それがなくても ...

目を吊り上げ大きな声で汚い言葉で罵ることなく怒りを伝えられますか?
ハグとキスをしなくても愛していることをお相手に感じさせられますか?
愛しているの言葉以上の大きく・深い気持ちがお相手に届いていますか?


30数余年に渡りネコさんと一緒に暮らしていたのが、
4人の子供たちのみんなが虹の橋を渡ることとなり、
自分の年齢等を踏まえ、この先はネコさんと一緒に
暮らすことはもう出来ないと判断して過ごしています。

とはいっても ...

猫吸いはしたいし、鼻先に出した指キッスも受けたいし、
ニャンモナイトは見たいし、お尻ポンポンもしたい etc.

... との深層心理が駄々洩れで溢れ出しているのでしょう、
後輩が気を使って「猫カフェに一緒に行きませんか?」と
お誘いをしてもくれるのですが、ネコさんと戯れたい想いはあっても猫カフェはなぜだかチョッと違うと感じていて、有難い気遣いながらも折角のお誘いを断り続けてしまっていました。


それなのにも関わらず、後輩と一緒の時間を過ごす時に夢遊病者の寝言のように日本のなかの猫島のひとつでもある、横須賀の先の三浦市の「城ヶ島に行きたいなぁ ... 」と言い続けていることの指摘を受けて、深層心理の状態に気付くことになりました。




言葉の呪縛とレトリック


 4人の子供たちが一緒に元気に暮らしていた頃、
 皆は言葉を交わすわけではないのに、
 どうして意思疎通がしっかりできているんだろう?
 と不思議を感じ続けていました。


そもそもネコさんの意思疎通が何を以ってなされているのか知識もないのですが、見ている限り鳴き声をあげずともお互いの態度だけで諸々のことを深く分かり合えているようにもみえ、とても不思議を感じ続けたものでした。

それに比べ人間界では、情報伝達、感情表現、思考整理など、言葉は様々な役割を果たすコミュニケーション手段として活用されていますが、けっして万能ではない言葉に諸々を委ね過ぎていて、どこか社会全体が言葉に縛られ続けているようにも感じています。

言葉という相互理解のためのコミュニケーションツールが、逆効果に繋がってしまっているような場面(Webでの炎上騒ぎや、ニュースでの揚げ足的な報道、バッシングの数々 etc.)をはじめ、カウンセリング対応場面においても言葉に向き合い続けているのにとてつもなく大きく・深い違和感を感じてしまうことが続いていたりもしていました。

こんな背景が深層心理上にたまりに溜まり切って無意識のストレッサーに転嫁していたのでしょうか、無意識に猫島に行き、自然に暮らすネコさん達に囲まれ、言葉とレトリックの呪縛の解を得たいと思っていたのかも知れません ...


レトリックrhetoric)は、コミュニケーションの場において情報を発信する側が、受信側を説得したり、納得させたりするための手法やテクニックで「修辞法」と訳されており、具体的な表現技法としては比喩、誇張、反語、倒置などがあります。

その時々のシーンに応じた言葉表現を使いこなせるようになりたいと思うのですが、論理的には理解をするも実際の場面において、最適解となる言葉・表現(レトリックを含み)がコミュニケーション上において出来ているのか?と自問自答してみると、反省ばかりで及第点を出せることの方が少ない現実に直面してしまいます。


閑話休題 ... こんな違和感を感じ続けている中で、ネコさん達のコミュニケーションを想い出すと、言葉を使わずともしっかりとした意思疎通が出来ていて、けっして言葉に委ねなくとも問題なく過ごせることを目の当たりにし、ジェラシーというか ... 羨望を感じたりするのでした。


人は、なぜこんなにも言葉に縛られてしまうのでしょうか ...




ひととしての絶対的な必要条件


随分と昔になりますが、
ボクのカウンセラーの師匠(パラカウンセラー)
とのセッションにおいて、ここで綴った
違和感をぶつけてみたことがありました。

カウンセラーとしての云々ではなく、
今を生きる現代人としてみた時、絶対的な必要条件だとしてこの3つをあげてくれました。


批判的に考える  (情報や意見を鵜呑みにせず、常に批判的に考える)
多様な視点を持つ (物事を多角的に捉え、自分の意見に固執しない)
自分の心と向き合う(言葉に惑わされず、自分の心と感覚を大切にする)


そして、石を投げればカウンセラーにあたるようなこの時代にあり、言葉の先にあるものを見つめる必要の重要性を説かれ、言葉を超えて、本当に大切にすべきものはこれだと、さらに3つを伝えてくれました。


真実(言葉で表現できない真実を見抜く力)
 (言葉を超えて伝わる愛情)
共感(相手の気持ちに寄り添う心)


師匠の言葉とネコさん達の姿を想い返し続けては、対人コミュニケーションの目的についてではなく、そのための手段である言葉に疲れ切ってしまっている自分に出会うことになりました。







目を吊り上げ大きな声で汚い言葉で罵ることなく怒りを伝えられますか?
ハグとキスをしなくても愛していることをお相手に感じさせられますか?
愛しているの言葉以上の大きく・深い気持ちがお相手に届いていますか?



こんな問いを自分自身に投げ掛け、言葉に縛られもっと大切なことの言動表現が出来ていないと思える自分に愕然としたのでした。

そんな己の課題に気付いて以降「それがなくてもよいこと(逆説的には、無くてはならぬもの)」の存在を考え続け、不出来であっても言葉を使うことへの姿勢だけは真っ直ぐに居を正そうと思い至る状況なのでした。




お手軽な言葉に縛られ続け

過剰なレトリックで真ん中が見えずらい

世の中と自分自身の課題



汗を掻け! 楽してんじゃねーぞ!

己目め ... とも ...




ネコさん達の姿に触れるなかで、澱のように背負ってしまったこの汚れを拭いたいと、無意識のひとり言ではなく、神奈川唯一の猫島である三浦市の城ケ崎に時間を見つけて足を運びたいと思うのでした。










笑顔の行方を見つめて

all written by careerwing  T.Yoshida@ponyo



素敵な笑顔溢れる1日でありますように!