あの日からの再会

久しぶりの再会の場所は、
横浜の海というよりも、
港が見える桟橋の入り口での
待ち合わせとなった。

1年に数回、近況報告の長文メールを貰い続けて
いたため、しばらく会っていないとは感じていたが、
直接会うのが10年以上の月日が流れていることを
後で知りびっくりするほどでもあった。

20代の男性が30代になったとしても
然して大きな変化を外見的に感じることは
少ないように思うのだが、これが逆に女性の場合、化粧の有無は別としても見分けがつかぬことが間々あるようにも思う(ルッキズム的な意味合いではない)。


大通りから海に向かい真っ直ぐに伸びた通りの先にある
桟橋の入り口付近には、数名の人が立っていた。

遠目で見てもその人の雰囲気というモノはよく分かるものだが、
ひとりの男性は落ち着きなくキョロキョロとしながら待ち人を待っている風だった。
少し離れたところに立つ女性はスマホをずっと眺めながら、下を向き続けていた。
近くの住人の方なのか、どこからか車で来たのかは分からぬが、中年のカップルは話しに興じ、二人の足元にうつ伏せの待て状態で話が終わるのを待っている風なパグさんは、上目使いで何度も飼い主さんの顔を見ては、楽しみにしていたのだろう散歩を諦めるようにため息を吐き出し、なんとも哀し気な表情を浮かべていた。


初めての出会いの日から、この日迄を振り返るように
待ち合わせ場所の桟橋の入り口を目指して歩いた。

スエットのパーカーにビーチショーツにスニーカーのボクの目は、シャネルスーツとまでは言わずもしっかりした仕立てが遠目でも分かるカジュアルなサマースーツを着込んだ女性の姿を眺め続けていた。

彼女は首だけを横に向けて海を眺めていた。

髪型もファッションもあの頃の面影は微塵もないのだが、背丈と雰囲気で彼女だと直ぐに分かった。


一歩づつ彼女が待つ桟橋を目指して歩を進めるのだが、Tシャツとジーンズ以外に想い出が見つけられぬなか、気取った言い方ながらも「大人(レディ)になったなぁ」とある種の感慨めいた感情が懐かしさと共に込み上げていた。

待ち合わせ時間には少し早目だったこともあってか、こっちを向くこともなく海を眺め続けているその横顔を眺めながら「大人の佇まい」といった言葉がキーワードのように浮かび続けていた。





大人の佇まい



「佇まい」とは、大人のためだけにある言葉となる。

イケイケな雰囲気のパリピが踊り疲れてビルの合間で紫煙を燻らせ空を見上げていたり、ワルを気取ったヤンチャ風な雰囲気満載の人にも似つかわしい言葉とはいえず、決して子供には使わぬ言葉であり、成熟した大人に対してのみ使われる言葉である。


佇まいの意味は、
人やモノが動かずに留まっている時の有様や趣きをいうが、非常に静かで落ち着いた様子を表すものでもある。
ひとに対してのみにある言葉ではなく、物や景観などにも使われるが、どちらにおいても確かな存在感に包まれていることは同じといえる。
また大人の佇まいは、能動的に出そうとしても出るものではなく、佇まいを通じた空気感というものは確実に内面の芯から滲み出ているようなものともいえる。

内面的な成熟が無ければ滲み出しようもないものであり、これが子供には出せぬ所以といえるだろうか。



「佇まい」を想う時 ...

空気感・雰囲気・様子・気配・ムード・気色 etc. 色々なキーワードが浮かんでくる。


「大人の佇まい」とした時には ...

・毅然とした余裕がある態度や物腰での立ち居振る舞いの姿
・自分の感情をコントロールでき、柔らかく丁寧で品格のある言動
・他者尊重を忘れず、礼儀正しく知的で、自己管理が出来ている自立感
・利他の精神を持ち、人や物事を見下すことが無い理性と姿勢 etc.


思い付くままに「大人の佇まい」の必須要件を出してみたら、
ひととしての正しい成長・正しい成熟」のキーワードに辿り着くことになった。

これからすれば、佇まいの先に見える「なにか」こそがその人・モノの本質を表すものであり、Photoshopでは修正不可能なものだといえるのかも知れないと、統一地方選挙のポスターを眺めながら思っていた。


50mくらい先から歩いて来ているのに、
何かの波動のようなものが出ているのだろうか、
海を眺めていた彼女が不意にこちらの方を振り向き、
お互いに片手を上げて笑顔を浮かべあった。

そこには、
時の繋がりに優しい気持ちが溢れていた。


あの日 ... 長く静かな沈黙を破るかのように一筋の涙が零れ落ち ...

愛され方は分かっている ...  愛し方を教えて欲しい ...

と深海の海底の奥から絞り出したような、小さな声を震わせながら、誰にも話すことが出来なかった、胸の内に秘め続けていた悩みの主訴を語ってくれた。



新しい自分との出会いと育み



久しぶりの挨拶もそこそこに

優しいご主人と子供が待つレストランへと一緒に並んで歩き始めた。

まだ大学生だった彼女は母親となった。



子供が生まれたことの報告と併せての長文メールのなかで、「子供を授かり、言葉や思考ではなく、はじめて心の底からの愛し方というモノが分かった」と伝えてくれた彼女は、自虐的に「なんであの頃は方法論ばかり気にして生きていたのか分からないんですよね ... 」といい「自然と湧き上がる自分の真ん中にあるモノを真っ直ぐに見つめるだけで良かったんですよね ... 」と伝えてもくれた。



「大人の佇まい」の必須条件に必要不可欠なモノ

それは、「愛を知ること・愛を知っていること」なのだと、

最後の答えに辿り着かぬもどかしさから、探し物が見つかった気分になった。



海を横手にレストランまでの彼女は、こちらが探し求めてしまうせいなのか、大人になったとはいえどこか昔の面影が残っているようにも思ったのだが、お目当ての店が近付くにつれ、母親・妻といった役割を担って幸せを感じているボクが知らない彼女のいまの顔になっていったようにみえた。



「成長したなぁ」と思わず口にすると

「ヨシダさんはあの頃のままですね」と返された。

ボクのなかから滲み出る大人の佇まいは生涯、憧れとしてのものになるのだろうか ...



レストランの窓越しにママの姿を見つけ、ご主人と一緒に大きく手を振る姿と彼女の満面の笑みに触れながら、佇まいとは、成長の姿であり、大人の佇まいにおいて一番重要なのは、愛の大切さを知っていることなのだと改めて思った、港町横浜の並木道なのだった。










笑顔の行方を見つめて

all written by careerwing  T.Yoshida@ponyo



素敵な笑顔溢れる1日でありますように!