cargo official blog powered by ameba-サイベリア


最近激ヤバすな本を読んだ。


「Cyberia」
--デジタル・アンダーグラウンドの現在形
by ダグラス・ラシュコフ


個人的には感動×感動で、涙なくしては読めないって本。
(去年神田の古本市で買ったの 笑)


簡単に説明すると、「ポストモダン以降のサブカルチャー × デジタル・ジェネレーション × スピリチュアリズム」って感じでしょうか。



この本が書かれたあとに、Win98が生まれ、Googleが生まれ、YoutubeやMySpaceが生まれ、UstreamやTwitterが生まれた。
(きっと今後の世界は3Dパソコン、メタバース、ヴァーチャル・コンソールなどのインターフェイスも強化され、もっとバーチャル・リアリティーのシステムが一般化されていくことになるんだと思う)

そして、そういうデジタル技術のイノベーションが進む一方では、量子論や超ひも理論、ガイア論やブーツストラップ理論、ヨガやスピリチュアリズム、脳科学や形而上学的な考えも一般的になり、いままで物理世界の次元でのできごとだけがさも科学的でリアリティーであると認識され続けた時代から脱却しようとしているんだと思います。


「より瞬時にすべてと接続できる」ってことは「ひとつがすべてになる」、「すべてが一言で語られる」みたいなことだと思うのです。


ジョンレノンが「Imagine there's no country...」って、マイケルが「We are The World」って、ボブ・マリーが「One love」って、アインシュタインが「時空は相対的」って、ホーキング博士が「あらゆる瞬間にエゴを手放す」って、手塚治虫がブッダで「人間もけものもヘビも同じ仲間」って、ジョージルーカスがStarWarsで「May the force be with you」って言ってたようにです。




この本は15年前のアメリカのサブカル系のシーンの渦中で、あるジャーナリストがインタビューを繰り返し、その経験をドキュメンタリー形式にまとめたものなのですが、ほんとにまったく古びた印象を受けません。



ぼくたちはこの15年間、ずっとこのサイベリアの住人だったのです。



とまあ、なんだかんだと自分がゴタクを並べても、みなさんいまいちピンとこないと思うし、「そんなこと何年も前から知ってるよ」って人にとってもまた新しい角度からのアプローチであると思いますので、この本の序文を中心に抜粋してみました。


お好きな方は以下参照を。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


コンピューター画面の向こう側に果てしなく広がるサイバースペース。
そこでは時間や空間、肉体の限界といった物理世界でのルールは通用せず、そこに渦巻く情報の海はネットワークによって個々人と緊密に結びつけられている。ところがこうしたヴィジョン=世界観はコンピューターのヘビーユーザーのみならず、スマート××××やハウス・ミュージック、ロールプレイング・ゲーム、異教テクノロジー、サイバーパンク小説といったアンダーグラウンド・カルチャーに慣れ親しんだ先端的な若者たちに、広く親しまれているものだという。
現実世界の制約を超えた新しい文化の活動領域……それがサイベリアである。


ハッカー、ネットサーファー、ヴァーチャルリアリティ開発者、DJ、レイブ・オーガナイザー、新異教主義者、××××の売人、フラクタル数学者やパンクスからエコテロリストやアナーキストまで……本書「サイベリア」は、気鋭の若手文化ジャーナリスト、ダグラス・ラシュコフがこれらニューエッジ・カルチャーの最前線に生きるアメリカの若者たちと二年余りにわたって行動を共にし取材を重ねた、生の現場報告と状況分析によって構成されている。


先端科学も現代アートも、コンピューター・テクノロジーからポップ・カルチャーにいたる全ての要素がサイベリアでは共存している。サイベリアとは未来を予見する場所ではなく「未来そのもの」を各人がデザインする、その現場にほかならない。あたかもサーファーが波に乗るように、サイベリアンは情報の波にライドし、××××やテクノロジーに助けられてリアリティを自在に変容させる。


====

あなたの現実をめぐる闘いは、デジタル・インタラクション(相互作用)の戦場で幕をあけます。情報や経済、コミュニケーションがコンピューターおよび電子メディアに対する依存度を高めるにつれて、好むと好まざるとにかかわらず、あなたは今世紀でもっとも異様な社会実験の絶好のターゲットになります。私たちはまったく新しい種類の土地――デジタル情報の領域――で、ますます多くの時間を過ごすことを要求されています。
そこは時間や場所と無関係に人間がコミュニケートできる無限の宇宙なのです。(そこには自分が夢見た通りの世界が広がっています)


90年代はじめのサンフランシスコ、わたしが初体験のレイブで出会った人々は、まったくコンピューターを使わなくても、それと同じハイパーテキスト宇宙を体験できると主張していました。彼らは××××やダンス、スピリチュアルな技術やカオス数学や異端の儀式を通じてサイバースペースにアクセスできるのです。彼らは、コンピューターにログオンした場合とおなじように、時間や距離や肉体の限界が意味をなかさいような意識状態へと移行します。プログラムやヴィデオ・ゲームの中を移動するように、リニア(直線的)な物理的現実の法則にはしばられることなく、この領域を移動するのです。それだけではなく、テクノロジーに支えられたわれわれの現実自体が、この新しいハイパーテキスト的な次元へとそっくりそのまま跳躍しようとしているのだと、彼らは言います。


サイベリア探検の旅に出るなら、フラクタルは避けては通れない。不連続な数学方程式を視覚的に表現するフラクタルは、サイベリアの象徴と言ってもいい。カオス数学の原理を基盤に、アイコンとして、メタファーとして、流行の表現として、便利なツールとして、実に重宝されている。
高度に技術的なコンピューター数学の到達点であると同時にサイケデリックなヴィジョンでもあるフラクタルは、およそかけ離れているとしか見えないサイベリアのこの両極のあいだの谷間(あるいは不連続性)に橋をかける。そしてコンピューター・カルチャーとドラッグ・カルチャーがつながることによって「サイベリア」と定義される現実空間が出現する。
*フラクタルのwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%BF%E3%83%AB


現象を観察する能力は現象自体とわかちがたく結びついていると、現代の科学者たちは信じています。存在を物質的に説明するという野心を捨て去った量子物理学者やカオス数学者は、観察という行為そのものによって変化する世界という概念をもとに、彼らの予測と合致するような現実のありかたに目を向けはじめました。
コンピューターへの依存度が高まるにつれて、彼らの疑惑はますます裏づけられています。
すなわち、わたしたちが住んでいる世界は、エレガントな方程式や単純な解に還元可能な世界ではなく、相互依存の無限に複雑な連鎖であって、遠く離れた場所でのほんのちっぽけな変化でさえ、系全体に広がる衝撃のこだまを返しかねないのです。
あなたがこれから出会う人々は、データ空間の発展を、地球規模の脳の結線(ハードワイヤリング)だと解釈しています。
この課程、人間がニューロンの役割をはたしている生ける地球ガイアの発達の最終段階となるべきものなのです。
コンピューター・プログラマーもサイケデリック戦士も「すべてはひとつ」であることを理解しています。人類文化は来るべき次元の意識のすみかの建設に向かって意識的に発展してきたものであるという共通の信念を抱いています。
この境界なきテリトリーを表現するためには、新しい言葉が必要でしょう。この本に出てくる若者たちは、それをサイベリアと呼んでいます。


サイベリアは、ビジネスパーソンが電話で話をするときに赴く場所であり、シャーマニック戦士が肉体を離れて旅立つときに赴く場所であり、アシッド・ハウスの踊り手がテクノアシッド・トランスの至福を経験するときに赴く場所です。
サイベリアはすべての宗教の神秘的な教えの中でほのめかされる場所であり、あらゆる科学の理論上の接線であり、あらゆる想像力のもっとも大胆なスペキュレーションでもあります。
しかし、いまこの時代(歴史上のどんな時代でもなく)には、サイベリアはわたしたちの手の届くところにあると考えられています。
ポストモダン文化のテクノロジカルな進歩と、古代のスピリチュアルな思想の復活とがあいまって、サイベリアは人類全体がまもなく移行すべき新たな次元であると信じる人々の数が増えてきています。
サイベリアンのパラダイムは、構造やリニア(直線的)な進行ではなくテクスチャーや一瞬一瞬の意識に重きを置く新しいタイプのアートやエンターテインメントを通じて、疑うことを知らないわたしたちの心の中に入り込んできます。



~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


ね、ヤバそうでしょ?

例えば、今ツイッターやってる人とかはかなり共感できるかなと思います。

なんだろ、映画「マトリックス」、「Ghost In the Shell」、「エヴァンゲリオン」なんかはある意味サイベリアという観念を象徴、形容する一番の好例かもしれませんので、想像するとこの世界観がわかりやすいかもしれません。



というわけで、今日はそんな感じ!


では。

GOKU