ネコおばちゃんとの立ち話し

いつもご近所の地域ネコさんのお世話をしてくれている「ネコおばちゃん」に散歩の途中で久しぶりにお会いすることになりました。

聞けば、体調を崩して入院をされていたとのことで、
その間のネコさんのお世話については知人に頼んだので
心配はなかったものの、ネコさん達に会えない辛さが
半端なく、ネコさんのお世話を通じて自分は生かされていて、それこそが自分の幸せなのだと気付いたと話してくれました。

そして、退院して直ぐにいつものコースを歩いてみると、ネコおばちゃんの姿を見かけたネコさん達がいつもの場所からムニャムニャ言いながら顔をのぞかせて、強めに頭をぶつけてのスリスリもしてくれ、会えなかった時間を一挙に埋めてくれるなか、いつもそっけない素振りをする子もスリスリまではしないけどいつも以上の近くにまで来て座り、じっと見つめてゆっくりとした瞬きで「退院おめでとう」と声を掛けてくれてるように感じたのだと嬉しそうに伝えてくれたのでした。


ネコおばちゃんの足元で遊ぶネコ達を眺めながら目を細めてみていると「人生万事塞翁が馬っていうけど、この子達を見ていると本当にそうだなぁって感じるの」と言われたのでした。






人生万事塞翁が馬のおはなし




ある城塞のほとりに、老人と息子の親子が暮らしていました。

ある日、親子が飼っていた馬が突然逃げ出してしまい、周囲の人々は馬を失った親子を気の毒がりましたが、当の老人は「不幸かどうかは果たして分からんよ」と、意にも介さないのでした。

しばらくした後、逃げ出した馬は立派な馬を連れて家に戻ってきたのでした。
不幸が転じて幸運となったために周囲の人々は親子の幸福を感心しましたが、老人はやはり意に介さないのでした。

それからまた間もなくすると、息子がこの馬から落ちて脚が不自由になってしまったため周囲は不運を同情しましたが、それでも老人は意に介さないのでした。

その後、戦争が始まって村の若者達はみんな兵に徴収され、ほとんどが戦死してしまいましたが、息子は脚が不自由であるため村に残ることになりました。

こうして、老人と息子は共に生き長らえ一緒に暮らしたのでした。



生きる・人生の目的

生きる目的とは何か? ... と問われれば、
幸せになるため」となるのかと思います。

幸せになるために・幸福に向かうために
芸術や文学等が存在し、そのための道筋を示す
ものとして宗教があり、愛情の活かし方によって
幸せへの方法や物事の距離等を学ぶものなのかと思います。

太古より現在に至るまでずっと語られ続ける数々の「幸福論(eudaemonics)」がありますが、十人十色の人生においては十人十色の幸せの姿があり、幸福は、如何なる状況においても、自らの主観において主体的に見出す事であり、「心のありかた」を意識的に選び取ることによって見出すことが出来るものだといえます。


飽食と言われる現代においては、幸福を何かの欲求の充足に結びつけて考えてしまう人もいて、欲求が満たされればそれは以前の状態に比べて幸福ということにはなるも、この欲求の正体が分からず、自分が何を求めているかが理解出来ずに焦燥感に駆られる人や、欲求に主導権を譲り渡してしまったことで、欲求が限りなく膨張しつづけてしまい、それを満たしつづけることが出来ず苦しむ人も少なくない現実も生まれてしまってもいます。


こうしてみると、生きる目的は「幸せになるため」として万人に共通なことながら、そのための生き方はそれぞれバラバラなものであることに気付かされます。





幸せを掴み取る行動原理




ネコおばちゃんが自ら感じ取った、地域ネコさんのお世話をすることでの人生最大の幸福感とは、本当に素敵な事だと思いながらお話しを聞いていたのですが、


人間は、何でも難しく考えちゃいがちだけど、ネコさん達の姿を眺めていると、物凄くシンプルにストレートに「幸せになるため」っていう行動原理に素直に向きあって生きているっていうのが良く分かるのよね。

ついつい忘れがちになるそんな大切なことをネコさん達が教えてくれ続けているって、強く感じるようになったのよ ...



... とも話してくれたのでした。


 人類は、文明の発達や科学の進歩とともに
 高度な社会生活を送れるようになったのか
 とは思いますが、DNAレベルにおいて
「幸せになるため」のシンプル&ストレートな
 因子がもしも弱くなっているとしたなら ...




生きる目的とは、「幸せになるため」

どうやって生きるかは「幸せになるための形」の手段で

十人十色のそれぞれの形があるもの




目的と手段を見間違うことなく
何をする・何を成すことが自分にとって幸せになるのかを知ることこそが、
「幸せになるため」の大切で重要な大きな一歩なのかと思います。


そしてそれは、十人十色の選択判断であるため誰も教えてはくれず、
自らの思考と行動で掴み取ることなのかとも思います。


そんな人間たちの藻掻きをネコさん達は、
何も考えなくったって、ただ素直に感じ取れば簡単に出来るもんだ
と黙って笑って寄り添っていてくれるのかと思います。






あるがままに ... それでいい






入院を切っ掛けにして知人の方に頼んだネコさん達のお世話


ネコおばちゃんが退院後にその方に真っ先に報告に行くと、
退院のお祝いの言葉と共に
「このままお世話を続けたい」と伝えられたのだそうです。


そして、ネコおばちゃんは、地域ネコのお世話の役目のバトンを渡し、
完全なサポート役に徹することにしたのだそうです。


お話しの最後に
「私ったらこの子達にいろいろ学ばせて貰い、
ネコさんになりたいってどこかで想ってるのかしらね」


そして、
「ネコさん達のお世話をしているなんて傲りってもんで、
一緒の場所で同じ時間を過ごしていただけってことに気付いたのよ」
と言って笑われたのでした。



人生万事塞翁が馬



ポジティブシンキングというより「あるがまま」を謳歌する

自分本来の幸せの形に気付かれた方の言葉は、

どこまでも優しさに溢れたなんとも温かいものでした。










笑顔の行方を見つめて

all written by careerwing  T.Yoshida@ponyo



素敵な笑顔溢れる1日でありますように!