*技術的なトラブルによって、せっかくコメントを書いていただいてもレスができないことになてしまってます。ゴメンナサイ。
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「コンサートは死んだ」
まるで「Rock'n'Roll is dead!!」みたいな言い草ですが、
ヘルベルト・フォン・カラヤンが言った言葉です。
彼は、言わずと知れた「楽壇の帝王」と称されたお方で、20世紀後半のクラシック界のみならず、広く知られたマエストロ(巨匠)の一人であるとされています。
1908年、オーストリアに生まれた彼の功績には、20世紀を代表する指揮者である、ということのみならず、革新的なレコーディングの手法を取り入れた、ということが挙げられます。
カラヤン曰く、
晩年は「演奏会を一切やめてレコーディングこそ創造的なものとしたい」
と言ったということなのでありますが、
それまで、リアルタイムにライブで演奏されたものを、コンサート会場に行って楽しむ、という何世紀も続いたメディアのありかた、というかフォーマットを、
おウチにいてもその録音物(レコード)を聞くことによって、それなりに楽しめる(しかも何度も)という、レコーディングされた音源の特性を生かし、その録音物をレコードとしてコピーして、商売にしていった、という功績があります。
カラヤンによって音楽ビジネスは飛躍的な進歩を遂げたのです。
![cargo official blog powered by ameba-カラヤン](https://stat.ameba.jp/user_images/20090623/16/cargoofficial/27/de/j/t02200304_0463064010201639925.jpg?caw=800)
(これ良い写真だなー。なんか彼の内面の深みまで写してくれているようで感動してしまう)
確かに、カラヤンの時代以前には一部の特権階級のみが楽しんでいた芸術形態を、「録音してレコードにして、リリースする」ことによって、一般に広しめしていった、と言うことはできるのです。
つまりクラシック音楽という芸術を、高尚なものとするのではなく、大衆文化化していったというものです。
ということは、2009年現在のボクのようなミュージシャンも、その彼の功績の恩恵にフルにあずかっています、ということでもあります。。
ちなみに、有名な定説ですが、CD(コンパクトディスク)の記録時間「74分」は、カラヤンが決めたという俗説があり、CDの開発元であるオランダのフィリップス社から記録時間はどれくらいがよいかと問われたとき、彼は「ベートーヴェンの第九が入るようにしてほしい」と要望し、それが通ったという説があります。
(ベートーベンの第九が74分なのです)
カラヤンのwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3
しかし、彼は音楽を貴族達や富裕層のものだけではなく、一般大衆にも広めたという功績を賞賛される一方、「芸術を売った男」としての悪名も得ています。
それまで「その時、その場、その一瞬での1回きりの演奏」が前提とされていたコンサートでの醍醐味を破棄し、レコーディングの技術を駆使して、良いテイクのために何度も演奏したのです。
彼が行った改革としては、要約すると「楽章ごとに切り貼りし、一番良いテイクを選んで、それを録音物として残した」ということです。
カラヤン以降ももちろん、この革新は続きます。
1932年カナダ出身のグレン・グールドは、楽曲ごとの録音物を「小節ごとに何度も録音し直して、切り貼りして、ひとつの録音作品と成す」手法を考え出します。
![cargo official blog powered by ameba-グレングールド](https://stat.ameba.jp/user_images/20090623/16/cargoofficial/a5/ef/j/t02200192_0550048010201640068.jpg?caw=800)
(これもホント良い写真だなー。若き天才の陰影が感じられます)
グールドのwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
ちなみに、ビートルズの時代になると8トラックで録音する技術が導入されて、さらに楽器ごとに切り貼りできることになります。
ということになるんですが、
例えばみなさん、
コンサートに行って、実際のコンサートでの音を聞く時と、録音されたもののCDを聞く時では、聞き手の感情、また感覚が大きく異なることに気づきませんか??
もちろん、ボクのブログを長々と最後まで見ていただいてるような物事を深く考察することが好きなみなさんはご存知かと思います(笑
これは、なぜかと言うと、まず、「録音」してしまう以上ダイナミクスが変わってしまうからです。
ダイナミクスとは、簡単に言うと音量のでかさです。
録音物においては、コンプやリミッターというエフェクターを通してしまうので、録音するとその迫力が半減してしまうのです。
つまり、録音したものではライブ・ミュージックのほんとのホントの良さはわからない、ということになるのです。
ま、でも、現代音楽において、失敗テイクだろうとなんだろうと、編集でなんとかできてしまう、という現状がある以上、
ワタクシは本日も編集/edit/アレンジというめんどくさい作業をしなければいけないのです。
カラヤン!
グールド!!
おまえらのせいだ!!!
と思う一方、
「この技術を開発してくれたから、ごまかしができるんだよな~」
とも思います。
そんなことを考えていました。
徒然なるままに。
g
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「コンサートは死んだ」
まるで「Rock'n'Roll is dead!!」みたいな言い草ですが、
ヘルベルト・フォン・カラヤンが言った言葉です。
彼は、言わずと知れた「楽壇の帝王」と称されたお方で、20世紀後半のクラシック界のみならず、広く知られたマエストロ(巨匠)の一人であるとされています。
1908年、オーストリアに生まれた彼の功績には、20世紀を代表する指揮者である、ということのみならず、革新的なレコーディングの手法を取り入れた、ということが挙げられます。
カラヤン曰く、
晩年は「演奏会を一切やめてレコーディングこそ創造的なものとしたい」
と言ったということなのでありますが、
それまで、リアルタイムにライブで演奏されたものを、コンサート会場に行って楽しむ、という何世紀も続いたメディアのありかた、というかフォーマットを、
おウチにいてもその録音物(レコード)を聞くことによって、それなりに楽しめる(しかも何度も)という、レコーディングされた音源の特性を生かし、その録音物をレコードとしてコピーして、商売にしていった、という功績があります。
カラヤンによって音楽ビジネスは飛躍的な進歩を遂げたのです。
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(これ良い写真だなー。なんか彼の内面の深みまで写してくれているようで感動してしまう)
確かに、カラヤンの時代以前には一部の特権階級のみが楽しんでいた芸術形態を、「録音してレコードにして、リリースする」ことによって、一般に広しめしていった、と言うことはできるのです。
つまりクラシック音楽という芸術を、高尚なものとするのではなく、大衆文化化していったというものです。
ということは、2009年現在のボクのようなミュージシャンも、その彼の功績の恩恵にフルにあずかっています、ということでもあります。。
ちなみに、有名な定説ですが、CD(コンパクトディスク)の記録時間「74分」は、カラヤンが決めたという俗説があり、CDの開発元であるオランダのフィリップス社から記録時間はどれくらいがよいかと問われたとき、彼は「ベートーヴェンの第九が入るようにしてほしい」と要望し、それが通ったという説があります。
(ベートーベンの第九が74分なのです)
カラヤンのwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%A9%E3%83%A4%E3%83%B3
しかし、彼は音楽を貴族達や富裕層のものだけではなく、一般大衆にも広めたという功績を賞賛される一方、「芸術を売った男」としての悪名も得ています。
それまで「その時、その場、その一瞬での1回きりの演奏」が前提とされていたコンサートでの醍醐味を破棄し、レコーディングの技術を駆使して、良いテイクのために何度も演奏したのです。
彼が行った改革としては、要約すると「楽章ごとに切り貼りし、一番良いテイクを選んで、それを録音物として残した」ということです。
カラヤン以降ももちろん、この革新は続きます。
1932年カナダ出身のグレン・グールドは、楽曲ごとの録音物を「小節ごとに何度も録音し直して、切り貼りして、ひとつの録音作品と成す」手法を考え出します。
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(これもホント良い写真だなー。若き天才の陰影が感じられます)
グールドのwiki
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B0%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B0%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%89
ちなみに、ビートルズの時代になると8トラックで録音する技術が導入されて、さらに楽器ごとに切り貼りできることになります。
ということになるんですが、
例えばみなさん、
コンサートに行って、実際のコンサートでの音を聞く時と、録音されたもののCDを聞く時では、聞き手の感情、また感覚が大きく異なることに気づきませんか??
もちろん、ボクのブログを長々と最後まで見ていただいてるような物事を深く考察することが好きなみなさんはご存知かと思います(笑
これは、なぜかと言うと、まず、「録音」してしまう以上ダイナミクスが変わってしまうからです。
ダイナミクスとは、簡単に言うと音量のでかさです。
録音物においては、コンプやリミッターというエフェクターを通してしまうので、録音するとその迫力が半減してしまうのです。
つまり、録音したものではライブ・ミュージックのほんとのホントの良さはわからない、ということになるのです。
ま、でも、現代音楽において、失敗テイクだろうとなんだろうと、編集でなんとかできてしまう、という現状がある以上、
ワタクシは本日も編集/edit/アレンジというめんどくさい作業をしなければいけないのです。
カラヤン!
グールド!!
おまえらのせいだ!!!
と思う一方、
「この技術を開発してくれたから、ごまかしができるんだよな~」
とも思います。
そんなことを考えていました。
徒然なるままに。
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