前回の続きです。

その①
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-10747180709.html
その②
http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-10766209800.html



ここまで仮定を進めてきますと、例えばこれって神道の"八百万の神"論に相当するんじゃないの?ってなことに気づきませんでしょうか?

神道のようなアニミズムにおける「自然崇拝」という根幹的な教義や、「すべてのものに神がやどる」という論理は、

かみさまというもの(神道は多神教なので、"神々"と表記するほうが望ましいかもしれませんが)は量子やひもを振動させるエネルギーだ、と言うことができないでしょうか?

なぜなら、あらゆるところに存在する神々 = あらゆるところに存在しうる量子やひものエネルギーという構図に置き換えることができそうだからです。

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別に、ぼくは、ここで、神道こそが、かみさまの定義を正しく捉えているんではないか?みたいな話がしたいわけではありません。

でも、ジーザスだって実は「すべてのものの中に神が内在する」みたいなことを言っていたと思います。


キリスト教の"万物をコントロールする大いなるかみさま"的な発想って、

要するに、言い方こそ違えど、神道やアニミズムで言ってる論理と似たようなもんだと思うのです。

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唯一神を崇拝するキリスト教やユダヤ教、イスラム教でいうその唯一神は「ひもを振動させるエネルギー = なにかの意志」という構図をひとつの具現化させた"かみさまというひと"という概念でとらえたもの、と言えるのではないかと思うのです。

たぶん、ジーザスやムハンマドのような預言者は、当時の昔の人々に理解させやすい方式をとって、「ひもを振動させるエネルギー = なにかの意志 = かみさまというひと」という図式で、

「かみさまというひとがいて、全部をお見通しなんだよ」

と言ったのではないか、と推測できます。
(拡大解釈してるかもしれないので、キリスト教やイスラム教などの一神教の人たち、怒らないでください。仏教や神道のひとは大丈夫かと思いますが 笑)
*もちろん日本の仏教の一種でも「南無阿弥陀仏」って唱えるだけで阿弥陀仏っていう悟りの世界の一個下にいる人が天国に連れて行ってくれるとするナントカ仏教を信じてる原始仏教の亜種ともいえる庶民にわかりやすいように注釈してしまった宗教もあります。

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ということで、話が若干それましたが、最近の自分は、


量子やひもという宇宙の極小単位のエネルギーのふるまい

なんらかの意思

世間的に"かみさま"と認識されている存在の意思

エネルギーとエネルギーが作用し合う"つながり"

と考えています。

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ナニカのエネルギーの存在を、存在として認識する別のエネルギーがあるからこそ

そのナニカのエネルギーは存在しうるし、ナニカのエネルギーが存在すると観測できるからこそ、その別のエネルギーも存在し得る。


つまり、すべては相対的、相関的な関係性によって存在し得る。


要するに「つながり感」だけで万物は存在しうるっていうことになるかも、という。。。





その昔、とある女の子とお別れする際に
「あなたとの関係性がなくなったら、東京にいる意味ないから全てを捨てて実家に帰る」
といわれましたりしたことがありましたが、
結局
「わたしを必要としてくれる周りのみんながいるから、あなたが離れてもやっぱり東京に残る」

という話になりました。

ぼくは、この人は頭が良いな、と思いました。


この話、けっこう深いと思いませんか?(笑)






アインシュタインの「神はサイコロを振らない」発言はあまりにも有名な例ですが、

「万物のふるまいはかみさまによって全てコントロールされている。

すべてがかみさまによって運命づけられていて、偶然というものは起こらないし、

この宇宙が生まれた理由、太陽系が形成された理由、あなたがここに存在する理由は

あらかじめ決められていたことだよ」

ということだと彼の意を理解することができます。

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以下はちょっと難しいけど、「へ~」と思えるアインシュタインの書簡を中心としたやりとり。


粒子の運動量と位置を同時に正確には測ることができないという事実に対し、それは元々決まっていないからだと考えるのが、ボーアなどが提唱したコペンハーゲン解釈であるが、アルベルト・アインシュタインは決まってはいるが人間にはわからないだけだと考えた。この考え方は「隠れた変数理論」と呼ばれている。なお、1926年12月にアインシュタインからマックス・ボルンに送られた手紙の中で、彼は反論に神はサイコロを振らない(独: Der Alte wurfelt nicht. 直訳:神は賽を投げない)という言葉を用いた。


マックス・ボルン宛の1926年12月4日付の手紙 原文:独: Die Quantenmechanik ist sehr achtunggebietend. Aber eine innere Stimme sagt mir, das das noch nicht der wahre Jakob ist. Die Theorie liefert viel, aber dem Geheimnis des Alten bringt sie uns kaum naher. Jedenfalls bin ich uberzeugt, das der Alte nicht wurfelt.(直訳:量子力学にはとても尊敬の念を抱いています。しかし内なる声が私に、その理論はまだ完璧ではないと言っています。量子力学はとても有益なものではありますが、神の秘密にはほとんど迫っていません。少なくとも私には、神はサイコロを振らないという確信があるのです。)


つまり量子論派が「かみさまはどうやらいないっぽいよ」と言うのに対して、

アインシュタインは「いやいや、かみさまはいて、すべてはかみさまの計画通りに設計されていて、運命もあるはずだ」と返答している、という感じです。



面白いのが、この議論は結局、今の今まで解決されていません。


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その後も、例えば生物学者リチャード・ドーキンスが有名な"利己的な遺伝子"という著書などで「無神論は進化を理解することの論理的な延長である」。「生物の複雑なデザインについての説明を私は持ち合わせていない。私に分かっているのは、神を持ち出してもそれをうまく説明できないということだけだ。そういうわけで我々は、誰かがよりうまい説明を携えて現れるのを待ち望むほかない」と言い、2006年には著書"神は妄想である"
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%89%E3%83%BC%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B9

と持論を発表していたり、


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宇宙物理学者のスティーヴン・ホーキングは2001年の著書"ホーキング、未来を語る"では神の存在を否定しない立場をとっていたのだが、このたび
2010年12月24日に刊行された新刊書"ホーキング宇宙と人を語る"(原著名"The Grand Design")で、量子力学に重力の理論を組み合わせた最新の研究成果から、偶然の一致に見える現象は「創造主なしで説明は可能」、「宇宙誕生に神は不要」と主張している。
(日本語版出たばっかりでまだ読んでないので、急ぎます!!)
http://2r.ldblog.jp/archives/3552096.html

という事例にも代表することができると思いますし、


それをさらにまっこうから否定する新しい理論"小澤の不等式"というものなんかもあるんで、困惑してしまうわけです。
(自分は、まだこれは勉強中なので、この件にかんしては、また今度書いてみます 汗)
http://www.gizmodo.jp/2010/08/post_7439.html
http://blog.goo.ne.jp/ktonegaw/e/5597b85d83e795a22e97ca4d4ab97123
http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0704/heisenberg.html
http://www.open.jp/blog/archives/000399.html
http://mathsoc.jp/office/prize/haruaki/ozawa2008aki.html


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つまり、結局、神はサイコロを振るのか、振らないのか、どっちなんだー!!!?

ってことです。


ぼくにとっての結論としては「神はサイコロを振るし、同時に振らない」ということなんですが、



まあ、とにかく、このシリーズも異常に長くなってきました。

次回、面白い経験をしましたので、その話をもって、しめくくりにしたいと思います。

くだらない話を延々してしまってスマソです。