全てがはじまった場所

人は誰も皆、自分自身の原点回帰に繋がるような「場所」を持つものなのだろうか?

実家・故郷などはこれに近いものともいえるが、もっとピンポイントに
この場所があったからこそ今の自分が形付けられた」と心底思えるような場所 ...

自分自身を振り返り、そんな原点回帰に繋がる場所は、
茅ケ崎を中心とした「湘南のビーチ」となる。


湘南のビーチは、一カ所だけの場所を指すのではなく、いくつものポイントが連なって成り立っている一帯を指す。


あるポイントでは ... 波が上がりやすく良いサーフィンが出来るポイントとなり

あるポイントでは ... 漁港の防波堤に砂だまりが出来て、遠浅な海水浴場となり

あるポイントでは ... 波打ち際から直ぐに深くなってしまい、サーフィンにも海水浴にも適さず、誰もそのビーチポイントには入らない様な場所もある。

しかしこのポイントは、一度、沖からうねりが届き始めたら、ここが日本であるとは俄かには信じられないような波があがる場所であったりもする ...


そんな湘南のビーチで唯一といって良いだろう地元の者しか立ち寄ることのないビーチポイントがある。

サーフィンの世界でいうならシークレット・ポイントとなるのだが、街からも遠く、近くにコインパーキングの駐車場などもないことから、必然的に地元の者だけが集うようなその場所こそが、自分にとっての「favorite place大好きな場所お気に入りの場所)」となっている。

そしてこの場所こそが自分にとっての海・波乗りとの出会いの場所でもあり、いまの自分を創り上げてくれた原点回帰に繋がる場所なのだ。



幾つもの想い出に寄り添う場所

振り返ってみるならば ...
己が老いることなど想像も出来ず、
余計な理屈や意味など微塵も無く、
シンプルに海・波乗りが大好きで、
一生やり続けていくものだと思っていた ...


心臓病を患うことも、波乗りを卒業することも、歌うことも自分の人生から失い消えていってしまうことなど微塵も頭には浮かぶこと無く過ごしていた。

健康は大切なことながら、波乗りや歌うことなどは他人様からしたらどうでも良いつまらぬことなのだと思うのだが、海と音楽こそが自分自身の主成分であり、これが欠けることは自分のアイデンティティを失うことであり、現実を受け容れ、捕らわれることなく明日を向くまでに相当な時間を要することになった。

そんな自分にとって大切なビーチポイントにビーチクルーザーを漕いで久しぶりにやって来た。

なぜなのかさっぱりと理由は分からないのだが突然「ここ」に行かなければならぬような想いが湧き上がり、突き動かされるように家を飛び出してビーチクルーザーを跨いだのだった。



夢の跡

月日は百代の過客にして、行きかふ年も又旅人也

という句から始まる、
元禄文化期の俳人:松尾芭蕉さんが綴られた
紀行及び俳諧の「おくのほそ道」。

晩春・初夏の季節特有の時間毎に風向きが変わり、
それに伴い海の色・姿が変わる様子を眺めながら、
「おくのほそ道 ― 平泉」のなかの
つわものどもが夢の跡」の句を想い出し続けていた。


奥州藤原家の栄華を極め、源平合戦の英雄である源義経が、
華やかな居城を構えていたという平泉の高館は、義経の最期の場所となった。
兄の頼朝に追われて逃げ、僅か30年間の生涯の幕を閉じるにおいて、
激しい戦場となった場所でもある。

約500年後に芭蕉がこの高館があったとされる場所に登り、下を眺めると、ただどこまでも青々と生い茂っている夏草の風景だけが目に飛び込み、かつて栄華を誇った場所である跡形もなく、全ての時間を凌駕して佇むその景色を前にして腰を下ろして、「時のうつるまで泪なみだを落した」と記し、そのあとに置かれて詠まれたのが、「夏草や 兵どもが夢の跡」の句となる。

最後まで、源義経を守って家臣たちが戦い、討ち死にして果て、想いは通じず、義経の最期となったその場所に広がるのは、風に揺られる海原のような夏草が生い茂る景色 ... この景色を目にして松尾芭蕉さんは何を想ったのだろうか。



時の流れと

茅ヶ崎の海を眺めながら ... 「夢の跡 ... 」

そんな言葉を共感とともに繰り返し噛み締め、
震えるような想いが込み上げてもきていた。



時は過去から現在を繋ぎ、未来へと向かい続ける。

やってきた時は凪だった海に
いつからか西風が混じりはじめ、
穏やかだった海面は風により白い波頭が立ち、
そのうちに海水の色も茶色く濁り始めてきた。

これまで何度、見続けたのかも記憶にない程の海の変化を前に、そろそろ家に戻ろうかと、ゆっくりと砂浜から腰を上げた。


芭蕉さんが「おくのほそ道」の旅をしようと
思われた理由が何であるのかは知らぬのだが、
旅を終えて帰られた5年後に逝去されている。

芭蕉さんにとって平泉での経験は、
後年にどのような影響を及ぼしたものなのかを
考えながら、西風を背中に受け自宅に向かった。


夢の跡 ... 波乗りでしか見えない景色 ...

波乗りの神髄は、
一期一会の波との出会いであり、
その波と一緒になれるか否かは、
すべて自分自身に掛かっている。

夢を描き続けること、過ぎて来た過去に捕らわれ身動きできなくなるのではなく、
その時々に対してリスペクトを忘れずに過ごすことが肝心なことなんだろうと思う。

夢の跡は、他人が感じれば良い。

最期の最後まで夢を描き続けることこそが、人生の旅と言えるのだろうと思う。



西風は長くは続かぬものだ。

季節の動きにあわせてまた風の吹き方も変わっていく ...
つぎは、湘南のビーチを眺めながら、芭蕉さんが感じた風を探してみようと思う。
夢の跡よりも、夢を描き続けて生き抜きたいと改めて思うのだ。










笑顔の行方を見つめて

all written by careerwing  T.Yoshida@ponyo



素敵な笑顔溢れる1日でありますように!