久しぶりに子どもと過ごす時間が増え、今まで持ち帰ったプリントの間違いを一緒にやっつけることに。
「尊敬語」「謙譲語」「丁寧語」を習ったのだけど、これがまた難しい。
なぜなら、我が家で「尊敬語」「謙譲語」を使うシチュエーションは皆無だからだ。
国語のプリントで、謙譲語に直せという設問。
「親せきの家で、夕食を食べる」
娘の解答
「食べさせてもらう」
うーん…
よくよく聞くと、謙譲語ってよくわからないと言い出す。
ついでに尊敬語も誰に使うべきかかわからないという。
そうだよね…ごく普通の家庭で育ち、尊敬語や謙譲語に触れることってないものね。
そこで、苦し紛れな例え話をする。
「〇〇ちゃん(娘の名前)が作文コンクールで全国優勝しました。
そして、岸田首相と会食する席に呼ばれました。
先にお食事が来たのは岸田首相で、お母さんは『どうぞ先にお召し上がりください』と言いました。」
すると娘曰く、
「私が優勝したのに何で岸田首相の食事が先に来たのかわからない。それに、優勝した私の方が偉くない?」
こんな(屁)理屈が言えるようになったのか、と感心したり、例が悪かったとはいえ、どちらが偉いかって、確かにそもそもどうなのだ?
私自身説明に窮する。
私、「英語には尊敬語とか謙譲語とかないじゃない?日本ぐらいだよね、年齢が上の人を敬うという風習って。
それは、○○ちゃんにとっては日常的になじみがないし、難しいよね。」
最近韓国アイドルにはまっていて、韓国語を勉強している娘が、韓国語には「ぞんざい語」なるものがあり、
相手と会話をするときは必ず年齢を聞いて、その年齢の上下によって使う言葉が決まる、とのこと。
韓国は日本よりもっと序列が厳しく、もしかしたら若い人には窮屈に感じる社会なのだろうか、と一人思いを馳せる。
なんだか小学生に尊敬語や謙譲語を学ばせるって、中々難しいなぁと思いつつ、
それが日本の文化なのだから、理解が難しいといって無視はできないだろう、という葛藤が生まれる。
グローバル社会がスタンダードな時代に生まれた世代が、私が幼いころよりもっと身近にない言葉を学ぶ難しさ。
こんなことを先生は日常茶飯事感じながら教えてくださっているのかと思うと、本当に頭が下がります。