今週は勝手に、自分の中で「戦争とイデオロギーWEEK」と題しまして、その類の調べモノばかりしておりました。


「靖国神社」と聞くと、

多くの人の受ける印象は、

a:右翼
b:アブナイ
c:鳥肌実(笑)

って感じではないでしょうか。


なぜ、このようなイメージを抱くことになったのかは、教育とマスコミの情報によって、ということが言えると思います。


日本のマスコミや教育界は、もともと第二次世界対戦後、共産主義(マルキシズム)/左翼的な思想を持つ人達によって組織された経緯がありますので、現在でも左寄りな思想が引き継がれているのだと思います。
(つーか、どこの民主主義国家のマスコミでも、国家の持つ全体主義に対して、という意味では、リベラルな思想で対じするのは当然ですが)


ただ、自分も含めて、大抵の人はそれらの影響を少なからず受けていると思います。



とにかく、靖国に関しては賛否両論ありますが、

ぼくの思うことは2つ。





神社ってのは、神さまを奉るところで、

その考えの基盤となるのが「神道」です。

「神道」は日本人が何千年もの昔から培ってきた、「習慣の中で生まれた宗教」で、仏教やキリスト教、イスラム教とは違い、創始者や経典もない、いわゆるアニミズムの部類に属します。


「神道」の基本的な考え方は、

森羅万象、全てのものが神さまなんだよ、ってものです。


「八百万(ヤオロズ)の神」なんて言いますが、まあ、そういうことです。

(おわかりと思いますが、800万と限定しているわけじゃないっすよ!それくらいいっぱいのものが神さまだってことです 笑)


で、死んで、物質界から開放され、魂の存在になると、みんな神さまになるともされています。


それがたいていの日本人が持っている、昔からの宗教観みたいです。



神社にお参りするという行為は、自然や、人や、全てのモノに感謝をする、という意味があると思います。








靖国神社は、戦死者に特化した神社で、日清戦争以降に戦死し、神さまになった246万人の柱を祀っています。

僕たちのおじいちゃんも神さまになって、靖国に祀られてるのです。
(うちのじーさんは戦死してないすよ 笑)


そして、第二次世界大戦で戦闘に参加した兵隊さんたちは、みんな「死んだら靖国で会おう!」と言い残し、また、家族宛ての遺書には「死んだら靖国に会いに来てください」と残して戦死していったそうです。




靖国神社境内には、遊就館(軍事博物館)というものがあって、ぼくは2005年の8/15に参拝した際、その遊就館内の「日露戦争の映像コーナー」で、なんともいえない感覚を覚えました。


若い人から老人まで、その映像を見入ってる光景を見て、

もし、戦争になったらこの人たちみんなと一緒に戦うことになるんだ、

となんともいえない悲壮感と一体感、そしてそれに準じるトリッピーな感覚を覚えました。




例えば、ある隣国の独裁軍事政権国家の軍隊が、日本に攻め込んできたとします。

で、家族や恋人、友人が、今まさに目の前で殺されようとしている、とします。


あなたならどうします?


A:平和主義なんで、見殺しにする
B:身をていして守る



いろいろ、細かいことを考え出すと、難しくなってくるかもしれませんが、


第二次世界大戦で戦闘に参加した兵隊さんたちも、当時軍事国家であった大日本帝国に情報操作されていたとしても、

このような気持ちで、家族や友達、国のために戦って死んでいったのではないでしょうか。



そして、この国は、その第二次世界大戦で戦死した200万人の屍の上に、先進国としての地位を築けたのではないでしょうか。



以上。







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mooさん>
そうですね。
靖国に関しては、人それぞれの感じ方がありますし。
なにかしら機会を見つけて、ふだん考えないことを考えてみたり、は楽しいですね。
感謝、も楽しいです★