$cargo official blog powered by ameba

どうも。

べつにたかだかミュージシャンが、しつこくこういう問題をまとめる必要はないんだが、つい気になってまとめてしまいました。

ユダヤ差別のこと。

やっぱりできるだけ、ファクトを正しく認識したいし、なるべく正しい歴史認識を持つことが個人の正しい価値観を形成することになり、生きてくうえで役立つでしょ、っていう感じ。

すべてはつながりますので。

こちらの記事に対する補足的な意味もふくめ、です。
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-11496147669.html



多くの人があんまり知らなかったことだと思うんだけど、ユダヤ人迫害は、ナチスドイツによるホロコーストだけではないです。

そしてさらに、多くの人が勘違いしてるポイントなんだけど、実は20世紀中盤まではアラブ人とユダヤ人の間にはほぼ確執はなかったということ。
それはユダヤ教とイスラム教双方が、セム系で、アブラハムの子孫だったと自身を認識しているため、共認・共存していたからです。

ですので、現在西側諸国のマスコミと教科書でプロパガンダしている、「中東におけるアラブ人vs白人の構図は、宗教抗争である」といったものはほぼほぼ「ウソ」であることを認識していただきたい。

WW2後にイスラエルを建国したのはイギリスの覇権思想的な思惑が発端になっていて、しかも入植してきたのはアシュケナジー・ユダヤ(コーカソイド=白人系ハザール人)が中心であったのです。

アシュケナジー・ユダヤとスファラディー・ユダヤの違いを論じ出すと、ややこしくなるので(本当はこの階層こそ重要なんだけど)、ここでは触れないが、以下がユダヤの受難の歴史らしい。


BC1290年  モーゼの出エジプト パレスチナに入植しイスラエル王国建国
BC722年  アッシリアによるニエベ捕囚(→失われた10支族)
BC587年  バビロニアによるバビロン捕囚(その後パレスチナに帰還)
BC167年  セレウコス朝シリアによる侵攻で8万人虐殺、8万人が奴隷に
66年   ローマによる侵略で数十万人死亡 (ユダヤ独立戦争)
132年  ディアスポラ(ユダヤ人の離散)
2世紀  イラク・バビロニアに移住した一派が「サンヘドリン(ユダヤ長老議会)」を設置、タルムードを編纂
9世紀  唐・広東省で4万人虐殺
1078  ローマ教皇グレゴリウス7世がユダヤ人に対し「公職追放令」を発令
1095~  十字軍進行でパレスチナとバビロニアのユダヤ人が虐殺、一部がヴェニスに逃げる(ヴェニスの商人)
1182  フランスでユダヤ人、ユダヤ金融追放される。
1215  ローマ教皇が、第4ラテラン公会議でユダヤ人にバッチを付けることを義務づけ
1243  キリスト教勢力とモンゴル族によりハザール王国(アシュケナジ・偽ユダヤの国)の滅亡。改宗ユダヤ教徒ハザール人たちはロシア・東欧に大量移住
12世紀~1655年  イギリスでは370年間完全に追放
1290  イングランドのエドワード1世が、ユダヤ人、ユダヤ金融をイギリス国内から追放。
1298  神聖ローマ帝国でユダヤ人迫害。貴族のカルブフライシュは全ユダヤ人を壊滅させるように神の命令を受けたと主張
13世紀  ローマ教会が「異端審問制度」を確立し迫害
13世紀~14世紀  フランス、オーストリアで追放。ハプスブルク王家のルドルフ1世は許可なくパレスチナへ移住しようとしたユダヤ人を重罪に処し、彼らの財産もすべて没収
1306  フランスのフィリップ王がユダヤ人、ユダヤ金融を国内から追放。
1321  フランスで迫害、5千人死刑
1322  フランスが再々度ユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1349  ザクセンがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1360  ハンガリーがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1370  ベルギーがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1380  スロヴァキアがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1394  フランスで再々度ユダヤ人、ユダヤ金融追放。
14世紀  ペストの流行をユダヤ人のせいにされヨーロッパ中で隔離、追放
1420  オーストリア、リヨンがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1424  ケルンがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1438  マインツ、アウグスブルクがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1442  オーバーバイエルンがユダヤ人、ユダヤ金融追放。 
1444  オランダがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1446  ブランデンブルク(オウガスブルグ)がユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1449  ポルトガルのリスボンで、ユダヤ人大虐殺。
1462  マインツがユダヤ人、ユダヤ金融追放。上バーバリアでユダヤ金融追放される。
1479年から19世紀  スペインで追放、迫害、異端審問、強制改宗。スペインでユダヤ人に対する異端審問が始まり、1479年から1481年までの3年間に、カスティリア南部のアンダルシアだけで2万人の人々が生きながら火あぶりになった
1483  キリスト教徒達による異教徒の追放がアンダルシアで始まった。18年間で、10万人のユダヤ人を投獄拷問し、2千人のコンベルソが生きながら火刑に処せられ、3千人が死後死体か身代わり人形が焼かれた。そして3万7千人がキリスト教徒になることを受け入れたという。
 マインツ、ワルシャワがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1492  スペインに住むすべてのユダヤ教徒、ユダヤ金融を追放
1495  リトアニアがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1496  ポルトガル、ナポリがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1497  シシリー、サルジニア、ポルトガルからユダヤ人追放。
1498  ナバラ(ナヴァレー)、ニュルンベルクがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
15世紀  リトアニア、イタリア、ポルトガルで追放
1510  ブランデンブルク、プロイセン(プロシア)がユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1515  ジェノバがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1531  リスボンで大地震が発生し、ユダヤ人大虐殺が行われる。
1533  ナポリがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1540  イタリアがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1541  ナポリ、プラハがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1544  宗教改革者マルチン・ルター、ユダヤ人を攻撃。
1550  ジェノバがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1551  バイエルン(バーバリア)がユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1554~19世紀  イタリアを始めヨーロッパ全土でゲットーができ隔離、迫害
1554  ユダヤ人のイギリス追放。 
1555  アウグスブルクの宗教和議で、ルター派が公認される(帝国内でのルーテル派を合法化する)
1557  プラハがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1559  イギリス、統一法で英国国教会が成立。ローマ教皇領がユダヤ人追放。
1569  ローマ教皇が、教皇領からユダヤ人を追放。
1582  ハンガリーがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
16世紀  ルターの宗教革命により迫害
1610年/1727年/1744年  ロシアで三度も追放令
1648年  ウクライナ で起こったフメリニツキーの乱で10~50万人虐殺
1649   ハンブルクがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1669   ウィーンがユダヤ人、ユダヤ金融追放。
1734年  ウクライナでハイダマクにより虐殺
1772年から20世紀初頭まで  ロシアで広大なゲットーが作られ、隔離(リトアニア、ウクライナ地域)
1881年からロシア革命後まで  ウクライナ、ロシア、ポーランドでポグロムにより十数万人が虐殺
1930年台から  ドイツで迫害、ホロコーストで60万人虐殺(*600万人はウソの可能盛大)


以上は、ぼくの稚拙なまとめによるものだけど、これを見るだけでも、ほんとユダヤ人たちはすさまじい差別にさらされてることがわかると思います。
この歴史がもし本当だったら、かわいそすぎて涙出る。

とにかく、すさまじい状況で、 まさに筆舌に尽くしがたい。




そして、以下はどのような差別&迫害があったか、またその背景を記述したものですが、このへんのページがソースです。
(以下のサイト群は、すごく細かく研究してます)

ユダヤ問題特集
http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1000.html
ユダヤ人の迫害史
http://inri.client.jp/hexagon/floorA1F/a1f1102.html
ユダヤ人の離散
http://inri.client.jp/hexagon/floorBXF/_floorB1F_XPha.html
パレスチナ問題を解くための歴史 4、中世史篇その2
http://www.marino.ne.jp/~rendaico/judea/yudayamondainorekishi/tyuseishi2.htm


●ユダヤ商人は紀元前数百年の昔から、中央アジア、メソポタミア、トルキスタン、サマルカンド、チベット、インドなどに多数居住し

ており、東洋にも中国・漢の全盛時代に、すでに入り込んでいる。

●例えば、ギリシアの歴史家であり地理学者であったストラボン(BC63~AD21)は、以下のような記述を残している。
「キレネ(アフリカ北部リビア東部にあった地中海に臨む古代都市)には4つの階級がある。1番目は市民、2番目は農民、3番目は外国人居住者、そして4番目がユダヤ人である。このユダヤ民族は、既にあらゆる都市に入り込んでいる。そして、およそ人の住める世界でユダヤ人を受け入れていない場所、その力を感じさせない所を見つけることは容易ではない。」

●ローマの歴史家ディオドロス(BC1世紀生まれ/著書『世界史』)は、以下のような記述を残している。
「あらゆる民族の中でただユダヤ人のみは、他のどのような民族ともうまくやっていくことをことごとく拒絶し、他の全ての人間を敵とみなしている」

●ローマの偉大な歴史家タキトゥス(AD55~120年)は、以下のような記述を残している。
「ユダヤ人の習慣は卑しく忌まわしく、ユダヤ人がその習慣に固執するのは、彼らが腐敗堕落しているからである。ユダヤ人はユダヤ同士では極端に忠実であり、いつでも同情を示す用意ができているが、異民族に対しては、憎悪と敵意しか感じない。民族として激しやすい。ユダヤ人同士の間では、合法的なものは何もない。」

●アレキサンダーは、地中海の制海権を握るために南下してシリアを奪い、更にシドン、ツロ、ガザをくだして、BC332年、ついにエルサレムに至った。
アレキサンダー大王はユダヤ人を重く用い、彼が新設したアレキサンドリアの町では、ユダヤ人にマケドニア・ギリシア人と同じ特権を与えていたと言われている。“同じ”といっても、実際上の政治の特権はギリシア人が握っていて、支配階級はギリシア人によって構成されており、その一級下で経済機構を運営するのがユダヤ人の役目となっていたという。

●プトレマイオス王朝滅亡後(BC30年)、ローマ帝国領となると、天賦の才能に恵まれるユダヤ人は、いつしか全エジプトの経済を握り、今の言葉で言えば「国立銀行総裁」や「輸出入公団総裁」のような地位まで占めるようになった。そして“ユダヤ商人ギルド連合事務所”ともいうべき「ディプロストーン」が設けられたのだが、これには付属工場と倉庫群があり、その威容は全東方を圧するほどで、「ディプロストーンを見ずに、壮大なものを見たというな!」という言葉さえあったという。
だが、来るべきものが来た。AD38年、ディプロストーンは破壊され掠奪され、全市にユダヤ人の血が流れたのである。

●キリスト教は、他人にカネを貸して利息を取ることは罪悪であると考えていた。ところが、ユダヤ教は『タルムード』の中で異邦人から利子を取ることを許していたので、ユダヤ人は古くから自由に高利貸業を営むことができた。そのため公職追放令が発令されると、ユ

ダヤ人はキリスト教徒には禁止されていた金融業に喜々として手を染めていったのである。「カネに汚い高利貸し」というイメージがユダヤ人に定着したのはこの頃からだと言われている。

●この『タルムード』を中核に据えた「新ユダヤ教」を信仰し始めたユダヤ人には、もはやかつてのような預言者も神の声もなくなった。もっとも、より人間が理知的な時代を迎えたためでもあろう。イスラエル10支族との完全離別、新バビロニア王国によるソロモン第

一神殿の破壊やローマ軍との大戦争を経験し、マイノリティー化した彼らは、極度の民族的死活問題に直面していた。
そのために『タルムード』にはより現実的な利益を求める生活指向が盛り込められた。と同時に、非ユダヤ人のことを「ゴイム(家畜)」と表現し罵るなどの、故意に歪められた民族的排他性と独善的選民思想が付随し、他民族に反ユダヤ感情を植え付ける一因となった。

●古代ローマ帝国で起きたユダヤ迫害のパターンは、中世でも起きた。アラブ人に征服されたスペインでは、スペイン人とアラブ人との間にユダヤ人がいた。やがてユダヤ人は経済を全面的に掌握し、その富はカリフ(イスラム世界の王)をしのぐとまで言われるようになった。が、やがて来るべきものが来た。ユダヤ人はスペインから徹底的に追放されてしまったのである。

● 13世紀にはいると、国王の意に反してユダヤ人はドイツを去ることが出来なくなっていった。ハプスブルク王家出身のルドルフ1世(在位1273~91)は自分の許可なくして聖地パレスチナへ移住しようとしたユダヤ人を重罪に処し、彼らの財産もすべて没収している。その論拠は、すべてのそして個々のユダヤ人は王庫の”下僕”として、その人物、財産ともにすべて国王一人に属するというものであった。
 こうしたドイツ国王のユダヤ人に対する特別保護、徴税権は皇帝特権の一つとなった。そればかりか、財政難に陥った国王はユダヤ人に対する徴税権を抵当に入れ、借金をすることも常のようであった。そして、もともと国王の特権であるユダヤ人保護、徴税権は、王権の動揺や財政窮乏下で次第に諸侯や司教、都市の手に移っていった。
 その後のユダヤ人に対するキリスト教徒の差別は過酷で、服装を「とんがり帽子やマント、頭巾」を義務づけされたのも、その当時であるし、ユダヤ人が公職に就くことを禁止したのもその当時である。そして、ユダヤ人を決定的な孤立へと陥れるもう一つの取り決めがあった。

●1348~50年まで、全ヨーロッパでペスト(黒死病)が大流行した。これによつてヨーロッパ人口の3分の1、地域によっては3分の2が消滅したと云われている。
この時、ユダヤ人がペストをばらまく犯人だとされ、ヨーロッパ各地でユダヤ人の虐殺が発生している。  
「理由の分からない災厄がヨーロッパに起こると、いつもスケープゴート(犠牲)にされるのはユダヤ人であった。スイスではあるユダヤ人が拷問に耐えかねて、井戸に毒を投げ入れたと自白を強要された。この噂はただちにヨーロッパ中に広がり、様々な地域で何千人というユダヤ人が虐殺された。例えばフランスのストラスブールでは約2000人のユダヤ人が生きたまま焼き殺された。ドイツのマインツでは6000人が殺されたが、ヨーロッパ全体で何人くらいになるのかは分からない」。

●711年から約500年間に亘ってスペインはイスラム教徒の支配下にあった。この時代にバビロニアにいたユダヤ人の多くがスペインに移住してきた。ここで彼らは比較的平和で自由な生活を享受することができた。イスラム教徒にとっては、ユダヤ人がキリストを殺したことは何の意味も持たなかったので、ユダヤ人に対して寛容だったのである。ユダヤ人達はグラナダ、コルドバに地下政府を作り上げていた。
 しかし、イスラム教徒の支配が終わり、キリスト教徒の支配が始まるとスペインにおいても迫害が始まった。カトリック王は、ユダヤ人たちに対して、このままユダヤ教を維持したいならばスペインから去るように、改宗してカトリックになるならスペインに残ることが出来るとして、キリスト教への改宗を迫った。

●15世紀、表面上はキリスト教徒として振るまいながら、秘かにユダヤ教を守り続けた者たちは、マラノ(スペイン語読みでは「マラノス、Marannos」)と呼ばれた。コンベルソとマラノの区別ははっきりしないが、コンベルソは単にキリスト教への改宗者、マラノは隠れユダヤ教徒と識別できる。マラノは本来のキリスト教徒以上にキリスト教的に偽装した表向き改宗したかくれユダヤ人であった。コロンブスもその一人。、スピノザ、マルクス、フロイトはマラノスだった。表向きは改宗したが、むしろそれゆえにユダヤ信仰を深めた者たちの ... 。表向きにはキリスト教に改宗して、秘密でそれまでの自分の宗教を続けていた。

●ゲットーは1554年にヴェネチアに初めて設置されたもの(異説もある)で、ローマ教皇パウルス4世がユダヤ人にゲットーへの居住を強制すると、またたくまに世界各地へ広まった。ゲットー内ではシナゴーグ(ユダヤ教会堂)や学校が設置され、ユダヤ人の高い教育水準と宗教文化が保たれることになったが、ユダヤ人に対する差別政策は完全に制度化してしまったのである。

●15世紀末、彼らが追放されたのはスペインからだけではなく、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどでも同様であった。それで16世紀には多くのユダヤ人がコンスタンチノープルやポーランド、そしてアムステルダムに移住した。コンスタンチノープルに移ったのはその宗教がイスラム教だったからである。ポーランドに移った理由は、時のポーランド王が、モンゴル軍の侵攻によって荒廃した国土を復興するため、ユダヤ人(特にスファルディ)の高い文化・知識を必要として、ユダヤ人を保護・優遇したからである。またアムステルダムに移住した理由は、そこの宗教がプロテスタントであったため、カトリックほど反感が強くなかったこと、さらに国際都市であったため、人々がコスモポリタンとして寛容であったからである。

●「ゲットー」は、フランクフルト、オックスフォード、ウィーン、ブタペスト、マドリード、ローマ、ナポリその他26地域に散在していた。フランクフルトのでゲットーは、15世紀頃に成立した。キリスト教絶対社会にあっては、ユダヤ教徒たるユダヤ人は社会の表舞台に登場することが出来なかった。許されたのは金融業その他科学ないしは芸術家的な専門分野であり、シェークスピアの「ベニスの商人」はその辺りの様子を活写している。「ベニスの商人」では、ユダヤ商人シャイロックが「強欲な金権万能主義者」として描かれているが、これが一般的に定着しているユダヤ人像である。
 ユダヤ人の置かれたこの状況が、産業革命の進行と共に変化を蒙ることになる。フランクフルトゲットー内での住人3000名の内4家族のうち1家族が富裕ユダヤ人となっていった。そうした富裕家族の中で、ロスチャイルド家をはじめとする54世帯は、一万グルデ以上(3000グルデンでおよそ、1億数千万と思われる)の財産を持つ大金持ちとなっていった。つまり、ゲットーの11%に近い住人が、大金持ちに属していたことになる。当時のフランクフルト市の人口3万7000~3万8000人における市民の富裕階級と貧しい庶民の数を、ゲットーのそれと比較して考えると、いかにゲットーに富裕階級が多かったかが明らかとなる。
 ユダヤ人社会に胎動したこの活力がやがて社会改革に向かわせることになった。フランス革命前の啓蒙思想や解放運動の主体としてユダヤ人が頭角を現していくことになった。迫害とそれに抗する能力の高さ-これが当時のユダヤ人の特質となった。
 しかし、全てのユダヤ人がゲットー生活を強いられていたわけではなかった。完全に自由な特権を享受していたユダヤ人が存在していたのである! 彼らはドイツ諸侯の高級官僚や宮廷出入りの御用商人となっていたため「ホフ・ユーデン(宮廷ユダヤ人)」と呼ばれていた。彼らは天性の商才によって、莫大な富を蓄積していった。現在、世界最大最強の財閥として地上に君臨しているロスチャイルド財閥も、もともとはホフ・ユーデンの出であることで知られている。

● 15世紀末、ユダヤ人は西欧を追われ、新たな離散(ディアスポラ)の波を受けるようになった。コロンブスがアメリカ大陸に到達する。(西欧人のアメリカ大陸発見)コロンブスの世界航海は、表向きのカトリックの布教という理由の他に、その実はユダヤ人の安住の地を求めようとする秘められた動機があったのではないかとする説がある。
 以降、ユダヤ人は三方向に向うことになった。一つは、東欧へ流れる系譜、一つは、大西洋を越えてアメリカへと向う系譜、一つは、1948年のイスラエル建国へ向けてカナンの地へ向う系譜。
 一般論としては、カトリックがユダヤ人に対して一番過酷で、イスラム教とプロテスタントはより寛容であった。さらに寛容ないし友好的であったのは、啓蒙主義と自由主義であった。18世紀にボルテールとルソーの影響のもとに、ユダヤ人の解放運動が起こった。これとフランス革命のお陰で、西ヨーロッパのユダヤ人たちは国籍を取得することさえできるようになったのである。

●カトリックに反発してプロテスタントを起こした16世紀の人、ルターも、ユダヤ人迫害にかけては筋金入りであった。ルターは当初、ユダヤ人に寛容であったが、晩年になると、ユダヤ人がキリスト教に帰依しないことに業を煮やし、猛烈な反ユダヤ主義者に変質した。その反動ぶりは凄まじいもので、例えば「ユダヤ人の旅行と金融業の禁止」「ラビによる教育の禁止」「タルムードの没収」「ユダヤ人の追放」「ユダヤ人の強制収容」「ユダヤ人の強制労働」などを主張。そこにヒトラーの先的な影を見る者は多い。

●1874年には、子供の時にユダヤ教から英国教に改宗していた「ユダヤ人」べンジャミン・ディズレーリが、イギリスの首相に就任した。ちなみに、ディズレーリが選挙戦に出馬した時、彼の出自(ユダヤ)は潮笑の的となった。彼が有権者を前に演説を行なったある
時には、「シャイロック(シェイクスピアのベニスの商人に出てくる金貸しユダヤ人)」「古着(多くのユダヤ人が勝ちあるアンティークを生業としていたため)」といった罵声が発せられた。
しかし、議会で論戦の相手が自分に対して「ユダヤ人」と言った時、ディズレーリは「そうだ。私はユダヤ人だ。議員殿の祖先が名も知れぬ島の野蛮な土人だった頃、私の祖先はソロモン王の神殿の司祭だったのだ!」と切り返したというエピソードが残されている。

●封建制度が遅くまで残り、小さな領封君主や騎士領などがひしめいていたドイツでは、国際商取引網や金融力を持っていたユダヤ人は特に必要とされた。ヨーロッパ諸国のうちで、ドイツほど宮廷に召しかかえられたユダヤ人(ホフ・ユーデン)の経済力に依存した国はなかった。17、8世紀のバロック時代を通して19世紀に至るまで、ドイツの諸侯でユダヤ人を宮廷の側近として持っていなかった者はほとんどなかった。
19世紀に入ると、宮廷ユダヤ人(ホフ・ユーデン)は今や立派な宮廷銀行家として、王国の財政を左右するほどの力を持ったのである。そして、絢欄豪華な絶対主義王朝下で、宮廷ユダヤ人はまた金、銀、宝石等の供給者として大儲けをしていた。

--------------------------------


<ぼくのコメント>

そして1700年代以降はロスチャイルドの金融支配とフリーメイソン/イルミナティ、共産革命でユダヤの逆襲が始まるってことになるんでしょうかねえ、、、
(このへんの説明はまた今度w)


■ユダヤ人が過去2000年間差別と迫害を受けていた理由をかんたんにまとめると、、、

①宗教の違いのため
  キリストを殺した犯人という理由と、ユダヤ教とキリスト教が双方「一神教」で相容れない関係にあったため

②ルサンチマン
  人々が、商売の才能があったユダヤ人の有する富を羨んだため

③ユダヤ人の排他的な思想のため
  ユダヤ経典タルムードをはじめ、ユダヤ人たちが独善的選民思想をもっていた。自身の文化や宗教を重んじ、コミュニティに属さなかった

④キリスト教文化圏では卑しい職業とされるビジネスを営んでいたため
  利子を用いた金貸し(金融業)、麻薬売買、奴隷売買など



こんな感じみたいです。

でも、この上記にある迫害された理由、、、なんかわかるけど、一方で釈然としない感じもあるんだよな。

ほんとにほんとに、上記の4つの理由で、迫害&差別されたんだろうか??

「差別する側と、差別される側、双方に理由があった」なんてありがちな説明でくくることはできませんが...、
きっといろんな憎しみ合いの歴史の中で、煽り煽られ、やったりやられたりしながら、確執を深めていった背景もあるんだろうな、と予想できるわけです。



例えばだけど、一方では、こんな歴史上の史実がある。
(べつにユダヤ人を貶めようとする意図はないです。ファクトですから)


1453年 コンスタンチノープル攻略事件
ヴェニスの商人(主にユダヤ人)の策略によってキリスト教徒同士(カソリック&東方正教会)が討ち合うという有名な悲劇的大事件(コンスタンチノープル攻略事件)を招き、キリスト教史に非常に深い傷跡を残してしまった。
【参考】
塩野七生のページ №5 『海の都の物語(上)』
http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8075/shiono.html
副島隆彦(そえじまたかひこ)の学問道場 - 第2ぼやき
http://www.snsi.jp/tops/dainiprint/1094


1840年 アヘン戦争
ユダヤ企業のサッスーン商会とマセソン商会によって中国人は阿片漬けにされ、清政府が阿片輸入を禁止しようとすると、サッスーンらはイギリスにはたらきかけ、アヘン戦争が起こし、多くの中国人が虐殺された。
*ちなみに、日本人が大好きな坂本龍馬さんはトーマス・グラバーというスパイを通して、このマセソン商会から武器を密輸入していた武器商人(死の商人)です。
【参考】
「アヘン戦争」の舞台裏 ~アヘン王サッスーンの暗躍~
http://inri.client.jp/hexagon/floorA6F_he/a6fhe100.html
フリーメーソン-29  サッスーン財閥 
http://wave.ap.teacup.com/renaissancejapan/621.html


例を挙げればキリがないんだけど、ユダヤ商人たちの極悪非道っぷりもなかなかのもんです。

しかも、彼らはつねに、こういう謀略の裏側で糸を引いてる姑息なタイプでして。(頭が良いとも言えますね)




とにかく、ユダヤの人たちは、自身の文化や宗教を重んじることによって、キリスト教コミュニティに迎合することがなかったので、
奴隷商人/麻薬売買/高利貸しなどのヤクザみたいな商売をしていったことによって嫌われていったらしい。
(現在の世界でも人身売買、麻薬売買、高利貸しってだいたいヤクザがやってますよね)


でも、これって、キリスト教徒に迫害される中で、苦渋の選択としての「生き長らえる術」だったとも言えますし、結果的に金融業を生業とし、当時の王族の財産管理をしながら、現在につながる金融システムを作り独占することになったのは、な必然であったようにも思える。
実際、キリスト教徒とイスラム教徒は、金融業を禁止していたので、彼らにとっての下賎の民であるユダヤ人に、その役割を半強制的に担わせていた、という背景もあるわけです。


そういう背景をもとに、ユダヤ人たちは中世の時代に白人の力を利用しながら、フリーメイソンを組織し、さらには1776年にはユダヤの完全支配下にあるイルミナティが、そのメイソン乗っ取ることになり、1793年のフランス革命を起す原動力になったと言われています。

フランス革命の表向きのフラッグになったメイソン・オーダーによる「自由・博愛・平等」の精神は、ユダヤ人たちが2000年間望んできたこととも言えるし、2千年間欧州を支配してきた王公貴族やキリスト教の権威に対する反逆であったとも言えます。

そして、世界各国のユダヤ人コミュニティで連携しながら、そしてワーテルローの戦いで史上最大のインサイダー取引なんかをやりながら、欧州の金融システムを完全掌握し、その後、金融支配の礎をもとにメディア支配、情報統制することにより、彼らの支配力が磐石のものになっていくのですが、、、、、

この問題って、正直、相当リサーチしてないと理解し難いし、いろんな階層を含む問題なので複雑ですよね。


ただ、現在も多くのユダヤ人たちが、欧米の特権階級に座しているのも、間違いない事実でもあります。

そして、例えば、ドイツやオーストリアなどのヨーロッパでは「ホロコ-スト」を否認しただけで逮捕されちゃう、というような事実もあります。(日本でもホロコースト否認説を特集した「マルコポーロ」という雑誌が圧力により廃刊になっていたりします)

*欧米で禁書のなったこういう例もあります
↓↓↓↓↓↓
アーサー・ケストラー著『ユダヤ人とは誰か―第13支族、カザール王国の謎
http://soejimaronbun.sakura.ne.jp/files/ronbun132.html


当然のことですが、ユダヤ人だからといって個人を偏見の目で見ることは愚の骨頂です。


ちょっと、まとまりないですが、このシリーズはまた今後掘り下げます。

続きは次回以降で。



では。