こんにちは、講師の谷口です。
今日は最近ふと感じたことを、少しゆるく書いてみたいと思います。
梅雨の時期が近づくと、ニュースなどで「平年より早い」「遅い」「異常気象だ」といった話題がよく出てきますよね。
でもこうした“異常”という言葉が出てくるたびに、私は少し立ち止まって考えてしまいます。

気象庁が観測を始めた時点からの梅雨入りのデータを一度見てみると、近年ですら毎年けっこうバラつきがあることがわかります。今はデータがすぐ見れる時代!便利!
実は日本では、こうした天候の記録を昔から丁寧に残してきました。
江戸時代の幕府の役人の日記はもちろん、農民や僧侶が書いた記録、さらには和歌の中にも、季節や天候の描写がたくさん出てきます。
つまり、日本人は古くから「空模様を観察し、記録し、感じる」ことを大切にしていた民族だったんですね。
こういう資料をいろいろ読むと、当たり前ですが、自然の中で梅雨が規則的に来るわけないんです。
現代の私たちは、どうしても合理性を求めがちですが、自然は"ゆらぐ"もの。
この“ゆらぎ”にこそ、むしろ日本文化の原点があるんじゃないかと思うんです。
話を戻しますが、「日本には四季があるから、日本文化が生まれた」という言い方をよく聞きますよね。
私もそう思っていました。
でも今回もし四季が毎年同じように、規則正しくやってくるものであったなら、
果たして、今のような感性豊かな文化は育まれていたのかな?と。
昔の日記でも、梅雨が遅れて田植えの時期を逃してしまうとか、
思いがけない時期に台風が来たり、寒波がやってきたり
逆に、予想以上の豊作になった!
今回ふとニュースをみて調べて思ったことは、四季=日本文化ではなく、
この自然の「不規則さ」こそが、日本人の観察力や想像力を育て、
豊かな感性や共生の心を育んできたのではないかと、
もちろん、文化の成り立ちに正解なんてありません。
なぜだか分かりませんが、自分なりに想像をめぐらせて考え
結論が明るければ、前向きなれます!
四季は「ある」だけではなく、「ゆらぐ」からこそ意味がある。
そんな視点で、今年の季節の移ろいを感じてみるのも面白いかもしれません。
それでは、また次回!
学習塾キャリアパス
https://www.careerpath.tokyo
無料体験受付中、リアルでも、Zoomでも!
https://www.careerpath.tokyo/mail