マララ

今年のノーベル平和賞を受賞したパキスタンのマララさんのスピーチと、その彼女に向けたタリバンによる手紙がとても興味深かったのでご紹介したいと思いました。

ぼくはタリバンを賞賛する立場ではありませんが、このふたりの主張はとても考えさせられます。



■ノーベル平和賞、マララさんのスピーチ全文
読売 2014年10月12日
http://www.yomiuri.co.jp/world/20141012-OYT1T50145.html

【以下は抜粋】

ノーベル平和賞の受賞者に選ばれて光栄です。この貴い賞をいただけて光栄です。
初のパキスタン人、初の若い女性、初の若者としてこの賞の受賞者となれたことを誇りに思います。

 インドのカイラシュ・サティアルティさんと受賞することは本当に幸せです。
子供の権利のため、児童労働に反対する彼の素晴らしい活動は私の刺激となります。
多くの人々が子供の権利のために働き、私は孤独ではないことを幸せに思います。
彼は本当に賞にふさわしい人で、彼とともに受賞できることは名誉です。

 私たち2人のノーベル賞受賞者は、1人がパキスタン、1人がインド出身です。
1人がヒンズー教を信じ、もう1人はイスラム教をあつく信仰しています。
これは、パキスタンとインド、異なる宗教の人々に愛のメッセージとして届きます。私たちは互いに支え合っています。

 肌の色、言語、信仰する宗教は問題ではありません。互いに人間として尊重し、尊敬し合うべきです。
私たちは子供の権利、女性の権利、あらゆる人権のために闘うべきです。

父が私の翼を切り落とさず、羽ばたかせて夢を達成させてくれたことに感謝しています。
女の子は奴隷になることが当然ではなく、人生を前に進める力があることを世界に示してくれたことについてもです。
女性はただの母親、姉や妹、妻であるだけでなく主体性を持ち、認められるべきです。
女の子は男の子と同じ権利を持つのです。

私はこの賞を受賞しますが、これで終わりではありません。
これは私が始めた活動の終わりではなく、まさに始まりなのです。
私は全ての子供たちが学校に行くのを見たいです。
いまだに5700万人もの子供たちが教育を受けられず、小学校にすら通えていません。
私は全ての子供たちが学校に行き、教育を受けるのを見たいのです。

なぜなら、私自身がスワート渓谷(パキスタン)にいた時に同じ境遇に苦しんでいたからです。
ご存じの通り、スワートはタリバン(パキスタンの反政府武装勢力「パキスタン・タリバン運動」=TTP=)の支配下にあり、学校に行くことは誰にも許されていなかったのです。
私は、自分の権利のために立ち上がりました。
そして声を上げると言いました。ほかの誰か(が何かをしてくれるの)を待ったのではないのです。

 私には二つの選択肢しかありませんでした。
一つは、声を上げずに殺されること。もう一つは、声を上げて殺されること。

 私は後者を選びました。
当時はテロがあり、女性は家の外に出ることが許されず、女子教育は完全に禁止され、人々は殺されていました。
当時、私は学校に戻りたかったので声を上げる必要がありました。
私も教育を受けられなかった女の子の一人でした。
私は学びたかった。私は学び、将来の夢をかなえたかった。

 私にも普通の子供のように夢がありました。
当時私は医者になりたかったのですが、いま私は政治家になりたいのです。それも、良い政治家に。


 私は、私の経験を通じて、世界中の子供たちに権利のために立ち上がらなければならないと伝えたいのです。
ほかのだれかを待つべきではないのです。
彼らの声はより力強いのです。
彼らは弱く見えるかもしれないけれど、誰も声を上げない時に声を上げれば、その声はとても大きく、誰もが耳を傾けざるを得なくなるのです。
これは世界中の子供たちへの私からのメッセージです。
権利のために立ち上がらなければならない。

 受賞の決まったノーベル平和賞についてですが、ノーベル賞委員会は私だけに与えたのではないと思っています。
この賞は声なき声を持つ全ての子供たちのためにあるのです。
そしてその声に耳を傾けなくてはならない。
私は彼らのために語り、彼らとともに立ち上がり、彼らの声が届くよう彼らの運動に加わります。
彼らの声を聞かなくてはならない。彼らには権利があります。
彼らには良い教育を受け、児童労働や人身売買に苦しめられない権利があるのです。
彼らには幸せな人生を送る権利があります。
だから私はこれら全ての子供たちとともに立ち上がります。
この賞はまさに彼らのためにあり、彼らを勇気づけるのです。


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■タリバン幹部からマララへの手紙、全訳 :
TokyoScenery http://tyoscenery.exblog.jp/20345239/

【以下は抜粋】

まず最初に、タリバーンがあなたを狙ったのはあなたが学校へ行くからでも、教育を愛しているからでもないことを覚えておいてほしい。
そしてタリバーンとムジャーヒディーン(ジハードの為の民兵組織)は男女や子供に関わらず教育に反対してはいないことも忘れないでくれ。
タリバーンは、あなたが意図的に彼らを攻撃する文章を書き、彼らが作ろうとしているイスラームに基づく支配を中傷するキャンペーンをしているのだと確信している。
昨日のスピーチであなたはペンは剣よりも尊いと言った。
だから彼らはあなたの剣(力)を理由に撃ったのだ。学校や本が理由ではなく。
タリバーンの支配の前も後も、何千もの女の子が学校や大学に通っている。
ではなぜあなただけが狙われたか説明できるか?

あなたが教育を声高に叫んでいるのは素晴らしいことだ。
あなたや国連はそのために撃たれたと言っているが、本当の問題はあなたのやっているプロパガンダなのだ。
あなたは周囲の要請によって舌を使い訴えている。
ペンが剣よりも強いというなら言葉は剣よりも鋭く、剣の負傷者は歓迎されることはあっても言葉の負傷者は決して迎えない。
戦争では言葉はいかなる兵器よりも破壊的だと知っておかなければならない。

インド亜大陸は、イギリスの侵略以前は教育水準も高く、殆ど全ての人が読み書きができたのだ。
地元の人間はイギリスの入植者にアラビア語、ヒンディー語、ウルドゥー語、ペルシャ語などを教えていた。
ほぼ全てのモスクは学校としても機能していて、ムスリムの皇帝は教育に多大な予算を使っていた。
当時は農耕やシルクやジュートの生産に優れていて、服飾から造船までできた。
貧困や犯罪、宗教間や文明間の衝突もなかった。
教育のシステムが高貴な思想とカリキュラムに基づいていたからだ。

なぜ彼らは全ての人間をイギリス人にしようとするのだ?
それはイギリス人が誠実な支持者であり、ユダヤの奴隷だからだ。
あなたはインドにイギリス式教育を作ったと言われるサイド・アフメド・カーンがフリーメイソンだということを知っているだろうか。

あなたは教師とペンと本さえあれば世界を変えられると言った。
私もそれには同意する。
しかしどのような教師、どのようなペン、どのような本なのだ? 
預言者ムハンマドによって私は教師として世に送られ、教科書にコーランが送られた。
崇高で敬虔な教師の預言的なカリキュラムが世界を変えられるのであって、悪魔的なものや不信心者のカリキュラムではないのだ。
あなたは、ジャーナリストが「なぜタリバーンはこの教育を恐れるのですか」と生徒に訊かれ、「本に何が書いてあるかを知らないからだ」と答えた例を挙げた。
あなたと全世界に対して、なぜ彼らがアッラーの本を恐れるのかと言えば、それが何かを彼らは知らないからだ、と言っておく。


あなたが世界に向けて語りかけている場所、そこは新世界秩序を目指すものだ。
しかし旧世界秩序のなにが間違っているというのだ?

彼らはグローバルな教育、グローバルな経済、グローバルな軍隊、グローバルな貿易、グローバルな政府、そしてついにはグローバルな宗教まで作り上げようとしている。

私が知りたいのはそこに預言的な導きの入り込む余地はあるのかということだ。
国連が非人道的や残虐だと言ったイスラームの戒律、イスラームの法の入り込む場所があるのだろうか?





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■マララとナビラ: 天地の差  (マスコミに載らない海外記事)
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/post-0501.html


タリバンに銃撃されたが国連に訴えかけノーベル平和賞を受賞した少女マララ。

片や米国無人機に家族を殺され米議会に訴えかけたが、黙殺された少女ナビラ。


マララ・ユスフザイと違い、ナビラ・レマンは、ワシントンDCで大歓迎されなかった。


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マララさんのノーベル平和賞の受賞はすばらしいことであると思いますが、物事は一方の視点から観察しているだけでは理解できません。

みなさんもご存知の通り、ノーベル賞、特に平和賞と経済学賞は、支配層によるプロパガンダという様相を呈することが多く見受けられます。
(*物理学賞は、あまり悪意の入り込む余地のない分野なのですが、今年のは、、、)

主に欧州の貴族と国際金融家により形成されるグローバリストといわれる支配層のみなさんにとって都合の良い人物や組織でないと、ノーベル賞は受賞できないことは容易に推察できます。

おそらくマララ氏は15年後、ミャンマーのアウンサン氏のように、英国の工作要員としてパキスタンに戻り、政治家として成功することになるのでしょう。
そして母国の一時的な経済発展と引き換えに、自由と民主化を叫びながら国際金融資本に国富を売り渡すことになるのかもしれません。