STAR ISLANDのグランドフィナーレ「歓喜の歌」部より


どうも。
先日アップしたイタリアの実質的政府通貨「ミニBOT」に関するブログ記事が、FaceBookで800回以上もシェアされて若干ビビってるワタクシです。

僕達にとっては先進国G7のイタリアが政府通貨を発行するなんて大事件じゃあ!ってな感じだったのですが、こんなにも多くの人がこの事件の先進性を理解してくれていて驚いたしだいです。

さて、本日は経済関係ではなく、文化・音楽のお話。


先日お台場で行われたSTAR ISLANDで私がクライマックス部のフィナーレ曲として、私が選曲したのが、ベートーヴェン交響曲第9番の第四楽章。

90分ほどあったショーの本編では、コンテンポラリーからEDM、現代音楽や雅楽、琵琶、トランス、ダブステ、ジャズ、オルタナR&Bまで幅広く選曲していたのですが、最後の勝負曲はありそうでなかったド直球といことで、貫き通した自信の1曲となります。
今年は、このフィナーレに向かって選曲ロジックを組み立てていったということにもなります。
 

▼ 【2018】STAR ISLAND -FUTURE HANABI ENTERTAINMENT-
https://www.youtube.com/watch?v=26kkmBdLEiM

*映像お借りします。
*実際にはこちらの映像で映っているステージが数キロのビーチに8個設置されており、客席側の炎の特効もビーチにズラーっと並んでいる状態ですので、俯瞰すると圧巻です。
*音が大きくなったり小さくなったりするように聴こえるのはサラウンドで音像を前後左右にふっている関係で、現場で体感しないとわかりません。例えば1:05分くらいでは音像のグルグル廻る感じを観客が理解して、手を挙げLEDバンドを振って応えている様が見れます。
*あと私と相方のリッキーくんが作ったオリジナル曲も随所にありますので、その辺も堪能していただければ幸いです。


そんなわけで、この第九・歓喜の歌に関して熱く語りたいと思います(笑)

この歓喜の歌は、フランス革命で、人類が歴史上始めて手にした「自由・平等・博愛」、つまり人権を得た喜びを歌った曲であります。

民主主義マニアであれば、これだけで目頭が熱くなってしまうわけですが、自由や平等を当たり前の空気のような存在として謳歌している現代人には、先人達が決死の思いで成し遂げたフランス革命や、革命を賛美したこの曲の凄さが理解できません。

特に日本人はお上から与えられた形式的な民主主義という構図で享受していて、自ら勝ち取ったものではないので、なおさらこの曲のヤバさが理解できないということになります。

そこで、私としては、この人間文化の至高の到達点を再度意識してほしかったわけです。

ところがこの第九、日本人にはなんとも理解できない謎が隠されている。

 

▼ 交響曲第9番 (ベートーヴェン)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)
■ベートーベン 第九 Sinfonie Nr. 9 d-moll op. 125  1824年

『歓喜の歌』(かんきのうた、喜びの歌、歓びの歌とも。
独: An die Freude / アン・ディー・フロイデ、英: Ode to Joy)は、ベートーヴェンの交響曲第9番の第4楽章で歌われ、演奏される第一主題のこと。
歌詞は、シラーの詩作品「自由賛歌」(独: Ode An die Freiheit[1]、仏: Hymne à la liberté[2] 1785年)がフランス革命の直後ラ・マルセイエーズのメロディーでドイツの学生に歌われていた[2]。
そこで詩を書き直した「歓喜に寄せて」(An die Freude 1785年初稿、1803年一部改稿)にしたところ[1]、これをベートーヴェンが歌詞として1822年 - 1824年に引用書き直したもの。
ベートーヴェンは1792年にこの詩の初稿に出会い、感動して曲を付けようとしているが、実際に第9交響曲として1824年に完成した時には、1803年改稿版の詩を用いている。

1785年のシラーの「自由」(Freiheit / フライハイト)の詩はフリーメイソンの理念を詩にしたものであり、ドレスデンのフリーメイソンの儀式のために書かれた。

【参考】フリーメイソン#フリードリヒ・フォン・シラー
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%A1%E3%82%A4%E3%82%BD%E3%83%B3#フリードリヒ・フォン・シラー


歌詞がフリーメイソンの儀式のために書かれただとぉ?
そしてフランス革命の時(1789)に歌われていたぁ?

現在ではEUの国歌として扱われている「歓喜の歌」がフリーメイソンに関係している。

これは気になりますよね。
何箇所か不思議な部分を抜き出します。

 「Deine Zauber binden wieder, was die Mode streng geteilt;」
 「汝が魔力は再び結び合わせる」

「Zauber」は魔法の意。しかし中世では異教徒を魔女狩りとして粛清していたほどキリスト教では魔力を良しとしない。
ちなみにフリーメイソンであることが確定しているモーツァルトの「魔笛」はドイツ語では「Zauberflöte」ですあり、この魔笛もメイソンの儀式を題材としています。

 「Wollust ward dem Wurm gegeben, und der Cherub steht vor Gott!」
 「快楽は虫けら(のような者)にも与えられ 智天使ケルビムは神の前に立つ」

このケルビムは旧約聖書=ユダヤ教の天使であり、旧約聖書の創世記によると、主なる神はアダムとエバを追放した後、命の木への道を守らせるためにエデンの園の東に回転する炎の剣とともにケルビムを置いたという。また、契約の箱の上にはこの天使を模した金細工が乗せられている。
ケルビムは炎の剣を手にした半人半獣の怖ろしいイメージの天使とのことです。


【参考】ケルブあるいはケルビム
https://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html#cherub-gott
https://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9-cherub.html
▼エゼキエル書 第10章14,21節:
(紀元前6世紀頃にいたとされる預言者エゼキエルが、ケバル川のほとりで天から降臨したケルビムと遭遇する。その容姿を語っている場面)
それぞれが四つの顔を持ち、四つの翼をつけている。(…)その顔の形は、右側は四つとも人の顔と獅子の顔、左側は四つとも牛の顔、四つともわしの顔である。(…)生き物の間には炭火が燃えているように見え、たいまつのように、それは生き物の間を往き来し、火の光は光輝き、火から稲妻が出る。(1:6-13)
https://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9-cherub.html
作詞者のシラー自身もメイソンである可能性が高く、この詩自体がメイソンの儀式のために書かれたことから、キリスト教的な神を賛美したものではないことがわかります。
一神教であるキリスト教が「神々」と表現することもありえません。

どうやら「歓喜の歌」は旧約聖書の世界観が関係しているようです。

それにしても一体メイソンとユダヤ教にどんな関係があるのでしょう?


さて、ここでシラーの原文の訳(一章のみ)もご紹介しますが、「歓喜の歌」は単なる自然賛美や神を賛美した歌ではなく、間違いなく「革命の歌」であることがわかります。

 


喜びよ、美しい神々の閃光よ
楽園の世界の娘よ
私たちは足を踏み入れる、炎に酔いしれつつ
天なるものよ、あなたの聖所へと
あなたの魔法の力は再び結びつける
世の中の時流の剣が分け隔てていたものを;
乞食が王侯の兄弟になるのだ
あなたのその柔らかな翼が憩うところで

抱きしめられなさい、何百万の人々よ!
このキスを全世界に!
兄弟たちよ、星の輝く天幕の彼方に
愛に満ちた父がいるに違いない
https://www.kanzaki.com/music/lvb-sym9f.html

一行目の「美しい神々の閃光よ」が啓蒙思想やIlluminarismを彷彿とさせますね。
そして「魔法の力で分断を乗り越え、乞食が王侯の兄弟になる」と力強く自由と人権、平等主義を主張しています。

フランス革命は急進左派のジャコバン党が中心になり成し遂げられたものであることは多くの人の知るところですが、このジャコバンがジェイコブ=ヤコブであることを知る人は少ないでしょう。

ここで言うヤコブとは旧約聖書のヤコブ(アブラハムの子のイサクの子)となります。

ジャコバン党とは、ヤコブ党なのです。


「歓喜の歌」にユダヤ教やフリーメイソンが関わっていることがわかりました。

次回はフランス革命の背景についてもおさらいします。

フランス革命がわかると、「歓喜の歌」がもっとわかります。


本日はここまで。

ご覧いただきありがとうございました。

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