ヘリは地形の悪い場所には着陸できない」などと「できない理由」を列挙し合唱していたが、ツイッターXで専門家に悉く論破されていた。


交通・輸送の目詰まり問題もあるだろうが、室崎氏の言うように、「被災状況の把握が直後にできなかったために、国や県のトップがこの震災を過小評価してしまった」ため、「本来は『想定外』を念頭に、迅速に自衛隊、警察、消防を大量に派遣するべき」ところをそうしなかったのではないだろうか。
初動の人員供給量が少なすぎたのだ。

似非ウヨはそれでもダニング=クルーガー効果を増幅させながら「渋滞ガー」と定型文で反論するだろうが、別の専門家の意見も室崎氏とほぼ同じだ。

26年間、国連で国際緊急救援を行ってきたという専門家のよしログ氏は、山本太郎の行動を指して、災害時には、その状況を現場で知った者が情報をその外へ知らせなければならず、現場状況のレポートをするのは常識だと言う。
また、本件におけるこの手の現場レポートの遅れも指摘していた。
https://digital-humanities.space/report-by-yamamoto-taro/

現場のレポートを集積し、中央は対策に活用するのだから、その現場レポートが遅れたという指摘は、室崎教授とも共通する認識だ。
これは、山本やボランティアの現場入りと彼らの現場レポートの正当性を補完する。
日本、特に地方では公務員の数が異常に少なく行政対応だけでは現場が回らないため、災害時にはボランティアの存在が必ず必要となっていることは言うまでもない。

よしログ氏は別の投稿では、岸田や馳、音喜多、また似非ウヨらをストレートに激しく批判している。
◇◇◇◇◇

音喜多や似非ウヨ軍師様らは、山本太郎を煉獄コロアキのような「迷惑系Youtuber」的存在として貶めたいがために「歩く千羽鶴」などと揶揄していたが、山本のリアルは以下の通り、10年以上被災地に通い被災者に寄り添ってきたエキスパートとも言える存在であり、普通の国会議員とも違うことがわかるだろう。

 

 

 


音喜多は山本を批判しながら、同じく現地入りした維新議員については不問とするダブスタも平然と行っているので、被災者の不利益を憂慮したのではなく、ただただ山本を貶めたかったのだとわかる。怒

 

 

山本を「迷惑系国会議員」だなどとしていた音喜多自身が、被災者そっちのけで場外乱闘戦に興じていた「迷惑系国会議員」だったのである。

音喜多自身が望んだように、このバカの顛末は「後世に語り継がなければならない」だろう。


似非ウヨは、同じように3日に能登入りしていた共産党・井上哲士議員らや、立憲・近藤和也議員についてはほぼスルーし、一方で7日に能登入りしていた片山さつきを大絶賛している(https://twitter.com/cargojp/status/1745304282289803317)のだから、もうワケがわからない(笑)
片山は行政側の、対応に当たれる人物であるため批判するに当たらないというロジックのようだ。

しかし政府行政は必ずウソをつくものだ。
今回も原発の主電源が停止していたことを1週間も隠蔽し、津波は到達しなかったと捏造していた。

似非ウヨや音喜多は「山本太郎がレポートで指摘したことなんかすでに政府は知っている!」などと息巻いていたが、常に嘘をついている政府を信用するなんて頭は大丈夫かと問いたい。

人員を抑制しながらでも野党議員こそが現地入りし、官製プロパガンダと実情が異なることを指摘し、被災状況を視察・報告することが必要だったのではないか。


以上、行政と似非ウヨの「ボランティアは来るな」が本当に正しいのか、の考察であった。

筆者は、山本太郎や災害対応NPOの現地入りは正しいと判断するが、渋滞を引き起こしたかどうかは判断できないと考える。

ただし、渋滞の一因になったとしても、抑制的なかたちでの国会議員の現場視察/レポートやボランティアの存在は必要だとの防災専門家の意見に同意する。
また、行政の初動の遅れや、ボランティアに対する雑なメッセージの発し方は批判しなければならないと感じた。


蛇足だが、「そもそも論」について私はこう判断している。
(この投稿にも似非ウヨがクソリプをつけていて、本当に頭が痛い)



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