人生から卒業していったもの


心臓病を患い人生から卒業となったものは ...

波乗り(スポーツ)・エレキギターの立ち弾き・
歌(声帯不全)・飲酒・必要以上の糖質接種 etc.

あれやこれやとまだまだ山のようにありますが、
手術を境目とした生き様の違いをひと言でいうなら

      「 シンプルに生きる

と確実になり、生活スタイルの質と量そのものと、生活サイズの幅と深さが変化していき、それは人生を愉しむべき身の周りのアイテムが変わることでもありました。

あ ... 高額医療費と関連医療費の支出により、散財のための貧乏生活のためというのが偽らざる深層真実かも知れませんが ...

それでも自分自身のアイデンティティそのものだったモノ・コトたちが人生から遠ざかり、人生の愉しみではなく、生きる上での必要最小限のモノたちの存在と価値をより深く知ることになったように思えてもいます。

とはいえ、刹那的なミニマリストを気取るのではなく、「身の丈に見合った総合的な分相応の暮らし」ということなのかと思うのと同時に、人として乾き切ることなく、艶だけは忘れずにいたいとも思うのですが ...


直接的に心臓病によるものではありませんが、ここに至る中での人生最大の変化となるのは、30数余年一緒に暮らし・過ごして来たネコさんの姿をした4人の子供たちとのお別れでしたが、家族として彼等の成長を楽しみにするというよりも、人生における共同生活者として、親としての役割を背負わせ続けてくれ、子供としての役割を全うしてくれたように振り返ります。

子供たちが虹の橋を渡り空の上で暮らすようになってからよく思うのは、彼等の成長ごとの姿に触れ続けることが、いかに自分の心の充足・生き甲斐に繋がっていたのかといったことでした。

命を前に癒しなどというのは正しい表現なのかどうなのか分かりませんでが、子供たちの姿を見つめるだけで生きる糧になっていたことは間違いありません。


へそ天・ネコキック・オラオラ横っ飛び・前足の顔隠し・突然のキレ・クッサい顔・前足ぺろぺろ・お尻スリスリ歩き・膨張シッポ・グルングルンしっぽ・ニャンモナイト・ツンデレ対応・気持ち良いお日様探しのお昼寝・出しっ放しの舌 ... etc.

ネコさんのこんな全ての表情が目を瞑れば鮮明に思い浮かんできます。

そして、最近やたらと想い出すのは、普段の生活で一番に何気ないネコさんの姿である「香箱座りの姿」なのでした。



香箱座りのあれこれの姿


香箱」とは ...

焚いた香りを楽しむ「お香」などを収納する
ためのフタ付きの四角い箱のことになりますが、
ネコさんが前足を身体のなかにしまい座った姿が
この形に似ていることから「香箱座り」と名づけられてもいます。

英語圏では、このネコさんの香箱座りのことを、パンの塊に例えて「catloaf」や「meatloaf」とも呼びますが、長四角で丸いその形を想い出しては「確かに」と
頷いてしまうのでした。

警戒心の強い生きものであるネコさんが、前足を胸の下にしまいこむようにして折り曲げて座っているということは、「前足を使えなくてもいい・大丈夫」と思えるほど「外敵がいない」「危険が感じられない」と判断している、とてもリラックスしている状態の証しであり、これこそが香箱座りの姿の背景にあることになります。

それでも何か異変を感じたらすぐに逃げることが出来るように、通常は後ろ足はすぐに地面を蹴って飛びあがれる姿勢でもあります。

ゆえにパッと見は香箱座りであっても後ろ足が胴体から滑り出てきたように横にはみ出ていれば、危険察知に際してすぐに飛び上がることは出来ぬため、よりリラックスしている状態だといえます。


これに加え、スタンダードな香箱座りの変形というか崩しスタイルで個人的に「スフィンクス・スタイル」と名付けているのが、香箱座りの基本姿勢で前足を延ばしているスタイルで、上半身・顔を上にあげている時は凛々しきスフィンクス、前足に顔を乗せてリラックスしていたりお眠りしてる時はネバ―エンディングストーリーの幸運の龍(ドラゴン)のファルコンに思えたりもしていました。

香箱座りのスタイルは色々ながら、いずれにしてもネコさんがリラックス・モードに入っている時の姿勢であり、そんな姿を眺め・触れるのが何とも言えぬ癒しを与えて貰っていたのだと振り返ります。



思い出の中の香箱座りの姿

天に暮らす4人の我が子達を想い出す時、
みんながリラックスして寛いでいた
香箱座りの姿が直ぐに思い浮かびます。

そして、人間とはまるで違う、
外側にも内側にも折れ曲がるとってもしなやかな手首の関節のことや、ぷにぷに肉球の感触のことも想い出し、最後にみんなの毛の手触りの感触を想い出すのでした。


そんなネコさんの話しをネコさん好き仲間と話していると、先住ネコさんとの相性確認と受け入れ状況の見極めが終わり、無事にコーギーの子供を家族に向かえた悪友Sが「コーギーも香箱座りをする」と言い出したのでした。

ムン?となる一堂にスマホを取り出し、まだ小さなコーギーの写真を見せてくれたのですが、座った姿ではなく、立っていても足が短いため「香箱というより、一斤の食パン」だなと返り討ちにあっていたのでした(catloaf ならぬ dogloaf なのか ...)。



香箱を開けるたびに ...

家には、頂き物で木製の写真のL判サイズの
小さな香箱があり、そのなかには大好きな
コーン型のお香(インセンス)を入れてあり、
毎日、ここから取り出しては香を焚いています。

香りの違いで何種類かあるコーン型のお香ですが、
子供たちが嫌がる香りのものを焚くことはなく、好きというより「これなら苦しゅうない」といったものを使い続けていて、部屋中にお香を焚いた香りが満たされると、優しい空気を漂わせて寛いでいた香箱座りのみんなの姿が蘇ってくるのでした ...

みんなの幸せそうなリラックスしている姿を想い出として浮かぶことに感謝をしながら、今日も香箱を開け、どの香りにしようかとみんなの香箱座りの姿を想い出しながらひとつの香を選ぶのでした。




ネコさんの優し気な香箱座りは、

天に暮らす子供たちの幸せな姿の記憶なのです
...











笑顔の行方を見つめて

all written by careerwing  T.Yoshida@ponyo



素敵な笑顔溢れる1日でありますように!