大和言葉に命を繋いで貰った

コロナウィルスが世界を席巻する直前の約4年前、
体調不良で休日診察の急患で訪れた病院内で倒れ、
意識不明のまま急遽、心筋梗塞の緊急オペが行われ、
その後、長期の検査入院となるも一向に原因が掴めず、
その間、3度の走馬灯を見つめることとなりました。

微塵も納得がいかぬ医者の拙い諸事対応・判断に従い、
「己の寿命を決められるのは御免被る」と転院を決め、
本当にお世話になった看護師長との相談を始めた直後、
決まっていた検査手術が高発熱のために延期となり、
通院でも直ぐに出来る気休めのような代用検査により、
体調不全の原因が奇跡的に掴め、心臓弁膜症の手術を行うことになりました。

その間、肺炎で真っ白になっているレントゲン画像は、呼吸がまともに出来ぬことの証のようで、24時間人工呼吸器が外せない状態の中、身体には様々な管と機械が取り付けられ、体内に血は流れていたのでしょうが、水分の殆どは薬なのではないのかと思える程、完全に薬漬けの状態になっていました(しかも ... 高額な費用だけが掛かり、病状改善には何の効果も無い薬物ばかりでしたが ... )。

客観的にみて、いつ空の上で暮らしても不思議ではなかった状態の中、走馬灯を見つめながら、感覚的には妙に冷静にいつ死んでもおかしくはないなぁと思ってもいたのですが、死ぬのかも知れないと感じているのに思考的には、死を迎えるとは思えぬ自分が同時に寄り添っていて、何とも矛盾した不思議な感覚のなかで朦朧とした時を過ごしていました。

術後はさらに身体に取り付けられた管と機械類の数が圧倒的に増え、これぞ完全に人造人間キカイダーだなぁと途切れ途切れの意識の中で想い続けてもいました。


医者の言い訳にもならぬ稚拙な対応による、原因不明のままの飼い殺し状態の入院生活のなかで、人生の灯の揺らぎを感じ続けていましたが、この時の自分を救ってくれたのは、「大和言葉やまとことば)」の存在だったのでした。





美しい日本の言葉




春夏秋冬の四季の国である日本には、とても美しい言葉がたくさんあり、特に季節の風情を表現した言葉は情緒に溢れ、ご先祖様方々の瑞々しい感性と言葉のセンスには尊敬を越えて感謝を贈りたいほどの想いを感じています。

日本語には、中国大陸から入ってきた漢語を中心とした「外来語」と、縄文・弥生時代にまで歴史をさかのぼる日本固有の「大和言葉」や「古語」の2種類があるとされています。


病院のベッドの上で身動きが取れず、唯一、娑婆との接点が持てて世捨て人にならずに済んだのは、病室に持ち込んだPCのお陰でした。

入院したての頃は、地球上の至る所に設置されている無料のWebカメラの映像を見ては、まだ見ぬ地への旅行気分を味わっていたのですが、呼吸をすること・瞬きすることさえ疲れ、日を追うごとに死を自覚できる身体状況に、敵わぬ夢の現実のせいなのか徐々にこれが苦痛となっていきました。

これに変わって唯一の楽しみになっていったのは、美しい大和言葉に触れ、朦朧とし続ける意識のなかで、ひとつの言葉のみを切っ掛けにして、記憶のなかにある世界の夢のなかを旅をしては琴線に響いた言葉に想いを募らせることで、このことが微塵も効かぬ薬などとは逆に無意識のうちに生きる希望に繋がっていたと自覚しており、ご先祖様方々に深い共感と感謝を覚えているのでした。




美しい冬の季節の言葉

四季のうちの秋の季節をまるまる病院で過ごした
のですが、病院内の生暖かい空気などではなく、
凍てつく冬の刺すような鋭角さを含む風を求めて、
何度も這う這うの体のやっとの思いで窓を開けては、
機械の異常数値を叩き出し、その都度、看護師が
飛んで来ては窓を閉められる繰り返しでしたが ...

冬が嫌いという人は少なくないのかと思いますが、個人的には、気温としての寒さそのものはあまり好きではありませんが、凛とした姿の冬の季節そのものは夏と同じ位に大好きな季節でもあるのでした。


病室のベッドで日本各地の素敵な冬の季節を思いながら、記憶の中の旅路に導いてくれた美しい冬を表した日本の言葉をあの頃を思い出しながら綴りたいと思います ...









冬化粧ふゆげしょう
雪が降り積もり、辺り一面が真っ白な色白美人に化粧をしたかのように見間違えるほどの幻想的な風景の姿 ... 巡る季節による自然の化粧のなかで、一番似合うのが冬であるようにも思います。


冬暁ふゆあかつき
夜明けが遅い冬の朝は、一日の中でも一番寒さが際立つ時間ですが、冬の日の晴天時は、朝焼けとはならず、闇に日の出のオレンジ色が瞬間的に光輝くも、直ぐに白いベールが掛かって空を覆ってしまいます。
朝焼けはなくも、長い夜の間に冷え切った空気に冴えて光る朝日の美しさと、早朝の澄んだ空気の寒さで身が引き締まる情景が冬暁の言葉に浮かびます。


月冴ゆるつきさゆる
冬の凍てつく寒い日は、空気が乾燥して冷えきっているため塵を含まず澄んでいて、空に浮かぶ月や星が、普段よりもくっきりと引き締まって見えるもので、光の下に吸い込まれるような美しい月の光に魅了されるようでもあります。








六花ろっか
「六花」は雪の別名で、雪の美しい六角形の結晶を「花」に例えた素敵な言葉です。
雪は、粒の細かい雪の「細雪(ささめゆき)」・花びらのような大きな雪の「花弁雪(はなびらゆき)」など、色々な表現がされますが、全ては、雪に対する想いが伝わってくるようで、花に例えられたことは愛されている証のようにも思えるのでした。


不香の花ふきょうのはな
草木や花が咲かない冬の裸の木々に真っ白な雪が降り積もり、香りのない真っ白な花を咲かせているようにもみえる雪景色は、彩りがなく、どこか寂しく感じられるものですが、同時に言い様のない美しさを秘めているようにも感じます。



混沌として繋がらぬ意識の浮遊のなかで、こんな大和言葉を噛み締めては夢想の旅に出かけ、眠りに落ち、記憶のなかにある風景とまだ見ぬ風景に想いを馳せながら「行ってみたい」と思い続けていたことが、かろうじてこの世に止まることになった糧だったのだろうなぁと振り返ります。

あ ... 憎まれっ子世に憚る(これが一番の薬)とのことは大前提にしてですが ...



冬紅葉の命

看護師さんのことを
白衣の天使と呼ぶことがあります。

手術・入院をした病院の医師とは
人間的に相性が合いませんでしたが、
看護師の方々には本当にお世話になり、
いまでも忘れることはありません。

心の底から天使たる存在として感じていました。


娑婆への憧れが強過ぎたのでしょうか ...
外の風に吹かれ・包まれたい想いは何よりも強くあり、機械に繋がれ捲ってベッドにいても、車いす生活になった際にも、外散歩を頼み続けていましたが、退院の日まで一度もこれが適うことはありませんでした。

そして退院の手続きを終え、病院の正面玄関を外に一歩踏み出して頬を刺すような冬の風に包まれた時、投薬での朦朧などではなく、待ち焦がれていた風に吹かれて気持ち良い程の眩暈に襲われ、人目もはばからず静かに涙が零れ落ちました。

それは、病気が良くなって退院できて良かったとかなどではなく、地球の子供である自分を感じたくて、冬の季節の外の冷たい風に包まれることで地球に戻って来たと思えたせいだったのかと思います。


そして ...

外散歩を騒ぎ続けた困った入院患者の
ボクに対して、看護師のみなさんは、
今日の富士山の雪景色の状況を伝えて
くれたり、サーファーの看護師さんは、
海の波の状況をいつも教えてくれました。


退院の手続きが終わり、ナースステーションで退院のご挨拶を看護師長にすると、
病院を出て駅に向かう道筋にある街路樹が「冬紅葉ふゆもみじ)」となり、とても素敵な深みを増した紅色の葉となっているので、気にして観てと伝えられました。

寒々しい木枯らしに吹かれてもなお、散らずに残った紅葉の数は少なくも、冬の曇天の灰色の空に溶け込む紅葉の葉は、季節を跨いで生還した自分自身のようにも感じ、しばらく見続けていました。

車椅子も松葉杖もなく、スーツケースをその代わりとして歩く駅のタクシー乗り場までの道のりは、先ずは退院したら、病院前のタクシーに飛び乗るのではなく、歩いて向かおうと思った唯一の場所でもありました。


驚異の回復力と言われ続けるも、単純に牢獄状態だと感じていた場所から逃げ出したいだけだった自分 ...


不良患者がゆえに本来の退院許可より早く許可を得られたのは、退院希望に悲壮感が漂い溢れ、仕方なくだったことを退院日に聞かされました。


そして、這う這うの体で辿り着いたタクシー乗り場で、吹かれ続けた冬の風にプルッと震えを呼び覚まされた時、改めて退院の喜びが込み上げてきたのでした。





病室で想い続けた大和言葉の美しい冬への言葉は、

季節の流れこそが唯一の愉しみだったのだろうご先祖様方々の

地球に生まれ育ち、自然の変化に対して共感を覚えて過ごすことの

大切さを呼び覚ましてくれる、生き抜く糧の言葉でもありました。




春夏秋冬の季節ごとの風




術後の身体の痛みは一向に消えませんが、

娑婆の世界の世知が無い現実の風に吹かれながら、

凛とした美しい命を宿した大和言葉の噛み締め直しをしています。




琴線を揺らしてくれる素敵な大和言葉との出会いを楽しみに ...










笑顔の行方を見つめて

all written by careerwing  T.Yoshida@ponyo



素敵な笑顔溢れる1日でありますように!