杉原千畝「命のビザ」の真実は、真実か? その1
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12108324032.html
杉原千畝「命のビザ」の真実は、真実か? その2
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12108514725.html
杉原千畝「命のビザ」の真実は、真実か? その3
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-12108812243.html

杉原千畝の命のビザの件です。

右派の懐疑論も踏まえたうえで、左派もしくは中立派の研究も加味し、以下に杉原知畝の命のビザのストーリーをまとめました。

【参考サイト】
■杉原千畝の人道的ビザ
http://structure.cande.iwate-u.ac.jp/miyamoto/sugihara.htm
■Wiki 杉原千畝
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%89%E5%8E%9F%E5%8D%83%E7%95%9D
■奇跡のビザ~あなたは杉原千畝を知っていますか~
http://www.kcc.zaq.ne.jp/kids_clinic/coffee_sugihara.html
■捏造される杉原千畝像 歴史修正主義者による戦争犯罪のゼロサム・ゲーム: 上智大学講師・松浦寛
http://www.linelabo.com/chiu0009.htm
■正義の人(杉原千畝と樋口季一郎) その1
http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/seigi/seiginohito1.htm
■流刑地シベリアをめぐる壮大な悲劇[橘玲の世界投資見聞録]:ダイアモンド
http://diamond.jp/articles/-/40602?page=2
■「諜報の神様」と呼ばれた男: 連合国が恐れた情報士官 小野寺信の流儀 著者: 岡部伸
http://www.php.co.jp/books/detail.php?isbn=978-4-569-82097-2


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1939年9月、ポーランドを挟んでにらみ合っていたドイツとソ連はポーランドに侵攻、ポーランド分割を決定。10月にはドイツはプラハとワルシャワにユダヤ人移送を開始する。

1940年4月、ドイツはデンマーク・ノルウェーに侵攻、5月には西方オランダ・ベルギーに、6月にはパリにまで侵攻する。

一方ソ連は1939年11月、フィンランドに侵攻、また1940年6月にはバルト三国(リトアニア、ラトビア、エストニア)を併合、ユダヤ人を含む地域住民(最終的には数十万人)をシベリアでの強制労働のため連行。

独露交戦直前の1940年、両国に挟まれたポーランド・バルト三国地域は混乱に陥っていた。


当時、ポーランドとリトアニアには、ユダヤ教の神学校が多数あり、ヨーロッパ中から留学生が集まっていたが、そのなかに祖国がドイツに降伏したため無国籍になったオランダ出身の神学校生ナタン・グットヴィルトとがいた。

グットヴィルトは、在リトアニア・オランダ領事ヤン・ズヴァルテンディクに出国の協力を求めた。

ズヴァルテンディクは、今日でも有名なオランダ企業フィリップス社のリトアニア支社長だったが、1940年(昭和15年)5月、バルト諸国担当のオランダ大使の要請を受けて、ナチス共鳴者のティルマンス博士に代わりリトアニア・カウナス領事に就任していた。

祖国を蹂躙したナチスを強く憎んでいたズヴァルテンディク領事はグットヴィルトらの国外脱出に協力を約束し、6月末グットヴィルトは、ユダヤ難民たちのリーダー格だった弁護士ゾラフ・バルハフティクに相談した。

バルハフティク弁護士は、ドイツに占領されたオランダに帰還不能となったユダヤ人が、カリブ海のオランダ領キュラソー島に脱出した例を持ち出し、ズヴァルテンディク領事に「在カウナス・オランダ領事は、本状によってオランダ領・キュラソーへの入国はビザを必要とせずと認む」と記したビザを発給させることに成功した。

キュラソー....、それは、逃走のための架空の経路だった。


しかし、ドイツ軍が追撃してくる西方に退路を探すのは問題外だった。
さらにトルコ政府がビザ発給を拒否するようになったため、トルコ領から直接パレスチナに向かう南方ルートも閉ざされた。

もはや逃げ道は、シベリア鉄道を経て極東に向かうルートしか難民たちには残されていなかった。

難民たちが、リトアニア・カウナスの日本領事館に殺到したのには、こうした背景があった。

そうして「偽キュラソー・ビザ」を日本公使館に持ち込んだのである。

キュラソーへ行くように装い、日本の領事館から通過ビザを取得し、日本からアメリカや上海に脱出しようというのがバルハフティク弁護士の計画だった。

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*杉原千畝の妻である杉原幸子氏は、後日談として以下のように記述しているが、当時諜報活動に翻弄される領事館内において、杉原千畝自身は、家族を執務室に入れることを許さなかった。


    原典; 六千人の命のビザ  杉原 幸子 (著)

1940年(昭和15年)7月27日朝、
バルト海沿岸の小国リトアニアの日本領事館に勤務していた杉原千畝(ちうね)領事は、
いつもとは違って、外がやけに騒がしいのに気がついた。

窓の外を見ると、建物の回りをびっしりと黒い人の群れが埋め尽くしている。

驚いた杉原が職員に事情を調べさせると、彼らはナチスに迫害されポーランドから逃げてきた難民であることがわかりました。

これほど多くの人々にビザを出すことは、領事の権限ではできない事だった。

外務省に暗号電報で許可を求めたが、回答は「否」。
日独伊三国同盟を目指す方針の下で、ドイツに敵対するような行為は認められなかった。

しかし、ビザを出さなければ、外のユダヤ人達の命はない。
杉原領事はあきらめずに二度、三度と電報を打つ。


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杉原がユダヤ難民の代表者5人を呼んでさらに詳しく話を聞いた結果、彼らは安全な国へ逃げるため日本の通過ビザを発行してほしいというものであった。

リトアニアからソ連に入り、シベリア鉄道でウラジオストックへ行き、そこから日本経由で他の国へ渡るつもりだった。

杉原は、ドイツがいずれソ連と戦争をはじめ、リトアニア地方にもナチスが押し寄せてくることを予感していた。
ユダヤ人たちはリトアニアがソ連邦に組み入れられる前に脱出を急がねばならない。

そこで杉原も、「偽キュラソー・ビザ」をもとに、現地領事の立場でギリギリの合法的日本通過ビザを発給することとなった。


    原典; 六千人の命のビザ  杉原 幸子 (著)
8月3日には、ソ連がドイツとの密約通り、リトアニアを正式に併合し、日本領事館にも8月中の退去命令を出した。
日本の外務省からも、「早く撤収せよ」との指示が来る。

   ---- ビザ交付の 決断に迷い 眠れざる 夫のベッドの 軋むを聞けり

ついに意を決して、杉原は夫人に言った。
「幸子、私は外務省に背いて、領事の権限でビザを出すことにする。いいだろう?」

「あとで、私たちはどうなるか分かりませんけれど、そうしてください。」

私の心も夫とひとつでした。大勢の命が私たちにかかっているのですから。
夫は外務省を辞めさせられることも覚悟していました。

「いざとなれば、ロシア語で食べていくぐらいはできるだろう」
とつぶやくように言った夫の言葉には、やはりぬぐい切れない不安が感じられました。

「大丈夫だよ。ナチスに問題にされるとしても、家族にまでは手は出さない」

それだけの覚悟がなければ、できないことでした。


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8月3日、リトアニアの首都はビリニュスと定められ、リトアニアとソ連の国境は消え、カウナスにあった各国在外公館は不要となった。
日本領事館も閉められることとなり杉原も退去しなければならなくなった。

通過ビザに関しては本来必要がないのに、発給の条件確認のために千畝が本省へ請訓電報を送ったのは、「何分大人数のこと故,単なるトランジットとはいいながら,公安上の見地から」(『決断・命のビザ』巻末所収の「手記」)なされたものである。


当時、杉原の領事館での主業務はビザ発給ではなく、「諜報活動」であり、独ソ戦開戦までの状況を諜報することが仕事であった。

日本とポーランドは協力関係にあり、杉原自身もポーランドの地下組織とも通じていた。

カウナスの日本公使館の懐深く複数のポーランド情報組織が入り込み、ゲシュタポのスパイまで抱え込む状態にあったが、ドイツの攻撃にあっていたポーランドから避難してくる難民を、日本政府は救助する目的もあったとも言われている。

ドイツ国家保安本部のラインハルト・ハイドリヒは、外相リッベントロップに対して、「ドイツ帝国における日本人スパイについて」の報告書(1941年8月7日付)を提出し、日本領事杉原の名前が筆頭に挙げられ、「ポーランド及び英国に親しい人物」として名指しで非難されている。


そして、杉原と外務省との電報による交渉が始まった。

杉原から外務省への要請の骨子は次の通り。


 1. 人道上、どうしても発給要請を拒否出来ない
 2. 発給対象としてはパスポート以外であっても形式に拘泥せず、彼らが掲示するもののうち、領事が最適当のものと認めたものであればビザ発給したい
 3. トランジットの性質を失わないため、ソ連横断の日数を20日、日本海在30日、計50日と推測し、この50日の間に第三国行きのビザも間に合うはずである


実際のやりとりは以下の通りとなる。

    ○8月7日 杉原 → 外務省・松岡外務大臣 第五八號
チエツコ旅券ニ通過査證ヲ與ヘ差支ナキヤ囘電アリタシ尚當地獨逸公使館ニ於テ右ニ例外トシテ獨逸通過査證ヲ與フル場合アリ

    【ブログ筆者による現代語訳】
チェコのパスポートに通過ビザの承認を与えて差し支えないと回電があったが、こちらドイツ公使館おいてドイツ通過ビザにも例外として承認する場合もあります



    ○8月9日 杉原 → 外務省・松岡外務大臣 第五九號
當國避難中ノ「ベルクマン」外約十五名ノ有力ナル「ワルソー」出身猶太系工業家ノ一行ハ南米ニ移住スヘク當館ノ敦賀上陸通過査證(當館ハ通過査證ニハ滞在十日限ト註記シ居レリ)ヲ得タルカ途中本邦企業團ニ対シ其ノ資本及経験提供方折衝ヲ試ミタキ趣ニテ一ケ月滞在許可方願出タル処何等容疑ノ点ヲ認メサルニ付左様許可シ差支無キヤ折返シ回電アリタシ
   (電信料本人負擔)

    【ブログ筆者による現代語訳】
当地避難中のベルクマン他約15名はワルシャワ出身の有力ユダヤ系実業家でりますが、当領事館にて、彼らが南米に移住するため一旦敦賀に上陸し日本を通過するビザ(当領事館は通過のための滞在期間10日間に限るビザを与える)を与えるか、途中で本邦の企業に対し
資本提供をなしえた場合のみにて1カ月間の滞在許可を与えることを許可願いたい。彼らはなんらの容疑も認められることはなく差し支えないと判断したので、折り返し連絡いただきたい



    ○8月12日 外務省・松岡外務大臣 → 杉原 第一八號
   貴電第五八號二關シ
一九三九年三月十六日前ニ發給セラレ又ハ期間ヲ延長セラレタル「チエッコ」旅券ハ其ノ有効期間中ノモノナル限リ査證ヲ與へ差支ナシ但シ避難民ニ付テハ行先國ノ入國許可決定濟ノ者ニアラサレハ通過査證ヲ與ヘサル様注意アリタシ

    【ブログ筆者による現代語訳】
あなたの第58号電報に関して
1939年3/16以前に発給されたもの、または期間延長されたチェコのパスポートは、有効期間中であればビザを与えて問題ありません。ただし避難民については最終目的地の入国許可がなければビザ発給することは認められませんので、注意してください



    ○8月14日 外務省・松岡外務大臣 → 杉原 第二一號
   貴電第五九號二關シ
右一行ノ本邦滞在方二付テハ本邦上陸許可後ノ問題ト致度シ尚此ノ種ノ者二關シ本邦通過査證ヲ與へ得ルハ行先國ノ入國許可手續完了ノ者二限ルニ付若シ同人等カ右手續未了ナルニ於テハ上陸モ許可セラレザル次第ナルニ付右御含置アリ度シ

    【ブログ筆者による現代語訳】
あなたの第59号電報に関して
本邦の滞在について、本邦上陸許可後に問題になるかもしれませんので、この種の申請者に関しては本邦通過許可証を与える際には、行き先国の入国許可手続きが完了した場合のみビザ発行お願いします。もし入国手続きが未完了であれば上陸許可もおりませんのでご了承ください。



    ○8月16日  外務省・松岡外務大臣 → 杉原 第二ニ號
「最近貴館査證ノ本邦経由米加行『リスアニア』人中携帯金僅少ノ為又ハ行先國ノ入國手續未濟ノ為本邦上陸ヲ許可スルヲ得ス之カ処置方ニ困リ居ル事例アルニ付此際避難民ト看傲サレ得ベキ者ニ対シテハ行先國ノ入國手續ヲ完了シ居リ且旅費及本邦滞在費等ノ相當ノ携帯金ヲ有スルニアラサレハ通過査證ヲ與ヘサル様御取計アリタシ」

    【ブログ筆者による現代語訳】
最近カウナスの領事館から日本を経由してアメリカ・カナダに行こうとするリトアニア人のなかには、必要なお金を持っていなかったり行先国の手続きが済んでいなかったりなどの理由で、わが国への上陸を許可できずその処置に困ることがあります。避難民と見なしうる者に関しては、行先国の入国手続きを完了し、旅費・滞在費等に相当する携帯金を持っている者でなければビザを与えないよう取りはからって下さい。



    ○8月28日 外務省・松岡外務大臣 → 杉原 第二三號
   貴電第六六號二關シ
「ポラク」ニ対シテハ入米許可決定ノ後通過査證ヲ與フル様致度シ

    【ブログ筆者による現代語訳】
あなたの第66号電報に関して
「ポラク」に対してはアメリカ入国許可が決定した後に、通過ビザを与えることとしてもらいたい



    ○9月1日   杉原 → 外務省・松岡外務大臣 第六七號
當國避難民中ニハ近クニ中南米代表ナキト當館ノ引揚切迫ヲ見越シ先ツ以テ現在唯一ノ通過國タル我査證方願出ル者アリ而モ我査證ハ蘇側ニ於テモ米國方面出國手續上ノ絶対条件トナシ居ル等事情斟酌ニ値スルモノアルニ鑑ミ確実ナル紹介アル者ニ限リ浦潮乗船迄ニ行先國上陸許可取付方本邦以遠ノ乗船券予約方並ニ携帯金ニ付テハ極端ナル為替管理ノ為在外資金ヲ本邦ヘ転送方手配スル場合敦賀ニ予報方手配方夫々必要ノ次第ヲ承知スル旨申告セシメタル上右実行ヲ条件トシテ査證シ居ルニ付右手續未了ノモノニ対シテハ至急浦潮ニ於テ乗船拒絶方御取計アリタシ

    【ブログ筆者による現代語訳】
避難民の中には、近くに中南米諸国の在外公館がないこと、また当日本領事館のリトアニア引き揚げが切迫していること、さらにソ連当局も米国方面への出国には唯一の通過国である本邦の通過ビザの取得を絶対条件としている理由で、日本通過ビザを要求する者が多い。
そうした事情には斟酌するべきで、確実な身元紹介がある者に限って、行先国の入国手続を終え、しかも日本以遠の乗船券を予約し、為替管理について日本側の提示する条件に従う旨申告させ、かつこれを実行した者にのみ、通過ビザを発給している。
この手続を終えていない者については、ウラジオストク港で日本行きの船への乗船を拒絶するよう、外務省の方で取り計らって欲しい。



    ○9月3日 外務省・松岡外務大臣 → 杉原 第二四號
貴電第六七號ニ關シ船会社カ帝國領事ノ通過査證ヲ有スル者ノ乗船ヲ浦潮ニ於テ蘇官憲ノ命令ニ反シテ拒絶スルコトハ事実不可能ナルノミテラス右ハ我方査證ノ信用ヲ害スルモノナリ現ニ貴電ノ如キ取扱ヲ為シタル避難民ノ後始末ニ窮シ居ル実状ナルニ付以後ハ往電第二二號ノ通厳重御取扱アリタシ

    【ブログ筆者による現代語訳】
船会社が日本のビザを持った人の乗船をソ連警察の命令に背いてまで拒否することは事実上不可能であり、さらにこのようなビザを発行することは日本のビザの信用性を損なうものである。
外務省としてはカウナス領事が発行したビザによる避難民の扱いに大変困っている。今後は先日の電信の通り、ビザ発行については厳重な審査をして頂きたい。


     *なお、以上は専門家ではない私が現代語訳したので、間違いがあるかもしれません
    (また、杉原氏と外務省の電報が以上のものだけでもないことにも留意が必要)

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以上の外務省と杉原の電信のやりとりから、杉原はユダヤ系難民のためのビザ発給に尽力していたことが理解できるが、条件を満たさないユダヤ人に対するビザ発給の件については、外務省との議論を避けるために返信を遅らし、放置していたことも垣間見える。

また杉原は、本省に電報を送る際、ビザ発給には一言もふれずにリトアニア情勢を報告したり、個別案件のビザ発行指示を仰ぐなど、時間を稼いでいた痕跡も認められる。

大量のビザを発行しながら本省との交渉を続け、ビザ発給停止させる決定的な指示が来るまでの間に、発行したビザを有効にしようという作戦だった。

第67号電信では「手続を終えていない者については、ウラジオストク港で日本行きの船への乗船を拒絶するよう、外務省の方で取り計らって欲しい」ともっともらしいことを注進しながら、自身は真偽不明なビザをも発給し続けていた。

対して日本政府は、「所持金もなく、行き先国のビザもないのに、日本を通過しようとするリトアニア人にビザを発給してはいけない」という杓子定規な訓令を与えるのみだった。


ユダヤ人難民から提出されたパスポートの中には、表紙がちぎれて明らかに期限切れとわかるようなものすらあったが、それでも杉原は無言でビザのスタンプを押し続けた。

表立って救済の意志表示をしなかった杉原だったが、ただ黙認し、ひたすらビザを発給し続けるのみだった。

すべての混乱が終わった後、杉原がバルハフティク弁護士の逃走プランを理解していたことが明らかになり、杉原ビザに深い人道の意味がこめられていたことをあらためて世に知らしめることとなった。


         原典; 六千人の命のビザ  杉原 幸子 (著)
それから約1ヶ月間、退去期限ぎりぎりまで、杉原は朝から晩まで一日300枚を目標にビザを書き続けた。

効率を上げるために、番号付けや手数料徴収もやめた。
一日が終わると、ベッドに倒れ込み、夫人が腕をマッサージしていると数分で眠り込む。

ソ連から退去命令が何度も来て、杉原はついに8月28日に領事館を閉鎖して、ホテルに移った。
領事館に張り紙をしておいたので、ここにもユダヤ人がやってきた。
ありあわせの紙でビザを書き続ける。



結果、杉原は1940年7月29日から同年8月26日にかけて、約6000人分のビザを発給した。


 次回に続く

杉原千畝「命のビザ」の真実は、真実か? その1
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杉原千畝「命のビザ」の真実は、真実か? その2
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杉原千畝「命のビザ」の真実は、真実か? その3
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