あけましておめでとうございます!!

新年のご挨拶が遅れちゃってごめんなさい。

みなさま、いかがお過ごしでしょうか?


ぼくは今年もミュージシャンとして、またアンチグローバリスト、リヴィジョニスト、そして中二病患者、B層として楽しくやっていきたいと思います。


①Marcus-Du-Sautoy-Professo-001.jpg
http://press.share-wis.com/oxford-prime-number

昨年、NHKの「白熱教室」で、数学者のマーカス・デュ・ソートイ教授(オックスフォード大学 数学研究所)がおもしろいことを言っていました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E7%86%B1%E6%95%99%E5%AE%A4
(ぼく個人としては、「ハーバード・ケネディスクール」系の、しょうもない学者たちの恣意的なプロパガンダは「マジくだらねぇ」とおもってますが)

とくに、ソートイ教授の第三回、10/18「隠れた数学者たち」の回は、
主に「科学と音楽/アートの親和性」に関してだったのですが、すごくおもしろかったです。

「フィボナッチ数列」とか「多次元多面体」「ジャクソン・ポロックのフラクタル再現」みたいな中二病wordに反応してしまう方にはお勧め。


ソートイ教授:
以下のこの言葉は芸術家が発した言葉だろうか?それとも科学者が発した言葉だろうか??

”創作的な行為では 意味のない組み合わせを作ってはいけない。

何かを作ることは、何かを見極めて選ぶことだ。

発明家の頭に 意味のない選択が姿をあらわすことはない” 」


さて、上記の言葉は、科学者?芸術家?どっちが発した言葉でしょう?



正解は「数学者・ポアンカレの言葉


つまり、科学者と芸術家、どっちが言ってもおかしくないくらい相互の融合性/親和性があり、
結局、「科学と芸術の境目」ってなんだろね?、、、という話です。



ぼくは科学や芸術の分野に限らず思っているのですが、、、

、新自由主義的コスモポリタン、また、お花畑的地球市民たちの論理、とは別の次元で、

「世界を分けても意味がない」ということなのだと結論づけています。




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正月は実家に帰って、いろいろ発掘作業なども楽しんでいました。
昔のおもしろい音源など見つけたんで、機会あればうpしていきます。


音源発掘作業のついでに、ぼくのおじいちゃんが書いた本も久々に見つけ、、、面白かったんで、ちょっとうpさせてください。
(以下、また長くなっちゃうので、歴史や政治に興味ない人はスルー推奨(^^ )


1935年から1945年(祖父が19~29歳)まで軍隊で過ごしていた時期の日記や写真を中心にまとめた著書です。

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http://blog.livedoor.jp/irootoko_jr/archives/1395262.html

【おじいちゃんの本の、まえがき】より
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 目まぐるしく歴史は廻転する。
大陸のはての大地に立った私が帰還の命を受けて再び祖国の土を踏むと共にもたらしたものは何か。
 前線に砲弾を潜り、新しき風物を探り、 民俗に接して写真と共に文に依って示す戦線勤務報告書!
 大陸の烈しい光の下で私等と同じ戦友は今もなほ先張り大東亜建設の為に銃を執って働いているであろうし、砲火近くの支那の農夫は矢張りあの頃と同じ様に黙々と畠を耕していることだろう。

 宣昌に居た時だった。砲撃を受けてすっかり廃屋と化してしまった前線の寺の中の夜更け。
 「マラリア」 を持っている 「キューン」 といふ風な聲を出すたくさんの蚊を 「パタパタ」追いながら、 今にも燃へつきそうな一本の蝋燭の下で汗と油と黄塵に汚れた體の侭、生温い「ビール」 を飲み合った戦友達の顔、服の色は褪せ、所々破けてはいたが、顔は名にか生き生きとしたものに輝いていた。
そして最後のほのめきを見せて、やがて蝋燭も消えてしまった時、思いだしたかの様に突然サッと破 けた尾根のすき間からさし込んだ月の光。
 丁度十瓦夜近く の満月だった。
 「ああ、好い月だ」

 そう言って月を見上げたあの戦友達の顔、々、 々。 上海からの帰途、 佐世保近 くに船が入る頃、 あらゆる点で 「スケール」 の大きな度ぎつい大陸の風景を見てきた目に急に故国の山の上まで、 よく耕された島々を見て、 たまらない懐かしさ と共に何故か日本は小さな島国だと言うことが初めてはっきりと判った様な気がした。 支那でま便利な陽子江の流域でも至る處。耕さずに放ってある曠野が一杯だ。
 しかし内地ではこんな小さな島の丘上迄よく耕されて青々と野菜が實ってる。いわば内地の土地は隅の隅まで綺麗に磨きこまれ完成した物を感じるし、大陸ではいまだまだ未開の侭の大地が溢れている。 だが今に我が国と新しい支那とがしっかりと固く結ばれて、あの大きな揚子江流域の曠野も吾々日本人と支那の人々との協力によって緑の開墾地となる日も近き将来であろう。

 故国遙かに離れたあの大陸の名も知れない丘の山に眠る英霊、しかしやがてはあの英霊を呑んだ土も吾等民族の力強い活躍舞台として尊い英霊に應へる時があるに違いない。
 その墓標を見守っ ているとき、 此の尊い犠牲を意義あらしめねばならぬと言う吾等日本人に重く課せられた厳しい責任が力強く吾々の胸に感じられてくるのだ。
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③1389005709383 b.JPG

ほんと当時の「普通の日本人の感覚」ってかんじです。

1942年当時の祖父は27歳。
海軍工作兵曹長で、輸送巡洋艦に勤務していたこともあり、無事に帰国できたみたいです。

欧米のアジア侵略に対抗し、アジアの人々のため、大東亜共栄圏の建設のため、皇国に身を捧げていた様子が伺い知れます。


こういう当時の普通の日本人の書いた文章を読んで
、戦後培われた自虐史観一辺倒な感覚でもって、
「けしからん軍国主義だ!!」と断じてしまうのは簡単ですが、

ぼくには、いろんな立場の人達の価値観が非常に大事に感じられます。

現代国際社会に横行しているの「グローバル・スタンダード」という、ヘンテコリンな新興宗教的教義に覆い隠されてしまった事実があります。

とくにこういう埃のかぶった価値観を目の当たりにすると、あらためてグローバリスト達による「分断統治」の効力はすさまじいな、と思ってしまうんです。


戦後日本人の自虐史観やグローバルスタンダード的な感覚全てを否定するつもりはありませんが、

マトリックスの住人として、戦前戦中史を見直すことで、あらたなヒントを見出だすこともできると思うのです。



簡単にいうと、「温故知新」はおもしろい、ということなのだと思います(^^)



ちょっと長くなっちゃったので、以降はその②につなげます。