プランク定数hと縁起 その4


ども。
今回でこのシリーズは最終回にします。
(実はこの文章、去年書いたものなのですが、震災とかいろいろあって、なんかアップできずにいました)
cargo official blog powered by ameba-①championshipロードランナー.jpg
championship ロードランナー

前回まではこちら参照を
その①
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-10747180709.html
その②
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-10766209800.html
その③
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-10785251691.html



去年"原始仏教"のことを調べてる間に「因縁生起(略すと"縁起")」という言葉を知りました。
因縁生起のwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B8%81%E8%B5%B7
cargo official blog powered by ameba-②手塚治虫 buddhaブッダ.JPG
手塚治虫のBuddhaブッダ

これってなんのことだっけ?

確か、物事には原因と結果があるってことで...、

それって運命の話だっけ?

いやいや、日々起きてること全てが運命とするならって話で...、


ん? つかちょっと待って。

"運命"と、仏教で言う"因果"ってどうちがうんだっけ?


まあいい。オッカムの剃刀の例よろしく、論理は単純に、余計な仮定はひとつにまとめることにしよう。

ぼくは、運命とか因果とかっていうものをひとつの"つながり"ととらえようと思う。


で、とにかく、仏教というものはいろいろわかってるらしいので、仏教のことがもっと知りたくなった。

cargo official blog powered by ameba-③しずく.jpg


そういえば、創価学会は法華経を主体にしてていて、その法華経は原始仏教に近いはずなので、友達で学会員のK氏に速攻電話してみた。

なるほど、彼の説明で因縁生起のことがちょっとわかった。

んで、東大を首席で卒業したという学会の支部長さんを紹介してくれるというので、今度話しをしにいくことになった。



運命とプランク定数の現象の謎が解けるかもしれない。

cargo official blog powered by ameba-④集合的無意識の図.jpg
④集合的無意識の図


その頃、ぼくは村上春樹さんの"1Q84"をちょうど読み終わったところで、

「自我と集合的無意識とプランク定数hのレベルでのエネルギーのふるまいが絡み合ううんめいのものがたりだった」

と、ぼくはこの本を理解していた。


そしてまた、時代のミームを、村上春樹さんが導き出した答えが、ホントに「そういうことなんだろな」とも思っていました。
(ミームとは>>http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%BC%E3%83%A0)


運命論と確率論の件、ハイゼンベルグの不確定性原理の件....。


創価学会/法華経の人はどう説明してくれるんだろう??

cargo official blog powered by ameba-⑤カール・ユングの曼荼羅.jpg
カール・ユングの曼荼羅

+
+
+
+
+

以下の文章は、創価学会支部長のAくんとぼくとのダイアログを中心に書いています。

*わかりやすくみなさんに伝えたいと思ったので、会話内に注釈的な説明をはさんで文章に起こしましたので、実際の会話とはけっこう違っています。


まず、ぼくは創価学会の方たちが毎週集う地域コミュニティーの勉強会に参加させていただきました。
その勉強会では、おばあちゃんも参加していて、和気あいあい。
例えば、おばあちゃんが「地域のみんなでゴミを拾うというような運動をみんなでしよう」というような提案も、その場に居合わせたみんなで真剣に話し合う、という現代の日本ではあまり見ることのなくなった世代間を越えてのリアルな交流があって、ほんとすばらしいことだなと思いました。

その後、上記の東大首席卒のAくんらと連れ立って、居酒屋でお話をしてまいりました。

cargo official blog powered by ameba-⑥24th-Fajr-Music-Festival.jpg

GOKU:
「ぼくは"運命"って何か知りたいんです。たとえば、原始仏教では、日々生きていて、一瞬一瞬毎に起こる出来事もすべて"因果"とか”因縁生起(縁起)”としていて、これってつまり"運命"と言い換えることもできると思ってるんですけど、でもたまに、"とんでもない確率で起こる偶然の重なりで感じる運命感"っていうのもあるじゃないですか??
例えば、”海外に向かう飛行機に偶然親友も乗り合わせていた”みたいな話。 これって、なんか意味あるんでしょうか??
つまり、普段の生活で起こる事象を全て、因果や縁起としてとらえるのは理解できるんすけど、そういう事象とこのとんでもない確率で起こるやつとの違いってなんなんですかね?
それとも、こういう運命を感じた時のハッとする感覚はただの脳が作り出した幻影であり錯覚なんでしょうか??
ぼくはまずそのメカニズムが知りたいんです」

cargo official blog powered by ameba-⑦鎖1.jpg

Aくん:
「ふむふむ...。そういうこともあるかもしれませんね。 でも法華経でいう因果とか縁起というのは”原因と結果の法則”であって、運命とかそういうことに関しては特に説いているわけではありません。 例えば仏縁というのも、仏様である釈尊の特別な力に導かれてなにか超自然的なつながりなどによって生まれたもの、というのではなく、単純に"師匠と仏弟子との関係になる"という事実だけをとって仏縁と呼んでいたりします」

cargo official blog powered by ameba-⑧(重要文化財) 過去現在絵因果経断簡.jpg
(重要文化財) 過去現在絵因果経断簡

GOKU:
「そうなんですか?? でも量子論や不確定性原理が物語るように、物質や現象の成り立ちには意志の力や意識というものが量子レベルで関与していて、そのようなエネルギーが作用し合う機構が成り立つとするならば、その中で強烈に”つながり”感を感じる”そのつながり”は、意思のエネルギーが量子レベルで引き寄せた強烈な関連性であって、それは運命のつながりと言えるものになるのではないでしょうか?
それともそう感じるのは、結局自分次第だし、そういうものを誰かが勝手に運命と名づけたということなんですか?
もちろん、原始仏教では、釈尊は”我思うゆえに我あり論”的な”アートマン”という観念自体も否定して、すべては”空”だって言っているということもあるようなんですが、そのへんどうなんでしょう?

cargo official blog powered by ameba-⑧最新因果地図(画像).JPG
最新因果地図

Aくん:
「まず、法華経では"アートマン"の存在の有無や、いわゆる"空"のこともとくに大事なことだとみなしてはいないんですよ。例えば”前世”などのことも"運命"や"アートマン"と同じように扱っているのですが、そもそも前世の考え方は仏教の前身のバラモン教からきてるみたいで、法華経の考え方ではないです。つまり、アートマンも空も前世のことに関しても、あるのかないのかわからないことを考えてもしょうがないってことでしょうか。
それとその”つながり”というこですが、例えば人間もどんな物もそれ自体ではこの世に存在できない、お互いが存在できているのはお互いの存在があってこそ、というようなことではないでしょうか。(たぶんAくんが言っているのは”此があれば彼があり、此がなければ彼がない。此が生ずれば彼が生じ、此が滅すれば、彼が滅す ~自説経より”のことだと思います)
特別な運命のつながりという機構が存在するかどうかはわかりませんが、確かに原子以下のレベルではなんらかの意識の力が働いているのかもしれないし、そういうものがあるかもしれませんね。 ただ、例えば道に咲く花を見て、それを美しいと思う人もいれば、美しいと思わない人もいます。それは個人の主観の違いであると思います。 ハイゼンベルクの不確定性原理でも"すべての事象は測定不可能"だと言っていたと思いますし。」

cargo official blog powered by ameba-⑨マグリット空2.jpg
マグリット

GOKU:
「なるほど、そこは気にしないと。。」
ぼくは若干防御線を張ったな、と思ったが、確かに「アートマンや自我や前世や運命なんかない」と定義すると楽になる。
そしてそれはまさしく"中道"的な考え方だ。
例えば、初期の仏教の経典"アゴン経"には、あるエピソードが語られている。
[[弟子に「死後の世界はあるのでしょうか?ないのでしょうか?」とたずねられた釈迦は
 「毒を塗った矢が飛んできて体に刺さったとします。そのとき、この矢はどこから飛んできたのだろう、この毒の種類は何だろうか?、誰によって射られたのだろうか、などと考える前にまずやることがあります。それは、すぐに矢を抜くことです」
 大事なのは、あの世があるかないか、霊があるかないか、ではなく、この世での悩み苦しみを解決することであり、そのために修行しなさいと釈迦は言っている。]]
「そうですねぇ...。まあ、確かにそういうことにすれば、すべてのことは、どっちとも言える状況でいいってことになるかもしれないですよね。
じゃあ、例えば物理学の話を加味して、ぼくの持論をもっての質問なんすけど、"プランク定数h世界での物質のふるまい=ナニカのエネルギー=運命=神さま”なのかもしれないと思っているんですが、その辺ってどう思います?」

cargo official blog powered by ameba-⑩矢.jpg

Aくん:
「それは呼び方次第ってことになるのかもしれませんね。法華経ではそういうことを"仏法"と呼んでいます。
例えば、法華経では、キリスト教の人とかが神さまと呼んでるような、なにか擬人化されたおじいさんみたいな姿の神様はいないと考えています。人みたいなものでもなく、観念的なとらえ方なのですが、”宇宙の法”、”宇宙の真理”みたいなものを仏法と呼んでいるんです。そしてその仏法を実践することが大事だとも教えています。」

cargo official blog powered by ameba-⑨日蓮.jpg
日蓮上人

GOKU:
「なるほど、実践を尊いものとする法華経において、考えてもよくわからないことを考えるヒマがあったら、目の前にいる困ってる人とかを助けようじゃないか、ってことなんですね?」
「では、創価学会が掲げている実践の代表として、池田会長も言ってる"世界平和"というものがありますが、でも、これって実はけっこうな矛盾をはらんでいると思いませんか? 例えば"ガイア論に対しての利己的な遺伝子説"を語る際によく言われる"人間=ガン細胞説"みたいなのがあるじゃないですか? いわゆる地球というメタな生命体の視点からみれば、人間って自分自身を破滅に追いやるとわかっていながらも、母体である地球を食いつくすべく自己複製を繰り返し暴走している、ただの害虫と言えますよね? その人間社会を平和にするってことは、人口爆発を生む。 地球にとってはやっかいなことだと思いません? いったいどっちが正義なんでしょう?」
ぼくは彼がどう答えてくれるのか知りたくて、ちょっとだけいじわるな質問をしてみた。

cargo official blog powered by ameba-⑩chin.JPG
chinese

Aくん:
「それは人間がもっと進歩したときにもっと良い解決法が生まれるんです。今はまだわからないですが、平和という心を持って進んでいる道は間違いではないと思いますよ」

cargo official blog powered by ameba-⑪india train完璧.jpg
Indian train

GOKU:
「なるほど、確かにそういえますね。この世はハイゼンベルグの不確定性原理いわく"不確定"ですからね(笑)
じゃあ、ちょっと哲学的な角度での質問をもうひとつしていいですか? 
例えば、平和になって、みんながハッピーで、この地球がまるで天国みたいな世界になったとしたら、その先どうするんですかね? 
一応平和になるという目的は達成したじゃないですか? その後何が起こると思いますか? 
もしくは、みんなが平和でハッピーになって天国みたいなとこで生きるってことってそんなに正しいことなんですか? それってそんなに楽しいですか??(笑)」

cargo official blog powered by ameba-⑫天国.jpg

Aくん:
「それも結局そうなってみないとわかりませんね(笑)」

GOKU:
「あはは。ごもっとも。正論すね(笑)」

cargo official blog powered by ameba-⑬パックマン1.jpg
パックマン

ここで友人Kも話に加わってきた。
K氏:
「たぶんさ、どんなに時代が進んで平和になったとしても、やっぱり悪いやつっていうのは出てくるんだとオレは思うよ。なんか結局果てしないみたいな。昔かあちゃんもそんなこと言ってたな(笑)」

cargo official blog powered by ameba-⑭Colorful-India.jpg
Colorful-India

GOKU:
「なるほど~。そうかもね。終わりはないと...。 じゃあ例えば宇宙にはダークマターやダークエナジーっていう今だになんだかよく解明されてないものが世の中の95%とかある。で、それによって宇宙がずっと無限に広がっていこうとしてるんだか、いづれ終息を向かえて、終わりがくるのかもわからない。 もし宇宙がずっと広がり続けていて、終わりのないものだとすると、不確定性原理のように、結局”答はわからない”という結論になると思いませんか? 逆に言うと”答えがない”から”宇宙に終わりがない”、そういうことなのかもしれないですよね?」

Aくん:
「おもしろいですね。そうかもしれないですね」

cargo official blog powered by ameba-⑮ダークマター.jpg
ダークマター

GOKU:
「あ、最後に輪廻について聞いていいですか? 死後の世界というものは、一般的な日本人のイメージでは”三途の川を渡って、死んだおじいちゃんとかに再会して、また生まれ変わるために天国で勉強して、うんぬん”とかいう感じのもので、まあ、生まれ変わったりすることを輪廻とだと理解しているのですが、法華経では輪廻に関してどう言ってるんでしょうか?」

cargo official blog powered by ameba-⑯六道輪廻図3.jpg
六道輪廻図

K氏:
「あ、オレ思うんだけど、例えば人間が死んで、その死体が腐って、いろんな分子とかに分解されていって、その分子がまた違う酸素だとか砂とかトカゲとかテーブルとかになって、そんでめぐりめぐってまた人間になるみたいなサイクルのことを輪廻っていうんじゃないかと思うんだよね。
物理学的に言うと、死後の世界やあの世っつーのは、物質の分解が進んでって、質量を持たない”量子レベルでのエネルギー循環”っていういうことになるんじゃないかなーと。だから霊魂ってそもそもエネルギー体みたいな。
んで、シャックはそれに気づいたわけよ! シャクソンね(笑)」

GOKU:
「シャック??(笑)でも、そうだよね。 輪廻ってほんと、エネルギーの循環っていうふうに言い換えられるんだろね」

Aくん:
「もともと、輪廻もバラモン教の考えで、仏教では否定も肯定もしないんですが、でも釈尊が話しをする際には、その当時の一般の人にわかりやすい説明をしなければいけない、ということで、あえて釈尊は、輪廻の例を出しながら仏法の説明したということなんでしょう。」

cargo official blog powered by ameba-⑰食物連鎖 エネルギー循環1.jpg
食物連鎖 エネルギー循環

GOKU:
「つか、もしシャックが今この時代に生きてたら、ほんともうとんでもないスーパースターだろね(笑) もうマイケル・ジャクソン100人分みたいな...。シャックがライブやったら100万人くらい客集まって、登場したらみんなウォォーッ!!!ってなって女の子たちは気絶しちゃう、みたいなさ...」

K:
「おう、マイケル・釈尊だな(笑)」

cargo official blog powered by ameba-⑱pemberton-music-festival.jpg
pemberton-music-festival


+
+
+
+
+
+
+
+

しつこくややこしい質問をするぼくに、に真摯に応えてくれたAくん、ありがとう。
Aくんを紹介してくれたK、リアルにサンクス!



要するに、ある特異点とおぼしきポイントまで、論理をつきつめていくと、結局、話は不確定だ、という結論に落ち着けさせざるをえない。

真理を知ることよりも、真理に向かっていろいろ考えて勉強することが大事なんだし、楽しいんじゃないだろうかと。

彼と話す前も、きっとこういうことになるんだろうな、とおおかた予想はしていたが、でも自分と同じようにモノを考える人がいてくれて、すごく助かったしおもしろかった。


次の日、彼は学会の講演がインドであるので、そのお手伝いをするために、彼にとっての初の来訪となるインドへと発つという。


ぼくは、なんか、これも象徴的で、運命的な話だな、と思ったが、彼はいたって冷静に去っていった...。(笑)




*ちなみに自分は創価学会員ではないです。仏教、神道、キリスト教、その他の宗教、みんなおもしろいなと思ってます。

cargo official blog powered by ameba-⑲くらげ.jpg


そんなわけで。



goku