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最近はあまりクリエイティブな作業に向かうためのインスピレーションを後押ししてくれるナニカに乏しかったので、本ばかり読んでいました。

自分的には珍しく、小説ばかりなんすけど。
(基本的にだいたいの"小説"という"物語を綴る形式の書物"は、たいてい先も読めてしまうし、あんまり自分のインスピレーションの助けになるものはないと思っていました)


小説って言っても、ぼくの場合はいわゆるスピリチュアリズム系の小説が主だったりします。

2,3日に一冊なペースでザクザクっと。



で、以下のものたちを読んだっていう話。

①「聖なる予言」ジェームズ・レッドフィールド
>これはたぶん、"ザ・スピリチュアル本"です。好きな人は好きなのでオススメ。
これを読むのはたぶん6回目くらいなんだけど、自分をキープするための"辞書的な役割"として、たまに読み返します。
「あ、そうか、ヤベヤベ、それ忘れてたわ」みたいな感じで。

②「第五の山」パウロ・コエーリョ
>半年間くらい本棚に放置してたので、”文字読みたい欲”のある今こそ、と思って。
個人的にはパウロ・コエーリョの「アルキメスト」や「11分間」に比べると、まあまあって感じでしたが、キリスト教徒や彼のファンにとっては、すごく面白いと思います。

③「ザーヒル」パウロ・コエーリョ
>パウロ・コエーリョの自伝的な小説で、すごくリアル。
もはや聖人的なイメージのあったパウロ・コエーリョが、普通の人間として自身の物語をつむいでくれてて、全世界で1000万部売れた「アルキメスト」を書いたときの背景なんかも明らかにしてくれてます。
なんか、結局「答えを見つけたはずなのに、いつのまにかそれを忘れてる自分」感とか...、うんぬんとか、「この人オレと似てるわ」って感じられて、すごく好き。

④「ぼくと1ルピーの神様」ヴィカス スワラップ
>去年のアカデミー賞を総なめにした「スラムドッグ$ミリオネア」の原作です。
自分的には「スラムドッグ$ミリオネア」は”ここ3年で一番ヤバかった映画”と位置づけていたのもあり、原作より映画の方が好きだな。
どっちを先に見たか、っていうのにも左右されると思うんですが、原作より映画の方が良いって珍しいパターンですね。
もちろん、本もすんごく面白いんですけどね。

⑤「偶然のチカラ」植島 啓司
>これは小説ではなく、大学の宗教人類学の教授が書いた「偶然ってナンだろう?」っていうことを数学的な確立論や歴史やらの視点で見て解説してくれてる本です。
すごく理にかなってると思うし、考えさせられるし、おもしろい。
この本についてはぼくの以前の記事でもちょこっと触れさせてもらいました
>>http://ameblo.jp/cargoofficial/day-20100916.html

⑥「なぜ、脳は神を創ったのか?」苫米地英人
>これも小説ではありませんが、最近ハマってる苫米地英人博士ってひとの本です。
苫米地英人さんは、機能脳学者/分析哲学者/計算言語学者/認知心理学者/いろんな大学のセンセイ/角川春樹事務所顧問/世界初の音声通訳システムを開発/マックのことえりを開発/オーム真理教の脱洗脳に貢献/全日本気孔師会副会長/カーネギーメロン大学コンサルタント/日本催眠術協会理事/天台宗HNL別院国際部長/チベット仏教カギュー&ゲルク派傳法大阿闍梨 etc...
など、肩書きが多すぎて書ききれませんが、とにかくスーパーインテリジェンスなお方です。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8B%AB%E7%B1%B3%E5%9C%B0%E8%8B%B1%E4%BA%BA
で、この本では初心者にわかりやすいように設定した前提としてなのだと思いますが、真っ向から「神(一神教の)の存在を否定」しています。
この本での彼の論理の主軸になっている「原始仏教」の教えや、「現代数学/物理学」の結論からは、ややパラドックスを感じることもあるかとは思いますが、そこはわかりやすく初心者に伝えるため、便宜上こういう表現の手段をとったのだと思われます。
とにかく、いろいろ考えることができたし、復習できて、おもしろかった★
この本のおかげで、ぼくはずっと「不可知論」とか「無神論」とか「超ひも理論」とか仏教や哲学のことを考えさせられていました(笑)

⑦「1Q84」村上春樹
まだ二巻までしか読んでないのだけど、面白い。(いまさら読んでます 笑)
すんごくまどろっこしい優雅な詩的表現は多少いらついたりするのだが、ページをめくらずにはいられない中毒性のようなものがあります。
この物語で語っている論理はすごく理にかなっているし、とにかくストーリーがすごいわ。
やっぱりこの作者は天才なんだな、と思った。
3巻はどないなことになるのでしょう?





”文字読みたい欲”に駆られて、「あ、"スラムドッグ$ミリオネア"の原作の"ぼくと1ルピーの神様"読みたい!」って思った際に、ネットのレビューを見ていました。

で、思った。

レビューを書くみなさんのだいたいの感想は
「インドのスラム街に住む若者が、苦境をものともせず、夢を勝ち取るストーリーに感動した」
「インドのスラム街の実情はかわいそうだと思った」
「インドの外交官だった筆者の経験に基づくリサーチはリアルだ」
等々の類のものだけでした。



もちろん"ネタバレ"しないことを前提に、こういったレビューを書いてらっしゃるのかな、とは思うのですが、

ぼくが感じた"スラムドッグ"のテーマは

「真摯に正直に生きていれば、運命があなたを導いてくれるよ」

ってことだと思っていました。


まったくもって、レビューを書いている彼らに「ん~。。。ほんとにちゃんと読んだんだろうか??」って思ってしまったのです。


だって、言ってしまえば、まずこの物語のシチュエーションは"インド"じゃなくて、アメリカでもタイでもグアテマラでもニホンでもどこでもいいと思うんです。

なぜ、”インドのスラム街の...”的なことが重要なのでしょうか?


物語の設定をインドにしたは、ただの物語としての"ドラマティック性"を煽るためだけの手法として、だったのではないでしょうか?



なぜ「運命の物語」というポイントを読み取れないのでしょうか??

あれだけわかりやすく、あからさまに説明してあったのに???



で、思いました。

"運命"やらのメカニズムって、実際に自分が経験してないと理解不可能なんだって。
(最近実際何人かの人と話をしていても、思ったのですが)


「海外に向かう飛行機で偶然懐かしい友人と居合わせたんだけど、現地での行き先が同じでびっくりしたよ」とか他人から聞く話でもなく、

「死んだおじいちゃんが枕元に出て、言ったとおりにしたら偶然こんな良いことがあったよ」なんて本に書いてあったのを読むとかでもなく、

「ずっと想いを抱いていた初恋の人に20年後のあの日に地球の裏側で再会しました」なんていう映画の話からなどではなく、



自分自身がそういうことを実際に経験していないと本当には理解できないのだと思いました。



彼らは「運命」とかっていう"共通言語"をしゃべれないんだから、理解できるわけないし、しょうがない。

タガログ語がわからない人にいくらタガログ語で話かけても、決して理解されることはないわけです。。



きっと彼らの中にある"共通言語"は、「C++」だったり、「資本主義」だったり、「スペイン語」だったり、「虚栄心」だったり、「唯心論」だったり、「ワイドショー的観点」だったり、「所有欲」だったりというものだったりするんだけど、「運命」という言語は持ちあわせていなかったんだと思います。




「聖なる予言」や「第五の山」や「アルキメスト」や「11分間」や「ザーヒル」や「ぼくと1ルピーの神様」や「偶然とはナニカ」や「1Q84」はただのヒントなんです。


江原さんが、ジョン・レノンが、また物理学者ホーキングが「我々がここにいる理由は偶然ではありえない」とかっていくら言ったって、

経験のない人にとっては、その言葉は、ただのその辺に転がっている「砂糖大さじ一杯」や「0903827××××」や「アサクサバシ」とかっていう言葉みたいに、たいした意味を持たない記号にしか感じられないのです。



ていうか逆に、そんな本読まなくても、わかってる人はちゃんとわかってたりするんだよな。




運命、ガイダンス、マクトゥーブ、共時性、シンクロニシティー、導き、coinsidence、偶然の一致、天使、縁、前兆


全部おんなじだと思うんだけど。




そんなことを感じていました。



まあ、読書の秋。





あと、苫米地さんの本や、植島さんの本にも関係してるんだけど、「ほんとうに神や運命が存在するのか?」もしくは「不可知論」というものに関しては、もうちょっと考えるとこがあったので、次回以降書いてみます。



では。