大阪行ってきました。

ライブとかじゃなく、プライベートなトリップ。
墓参りと祖父の見舞いと、友人に会うためって感じ。

一日でけっこうな行程こなしたので、大変だった。

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墓参り
梅田から1時間以上かかるとこにある霊園です。
すごく良いとこだ。


祖父母に会いに生野区へ。
ほとんどの人に複数のホームタウンあると思うけど、自分の場合、大阪の住吉、千葉の柏、シドニー、大阪の生野、渋谷らへんって感じ。

最寄ではないが、近いので鶴橋で降りた。
バス待つ間、商店街を歩く。
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こういう町並み、キュンと来るなあ。
なくならないでほしいわ。
ちなみに、鶴橋はコリアン街です。

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病院行って祖母と長話したが、昔の話聞けておもしろかった。 
祖母は女学校(今で言う女子高)を主席で卒業し、師範学校(今で言う大学)出て教師になった人なので、話がおもしろい。

焼け野原になった大阪で47円で家を購入(!?ww)し、祖父と商売やりながら復興していった話など実にスリリング。

■大阪大空襲の時は、師範学校の研修で枚方という郊外にいたらしいのだが、ラジオで空襲があったことを聞いて、歩いて生野まで帰ったらしい。
で、全面焼け野原で真っ黒こげの大阪市街を目にして絶望したのだが、町内に帰ってきて、近所の角を曲がってびっくり。
近所はほぼ全焼だったのに自分の家と隣数件のみは無事だったらしい。

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ちなみに、大阪空襲は、小規模なものから大規模爆撃まで含め、合計50回ほど。死者合計15,000~20,000(それ以上とも言われる)

映画やテレビドラマなどでは、東京大空襲や広島長崎の原爆ばかり扱うが、本当は北海道、青森、長岡、仙台、岐阜、前橋、高崎、宇都宮、富山、釜石、福井、日立、東京、千葉、調子、横浜、甲府、鎌倉、浜松、静岡、名古屋、豊川、大阪、尼崎、堺、奈良、神戸、京都、和歌山、高松、徳島、高知姫路、岡山、呉、下関、大分、八幡、佐世保、熊本、福岡、鹿児島など、、、、
日本全土が空爆され焦土化、いずれも数千から数万人の犠牲者が出ている。合計は50万人超。

実際はアメリカのwar guilt imfomation programやらのバイアスがかかっているので、犠牲者数はそれ以上みたいだ。

で、プラス広島長崎の原爆での死者30万人超。

非戦闘員を無差別虐殺するってのは完全に戦争犯罪。

戦後の日本人はアメリカに洗脳されちゃって「日本も悪かった。空襲もしょうがない」と認識してる人が多いが、人類史上、ここまで残虐な戦争犯罪を犯した国はアメリカ以外にない。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E6%9C%AC%E5%9C%9F%E7%A9%BA%E8%A5%B2
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当時200万人の人口の街で死者が1.5万~2万。
単純計算で100人に一人が死んでることになる。

恐ろしい話です。

祖母の話では、先生をしていた小学校の校庭をめがけて戦闘機の機銃爆撃などあったという。
いやいや、子供でも誰でも無差別攻撃しようという、残虐なサービス精神、すさまじいです。。


■祖父が終戦を迎えたニューギニアのラバウルの話も聞いた。
ラバウルは戦争末期においては激戦区だったが、祖父は比較的戦況の激しくない西部に配属されていたらしい。
戦争末期の2、3年をそこで過ごしたらしいのだが、日本軍は駐留地で農作物や家畜などを育て、自給自足のような生活をしていたという。
おもしろいのが、隊長から「原住民のテリトリーには踏み入ることなく、彼らから何も奪うな。ただし、原住民のほうから来た時は食料や物資を分け与えなさい」という規律を徹底されていたらしく、現地民との関係は良好だったようだ。
生の葉っぱを巻いた形のタバコしか知らなかった原住民に、乾燥させ精製したタバコの葉を巻くことを教えたら大変喜んだそうだ。

まあ、世界一軍規の厳しかった大日本帝国軍の実態であります。

戦争が終わってオーストリア軍に捕虜として捕らえられるのですが、収容所で課せられた強制労働が「一日に1平方mの草むしり」という重労働だったらしいwwwww
つまり、やることないから、「働かせたフリ」をさせてたらしい(笑)
こんな話もあるんですねぇ。


■戦後の復興期の話
勤めていた小学校では、当時お弁当なんかないので、昼休みにみんな帰宅して昼食をとっていたらしい。
そんな中、昼休みになっても帰らない生徒がいる。どうしたのかと聞くと、家に帰っても昼飯などはない、と。
祖母のいとこが岡山で農家をやっていたこともあり、多少食料の余力があったので、その生徒に分け与えた。。
(当時配給制で、いわゆる自由な流通による「ヤミ米」が禁止されていたので、祖父はチャリで岡山まで米を譲ってもらいに行ってたらしいww)
ところが、その事情を知った、実家が農家のクラスメートがおにぎりを持ってくるようになり、卒業までの数年間その生徒をサポートしていたそうだ。
( ;∀;)エエハナシダナー


毎年行われてた師範学校時代の同窓会も、年々参加者が一人減り、二人減りと、去年は5人にまで減ってしまったので、もう開催することを止めたそうだ。
ほんと戦争を経験した生き字引の世代がどんどん亡くなっていって、いずれこんな話を聞くこともできなくなる、と考えるとすごく文化的な損失だなぁと思います。
なんだかさびしいです。



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というわけで、夜は「曽根崎お初天神通り」に行った。
原発問題で話題の山本太郎さんのマネージャーやってる友達と、映画監督やってる友達との飲み。
相変わらず政治・国際情勢の話オンリーwwwww

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ココおすすめ
「串揚げじゃんじゃん」
http://www.ohatendori.com/1841/janjan/


そんな感じ。

では。