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ども。

この前のオタク話の続き。

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http://ameblo.jp/cargoofficial/entry-10310868609.html


他人に「この本すげーヤバいよ!」って言うと、「え、貸して!」とか「読みたい!」って言われるんだけど、


よくよく考えたら、この本は、ぼく個人は好きだけど、他人にはあまりオススメできない類のものであると気づきました。

だって、まず、なんの事前情報もないまま読んでしまうと、単に「完全に頭おかしいわ」って思われてしまうし、物理学(量子論や不確定性原理、相対性理論や、電子や陽子やクウォークの話とか)と、スピリチュアリズム(東先生はその類のものを「サイ科学」っていうけど、KARMAや超能力や運命や霊魂やUFOやヨガなど)のことを、ある程度わかってないと、

まずシンパシーを感じられないからです。。

しかも、このセンセーの理論はマックスに複雑怪奇ですので、その辺の知識がけっこうないと、完全にわけわかんない。


残念ながら、分子生物学者「福岡伸一先生」や、脳科学者「茂木健一郎先生」、東大のなんかの教授の「養老孟司先生」などの本を読む時のスピーディーなノリとはちょっとちがいます。。

ワケのわかんなさで言うと、哲学者「吉本隆明先生」の本以上だと思います・・。



ということで、ぼく自身の言葉で、この本がいかに素晴らしい本なの説明したい!と思いたったわけなんですけど、



まあ、そんなこんなで、第二回。




ぼくは、個人的に、

この本の第1章、第2章で言われている理論を以下のように解釈しました。

(この本の理論展開はスーパーややこしくて、ぼくなりの理解の仕方に基づいて書いてしまったので、この本で東先生が言わんとしているものとは、見当ハズレの見解になってるかもしれませんし、以下の話は個人的な解釈ですので、理論を展開する上での細かい行程を相当ハショってたり、ぼく個人の勝手な注釈も織り交ぜて語っているので、完全に仮説の域を出ません。
しかも、ぼくは科学者ではなく、ただのミュージシャンなので、けっこう間違ってることも言ってると思います。)



まず、大前提として「量子論」でいうところの「量子」というものの簡易的な理解の仕方として、

「エネルギーが振動すると、質量を持つ物質になる」

と理解してください。

それが、この「宇宙にある物質すべての根幹となる考え方」みたいです。



①ビッグバン以降、宇宙にある全物質量・全エネルギー量はかわらない。
(全物質、全エネルギーは増えも減りもしません)

②東先生の言う「万能量子論」では「エネルギー」は、「質量を持つ物質」との相関性で、崩壊と再生を繰り返して、「エネルギー」と「物質」間を循環しているだけにすぎない。

③わかりすいビジュアルを思い描くための例として、細胞が死滅して入れ替わる例
や、食物連鎖、水>水蒸気>雲>雨などの一連のループの例を思い描いてください。

④宇宙には、いまだ地球人にとって、検出されていない未知のものとされる「ダークマター(わけわかんない物質)」や、「ダークエナジー(わけわかんないエネルギー)」があり(物理学において、既知の物質/エネルギーはわずか5%ほどにすぎないもので、未確認のものは95%以上とされています!)、さらに最先端の物理学の理論である「超ひも理論」においては「宇宙には11次元の世界がある」とされています。

⑥例えば、人間が死んで、その細胞が、生物学的な意味で分解されたとしたら、物質として元素Hだとか元素Oだとか元素Feだとかとして、地球人の科学力で検出できる限りのものとしての物質ができる他に、地球人が感知できない5次元以上の世界で、ダークエネルギーとかとされている未確認のエネルギーに変換される可能性もあることを予見でき(乱暴な仮説かな?)、さらにその5次元以上の世界のエネルギーというものが、「5次元以上の世界でのエネルギーの循環」を経て、もう一度5次元以内の認識でその存在を確認できうるエネルギー体/物質として戻ってくるようなプロセスで循環してるかもしれない。

⑦宇宙がそのようなエネルギーの循環によって成り立っているなら、宇宙に存在する全ての存在は、原子や分子だとかの視点だけでは認識できない、広い意味で、この宇宙に存在する全ての「エネルギー体の一部を共有」していことになる。
例えば、水の分子はいつか水蒸気になり、いつか雲になり、いつか雨になり、いつか川に降り注いで、海になるという、まずは「時間の推移によってなされるようなおのおのの各時間においての形状」を無視して、純粋なエネルギー体としての「共有の状態」であると認識してください。

⑧一般相対性理論が、時間という概念に関して、時間は絶対的ではなく、各々の事象に対して相対的であるとする結論を伴うのであれば、未来や過去という、いわゆる象徴的な「時間という概念」を超越でき得るのではないかという推測が成り立つ。
その「超越されうる時間という観念」においては、例えば500年前にナスカの地上絵を描いた人の一部だとか、1億5千万年前のジュラ期のT-レックスの一部だとか、150億年前のビッグバン時にできたヘリウムの一部だとか、もしくはおとめ座のはしっこで未来に生まれるなにかの一部だとかというものが、時空を超越してその体験というか「エネルギー」を、今現在この宇宙に存在する我々人間も共有しているのではないだろうか。

⑨そもそも、この宇宙を「神/創造主」というものが創造した、とするのであるならば、その神の発したエネルギー体的なもの(つまり意志や気持ち:量子論的にはその根幹での原理として、エネルギーは「意志」であるともいえると思います)が、宇宙を作る上での必要不可欠な要素になっていたはずだし、宇宙を構成するものの一部になっているはずなので、その神のエネルギー/意志の一部が、時空を超越して、エネルギー体として、いつでもどこにでも存在するのではないだろうか。

⑩ゆえに、この宇宙に存在している全てに、神の一部が存在している。

⑪聖書が言うところの「神はいたるところにいる」っていう言葉と、
神道で言ってる「ヤオロズの神」論に通じるのではないか。



結局、以上の①から⑪は、80%以上ぼく個人の注釈を加えたもの(すいません、コピペ率は3%くらいです...)なので、東先生が立証しようとしていた理論の過程とは、完全に違うものになったと思いますが、ぼく個人は、東先生の理論をわかりやすく説明したくて、このように理解/展開するに至りました。



ぼくは、そこで、

You = I = everything = Quantam Leap = Earth = Universe = God = You =...


みたいな、象徴的で簡単な方程式を思い出しました。
(誰が言ったか、ぼくが自分で考えたかは忘れましたが、ある友人が、それ「ブーツストラップ理論」じゃない?って教えてくれました)





まあ、今日はそんな感じ。